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天才魔術師に会ってきた話 「マティス 自由なフォルム」


はじめに

 国立新美術館で開催されている「マティス 自由なフォルム」展の旅行記。端的に言うとマティスにかなりはまった。彼は魔術師だ。
 
あとマティス展には2回行った。その2回目は友人と一緒に行き、別の企画展も観てきたためマティスと関係ない話も混ざるがご了承いただきたい。

行ったきっかけ──マティスとは

 巨匠。あんまり詳しくなかったけど、彼の切り紙絵がたくさん来ていると知り気になっていくことにした。有名な《ジャズ》や《ブルー・ヌードⅣ》も展示されてるとなれば観るほかない!
※例によってネタバレ過多につき注意!

1回目

 3月初旬のある日。この日は午前中にアーティゾン美術館「マリー・ローランサン 時代をうつす眼」展に行ってきた。2回目だったがやはり素敵な展覧会だった。この日の感想は以下の記事に追記というかたちで少し載せたので、興味があればぜひ。

 東京メトロで東京駅から乃木坂駅に移動し、直通の通路で国立新美術館に入る。ここに来るのは初めてだ。建物の外観を撮るのは忘れた。本展覧会は絵画・彫刻と切り紙絵の一部、作品番号でいうと90番台まで撮影不可能であるため、感想は切り紙絵に重点を置いて書こうと思う。

国立新美術館に来た!
いいねぇ
《ブルー・ヌードⅣ》×2

──マティス展入場──

Section1 色彩の道

●最初期の油彩画たち
 普通に上手い……(失礼)。はじめは法曹の道を進んでいたそうだが、虫垂炎を患い療養。そのとき母親から絵具箱を贈られ、画家の道を志したのだとか。国立美術学校(エコール・ド・ボザール)の自由学生としてギュスターヴ・モローに学んでいた。

●フォーヴィスムへ
 マティスがフォーヴ(野獣)と呼ばれるに至るまでの作品も紹介されている。1898年にコルシカ島アグジャシオ、夫人の出身地トゥールーズで描いた風景画が3点並んでいる。解説では「これらの風景画には自然に忠実な色が採用されている」と書かれているものの、大胆な筆触を置くように描かれているためか再現的な絵画には見えない。
 そして新印象派の画家、ポール・シニャックからの影響が認められる点描風の絵画《日傘を持つ夫人》(1905)とフォーヴィスムの予兆を告げるような《マティス夫人の肖像》(1905)。鮮やかな色彩の対比に心を打たれる。

●こんなのもやってたのか
 マティスの陶板画、絵付けした壺、木彫作品が並ぶ。いろいろやってんなー。

●彫刻作品①
 マティスは彫刻家らエミール=アントワーヌ・ブルーデルの教えを受けていたことがあるそうだ。ブルーデルといえば国立西洋美術館に彼の作品、《弓をひくヘラクレス》が展示されている。キュビスム展に行ったときはその尻ばかり撮っていた。マティスの彫刻はどれも大胆な造形だ。

●ドラン作マティスの肖像画
 アンドレ・ドラン《アンリ・マティスの肖像》(1905) もっとしっかり描いてあげてくれ。

Section2 アトリエ

ニース:オダリスクの連作や東洋の調度品

 オダリスクを主題にした作品のひとつ、《赤い小箱のあるオダリスク》(1927)がきている。彫刻でも見た横たわる女性像だ。また《小さなピアニスト、青い服》(1924)では、人物像の後ろに赤い布がかかっている。これはマティスの旧蔵品で、この時期の絵画には彼の所有していたオブジェがしばしば描かれていたそうだ。
 今回はその赤い布、「赤い”ムシャラビエ(アラブ風格子出窓)”」と「ヴェネツィアの肘掛け椅子」、「三日月を伴う蓋のある火鉢」が展示されている。また彼の絵の具パレットなどの道具もあり、彼の画業の裏側を垣間見たような気がした。

●ヴァンス室内画
 1943年、マティスはニース近郊の町ヴァンスに引っ越し、そこで1946年から1948年にかけて縦型のヴァンス室内画を描いた。そのうちのひとつ、《ザクロのある静物》(1947)は、ザクロよりも壁面の黒と窓の奥に見える海洋生物のようなヤシの木に目が留まる。

●彫刻作品②
 こちらでは彫刻の連作が展示されている。そのなかでもジャネットの連作の《ジャネットⅤ》(1913)は正直怖い。髪の毛がなく、顔のパーツが極度に強調されていておよそ人には見えない。

●版画とデッサン
 年代が経過するごとにだんだん線が単純化していくためおもしろい。彼のデッサン集、『デッサン──テーマとヴァリエーション』(1943発行)では画家とモデルとの対話が読み取れる。モデルさん大変だっただろうな……。

Section3 舞台装置から大型装飾へ

 マティスはいくつも仕事を引き受けていた。展示順に紹介する。

●ナイチンゲールの歌
 はじめにバレエ・リュスの演目「ナイチンゲールの歌」の舞台装置や衣装だ。《機械仕掛けのナイチンゲールのための衣装》は鳥さんだった。鳥さんだった。

●バーンズ財団の壁画『ダンス』
 いくつもの習作が展示されていた。先のセクションにあったデッサン集からも分かるように、マティスはその一見単純そうな線や構図を生みだすために、何度も何度も素描や習作を重ねているのだ。芸術へと真摯に向き合うその姿勢に感銘を受けた。

●タペストリー
 タペストリーの下絵の依頼まで受けていた。《パペーテ─タヒチ》(1935)は木の葉の集まりと雲のかたちがよく似ている。昔のゲームにあったメモリ削減の手法みたいだ。(小咄:『スーパーマリオブラザーズ』の背景の雲と草むらは色が違うだけで同形である) 結局この図案は、タペストリーへの転用の途中経過を確認したマティスが仕上がりに満足できなかったそう。

Section4 自由なフォルム

 ここから切り紙絵中心の展示になる。そしてこのセクションの途中から、待ちに待った撮影可能ゾーンに突入だ!
 
彼は切り紙絵の手法によって「デッサンと色彩の永遠の葛藤」に出口を見出した。もし「いつのマティスが好きか?」と訊かれたとしたら、私は「本格的に切り紙絵に取り組みはじめた以降の彼だ」と答えるだろう。それだけ彼の切り紙絵の仕事は素晴らしかった。この時期にマティスは「魔術師」になったのではないだろうかと思ってしまうくらいだった。

●『ジャズ』
 さすがに私でも知っていたマティスの作品、『ジャズ』(1947)。個人的には『イカロス(第8図)』や『フォルム(第9図)』、そしてマティスが手描きした『目次(第21図)』が好きだ。

──撮影可能ゾーンへ──

●ブルー・ヌード
 本店に展示されている《ブルー・ヌードⅣ》はブルー・ヌードの4連作のうち1番はじめに着手されたものの、完成したのは最後だったらしい。その探求の痕跡は下書きとして残されている。観ることができてとても嬉しい。

《ブルー・ヌードⅣ》(1952)
すごい! 本物だ!

●花と果実
 展覧会の目玉のひとつであろう《花と果実》は、ニース市マティス博物館の外には過去2回しか貸し出されていないシロモノだ。しかも今回の展示に際して作品の修復まで行われたらしい。よく見るとそれぞれのパーツにピンで留めていた跡が見える。こうすることで要素の配置を容易に変えられるようにしていたそう。

《花と果実》(1953)
でかい! かわいい!

●筆によるデッサン
 かなり大きい。単純な線ではあるものの、これを一息で描き上げるのは相当の技量が必要だろう。

《大きな顔、仮面》(1951)
でかい

●マティスと日本
 1951年、日本でマティス展が開かれた。いいな……。マティスは主催の読売新聞社に3点の作品を寄贈した。全面にマティスらしさが出ていてとてもいい。

《顔》(1951)
《顔》(1951)
《顔》(1951)

Section5 ヴァンスのロザリオ礼拝堂

 マティスが「芸術家としての自らの生涯の到達点にして精神的達成」とみなした大仕事、礼拝堂の制作。その礼拝堂や司祭服のマケット(縮尺モデルや下書きのこと)、ステンドグラスの習作などが展示されている。また展覧会の一番最後には、礼拝堂の内部を再現した一室が設けられている。マティスの集大作を体いっぱいに感じられる充実の空間だ。

●礼拝堂のマケット 

《ヴァンス礼拝堂の外観のマケット(1/20)》(1948)
決して大きくも装飾的でもないが、確かな荘厳さと美しさを併せ持つ。

●ステンドグラスの習作

《ステンドグラス、「生命の木」のための習作》(1950)
美しい……。

●ステンドグラスのボツ案も美しすぎる!!
 ステンドグラスのマケット《蜜蜂》は検討された主題のひとつだったが、最終的には「生命の木」に落ち着いた。しかしこの《蜜蜂》はテキスタイルとして観ても非常に美しい! うちに礼拝堂を建てることがあったらステンドグラスはこれにしたいな。今回の展示品の中で1番好きかもしれない。

《蜜蜂》(1948)
美しすぎる……うちに欲しい

●陶板画の下絵、《聖ドミニクス》
 マティスは礼拝堂に設置される陶板画の下絵を、筆を取り付けた長い棒を用いて壁に貼られた紙へと書いた。その線からは卓越した技術を見ることができる。

《聖ドミニクス》(1949)
白いガッシュで修正が入っているのはご愛嬌?

●司祭服のデザイン
 マティスは司祭服一式のマケットも制作している。6色制作されたうちの5色が展示されているが、ここでは《白色のカズラ(上祭服)のためのマケット(正面)》のみ掲載する。これらも海藻のモチーフが取り入れられているのをはじめ、マティスらしさあふれる作品のためぜひその目で実際に見てほしい。

《白色のカズラ(上祭服)のためのマケット(正面)》(1950~1952)

●ロザリオ礼拝堂の内部再現
 礼拝堂を模した空間のなかで圧縮した時間が流れている。太陽の昇り沈みのたびに、室内にはステンドグラスを通した採光があふれる。それは白い床を、壁を、陶板画を鮮やかに照らし出す。実際の礼拝堂へ訪れてみたくなる、そんな展示だった。

祭壇西側の壁、「生命の木」とそこからの光
祭壇北側の壁、陶板画「聖ドミニクス」
祭壇の南、修道女席後ろ「生命の木」からの光
修道女席、「生命の木」
「聖ドミニクス」
信徒席南側の壁、「生命の木」
信徒席北側の壁、陶板画「聖母子」
対面の「生命の木」が映っている
信徒席東側の壁、陶板画「十字架の道行」

──観覧終わり──

●図録が分厚い
 図録は解説が充実しているためぜひ買っておいてほしい。

他は《蜜蜂》のしおり、《花と果実》のシールなど

2回目

 3月半ば某日。この日はいととと氏(@itototo1010, X)と一緒に行くことに。予定日の2日前くらいから急ピッチで図録を読む。当日は待ち合わせ場所から一緒に乃木坂駅、そして新美へと向かった。マティス展、「遠距離現在」展とふたつの企画展を見たあとファミレスでお話をした。

マティス展

 ここでは改めて写真は撮っていないので、軽くテキストで振り返ることにする。
 マティスは作風がコロコロ変わるし、ちょっと雑じゃない? と思ってしまうこともある。そんなわけでところどころ2人でツッコミを入れていた。私よりずっと芸術への造詣が深いいととと氏も知らない作品が多かったようだ。図録などで仕入れた浅知恵でうっっっすい解説(《ブルー・ヌードⅣ》は最初に着手されたという話など)をした。

「遠距離現在 Universal/Remote」展

楽しく2人でマティス展を観てきたあと、新美で開催されている別の企画展も観てきた。こちらは「現代美術が観測した、個人と社会の距離感(展覧会チラシより引用)」と題して「『Pan- の規模で拡大し続ける社会』、『リモート化する個人』を軸に、このような社会的条件が形成されてきた今世紀の社会のあり方」について取り組んだ作品が紹介されている。ここでは、そのなかでも特に刺さった作家さんをひとりだけ挙げさせていただくことにする。

「孤独死の現場から私たちに問いかける 社会保障が充実していれば、幸せになれるのか?」国立新美術館ホームページより
 ティナ・エングホフ氏は(日本からみて)社会保障が充実しているイメージのある北欧の国、デンマークの孤独死を取り上げている。デンマークでは死者の身元引受人が現れない場合、行政機関は親族がそれに気づけるよう新聞に小さな記事を掲載するらしい。そこには個人の名前と生年月日、死亡・発見された場所や日時が記されている。
 作家はそのような記事に着想を得た作品を発表しているそうだが、ホームページにはそれらがフィクションなのかどうかは明確には記されていなかった。しかし熊本市現代美術館の投稿に附記された文章を見る限り、おそらくここに映し出されているのは孤独死の現場ではあるが、ストーリーは想像で生みだされたものなのだろう。これを念頭に置いて続きを見ていただきたい。(図録を買ってこなかった……もし次行く機会があれば手にしたい)

 この作家が写真に収めようとしているのは、死亡者が命を失った場所か住んでいた部屋─事故死などの場合にはその現場が映されるわけではない、あくまでもその人の生活の痕跡が残っているところだ─であると思われる。

うーん
引きだときれいな室内写真にしか見えないよ…

 そしてこの写真群の恐ろしいところは、遠目にはただの室内写真にしか見えない点だ。小綺麗な装飾や壁紙も、ゴミに埋もれた小部屋も、シミのついた床やカーペットも離れたところから鑑賞すれば「誰かの家のなかの様子」に過ぎない。ましてやその住人がもうこの世にいないなんて、コンセプトを知るまでにどうして気づけるだろう?
 見えないところに、手が届かないところに見知らぬ誰かの死が潜んでいる。これらの写真はそれを暗示しているように思えてならない。表面的な「社会保障の充実」の裏に隠れて見えなくなってしまった、いや人々に見向きもされなかった人たちがいると、そう死者が叫んでいるようにも感じる。作家は私たちが臭いものに蓋をして作り上げた「都合のいい現実」に死亡診断書を突きつけ、「真の現実」にもう一度命を宿そうとしているのだ。
 たとえ孤独が自身で選んだ道だったとしても、その結果ひとりで亡くなっていった人たちはいる。そして彼らも死ぬそのときまで、この世界で確かに呼吸をしていた。そんなリアルを見せつけられた。

《心当たりあるご親族へ──男性、1935年生まれ、自宅にて死去、2003年3月2日発見》(2004)
剥がされた床は遺体の状態が悪かったことを裏付けているのだろう。
《心当たりあるご親族へ──男性、1932年生まれ、自宅にて死去、2003年4月24日発見》(2004)
ソファと掛け布団? にシミが……。そこにいたんだろうな。
《心当たりあるご親族へ──男性、1946年生まれ、自動車事故で2002年11月8日死去》(2004)
撮影されたのは2004年となっている。少なくとも1年ものあいだ、誰にも世話をしてもらえなかった観葉植物は枯れ果てている。
《心当たりあるご親族へ──男性、1953年生まれ、アマー島病院にて2002年12月13日死去》(2004)
これは病院? しかしそうなら1年以上部屋を空けておくことはないはず。違うのであれば亡くなった方が入院前に住んでいたところだ。床の赤いものは何だろう? 血ではなさそうだが……分からない。

 遠距離現在展はマティス展に比べたらさらっと回ってきてしまったが、上記の展示は足が止まった。他には監視カメラの映像を繋ぎ合わせて物語を生みだした作品が印象的だった。

ファミレスで感想戦

 ふたつの企画展を回ったあと、近くのファミレスに移動して2~3時間くらい感想を言いあった。図録を見ながら展示を振り返ったり、キュビスムの話をしたり。現代4コマやAIイラストの話もしたし、互いに持ってきた本を見せあうこともした。いととと氏と顔を合わせて話すのは実に4か月ぶりだったため話は弾んだ。
 17時前くらいにファミレスを出て新幹線が停まる駅に移動、そして別れを惜しみいととと氏を見送った。ありがとうございました、今度はぜひ京都のキュビスム展に行きましょう!

さいごに

 マティス展の話なのか、いととと氏との旅行記なのか、あるいは孤独死について考える記事なのかよく分からなくなってしまった。ただとても楽しかったし、勉強になったのも間違いない。そして美術館に行った感想を言い合える相手がいるというのは、とてもありがたいことと感じた。ただしひとつ失敗したことがある。いととと氏と一緒に行った証拠になる写真が1枚もない! 2日目以降の記事を書いていて気がついた。今度会ったらなんか撮りましょうね。
 この記事を見てくださった皆様には、マティス展は5/27、遠距離現在展は6/3まで開催されているためぜひ足を運んでみてほしい。私もまた来ると思う。ここまでおつき合いいただきありがとうございました。それではまた会う日まで。

↓過去の展覧会記はこちら

参考文献

・「マティス│自由なフォルム[カタログ]」,クロディーヌ・グラモンら監修, 読売新聞社・国立新美術館(2024)
・「AERA ART Collection マティス 自由なフォルム 完全ガイドブック」朝日新聞出版編集・発行(2024)


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