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フォロワーさんとの旅行記「ブランクーシ展」「マティス展」

 4月某日、Xのフォロワーさん(A氏とする)と一緒に、アーティゾン美術館「ブランクーシ 本質を象る」「石橋財団コレクション選」と国立新美術館「マティス 自由なフォルム」を観てきた。
 アーティゾン美術館最寄りの東京駅で待ち合わせた。A氏と顔を合わせるのは実に半年ぶりだ。おひさしぶりです、また会えてよかった! もちろん美術館めぐりも楽しみだったが、友人との再会もまたよいものである。Wikipedia等でブランクーシとマティスについて、あらかじめ下調べをしてくれていたらしい。マティスがアトリエで植物を育て、鳥を飼っていたというエピソードいいよねぇ。


ブランクーシ 本質を象る

 コンスタンティン・ブランクーシの作品は、「キュビスム展─美の革命(国立西洋美術館)」に3点展示されていたものを観たのみだった。

●アーティゾン美術館に……

来た!
来た!

─ブランクーシ展入場─

ブランクーシ展の特徴

 個々の作品の感想に入る前に、この展覧会の展示はかなり異質だと感じたため、その点について述べておこうと思う。

●キャプションがほとんどない
 一応セクションごとにおおまかな解説はなされているのだが、それぞれの出品作には番号が振ってあるのみでタイトル等は書かれていない。出品リストにキャプションがついている作品はあるため、リストと作品とを交互ににらめっこすることになる。そして音声ガイドもない。不親切といえばそれまでだが、次の項で触れる「空間」をとても意識しているように感じた。
 しかしいきなりアメデオ・モディリアーニの絵が展示されているのはちょっとおもしろかった。一応離れたところにあるキャプションに名前は出てくる。ほかにもブランクーシによる作品でないものがちらほら混ざっているため注意が必要だ。

アメデオ・モディリアーニ《若い農夫》(1918)
@「マリー・ローランサン─時代をうつす眼」
(ブランクーシ展では撮影していない)

●徹底された空間展示
 彫刻作品の多くが壁面から切り離され、ぐるりと一周眺めることができる。アトリエの雰囲気を再現したインスタレーションもあった。ブランクーシによる彫刻は空間のなかで浮遊しているように見える。

●写真が多い
 ブランクーシは自分の彫刻を写真に収めていた。彼はマン・レイからの指導も受けていたそう。セルフ・ポートレートやアトリエ内の写真は非常に興味深い。見入っていたら私が撮影をしてくるのを忘れたため、残念ながらここではあまり紹介できない。

作品紹介!

 セクションはあってないようなものであったため、印象的なものを無作為に取り上げていこうと思う。

●ツルツルしてる
 さほど苦しんでいるようには見えなかった。なめらかな造形は感情の起伏を曖昧にさせる。その姿は眠りから覚めて首をもたげているかのようだ。

コンスタンティン・ブランクーシ《苦しみ》(1907)

●キュビスム展でも同シリーズがあったね
 「キュビスム展─美の革命」(国立西洋美術館)にも別バージョンが展示されていた。どちらも石の直彫りのオリジナルをもとに、石膏で制作されたものである。上の《苦しみ》と同じ制作年、一気にプリミティヴな方向へ舵を切ったように見える。

コンスタンティン・ブランクーシ《接吻》(1907-10)

●写真が展示されている様子(一部)

東京都写真美術館所蔵のものがたくさんあった

●マルセル・デュシャンとのつながり
 かのマルセル・デュシャンは、アメリカでブランクーシの作品をプロモーションしていたらしい、ほえ~。ブランクーシの作品が「本質を象る」ものだったとしたら、あるいはレディメイドもそうだったのかもしれないと思った。既製品をほとんどそのまま芸術として発表するそれは、物品そのものの本質を見せつける行為に他ならないんじゃないかな。アプローチは大きく違えど、デュシャンはブランクーシと自身のあいだに通底する何かを感じていたのかも。

マルセル・デュシャン《マルセル・デュシャンあるいはローズ・セラフィ、または、による(トランクの箱)シリーズB》(1952)、鉛筆素描(1946)

●すごい
 三日月のようなくぼみがふたつ作られている。鼻梁がなければどちらが目か口かもわからない、極めて単純化されたかたちだ。言われてみれば確かに、うぶごえをあげているようにも見える。

コンスタンティン・ブランクーシ《うぶごえ》(1917, 1984鋳造)

●アトリエ!
 アトリエの雰囲気を再現した展示室。上に採光を模した光源があり、室内はふんわりと明るい。もちろん作品に近づくこともできるため、(人が少なければ)ゆっくり眺めてみよう。ブランクーシ作としては珍しそうな、錬鉄による彫刻が左右の壁にありこちらも興味深い。
 アトリエ内の様子は展示された写真群からもうかがい知ることができる。そのさまは彫刻家とその芸術との共同生活のようだった。

コンスタンティン・ブランクーシ作、左から
《王妃X》(1915-16, 2016年鋳造)
《肖像》(1930)
《若い男のトルソ》(1924, 2017鋳造)
《ポガニー嬢Ⅱ》(1925, 2006鋳造)
《洗練された若い女性
(ナンシー・キュナールの肖像)》
(1928-32, 2013鋳造)
写っていないが左の壁に《自在鉤》(1928頃)、
右の壁に《標識》(1928頃)
《自在鉤》
《標識》

●美しいねぇ
 画材は「グワッシュ、水彩、鉛筆・厚紙に貼られた紙」。よくこの美しさを保てているな……。ピカビアの名はモディリアーニが出てくるキャプションに、ダダイスム、シュルレアリスムの芸術家として書かれている。そしてこの作品は、その内容を忘れたころに現れる。

フランシス・ピカビア《アニメーション》(1914)

 こちらはキュビスム運動に参加していたころのもので、「オルフィスム」という芸術に分類される。そもそもオルフィスムとは詩人のギヨーム・アポリネールにより、ピカビアやロベール・ドローネーらに見られるキュビスムの傾向に対して名付けられたものだ。このあたりの話は以下に提示した記事(7 同時主義とオルフィスム)にて触れている。

ピカビアの作品はいまの「石橋財団コレクション選」にて展示されている、ドローネー《街の窓》(1912)と比較してみるとおもしろいかもしれない。

ロベール・ドローネー《街の窓》(1912)
@「マリー・ローランサン─時代をうつす眼」
(ブランクーシ展では撮影していない)

●鳥
 あまりにも、あまりにも洗練された鳥の姿。縦長のフォルムは上へ上へ昇ろうとする、鳥類の姿を象徴するかのようである。どうしたらこんな表現にたどり着くんだろう。

コンスタンティン・ブランクーシ《雄鶏》(1924, 1972鋳造)
コンスタンティン・ブランクーシ《空間の鳥》(1926, 1982鋳造)
『アトリエの眺め、《大きな雄鶏》』(1941-44頃)

─ブランクーシ展おわり─

石橋財団コレクション選

 現在の「石橋コレクション選」はブランクーシ展を意識してか、彫刻作品が多く出品されていてとても見応えがある。

─石橋財団コレクション選入場─

5Fの展示

●彫刻コーナーからいくつか

パブロ・ピカソ《道化師》(1905)

 ピカソのブロンズ彫刻! ちょっと珍しい気がする。

オーギュスト・ロダン《考える人》(1902頃)

 ちっちゃい考える人。

ウンベルト・ボッチョーニ《空間における連続性の唯一の形態》(1913, 1972鋳造)

 今回の石橋コレクション選で楽しみにしていた作品のひとつ。粘性のある空間を突き進むかのようなダイナミズムを感じる。イタリア未来派はあまり勉強できてないため、いつか深掘りしたい。

4階の展示、特集コーナー展示│清水多嘉示

 特集コーナー展示では彫刻家、清水多嘉志にまつわる展示がされていた。1923年にパリへ渡り、エミール=アントワーヌ・ブルーデルの教室に出入りしていたそう。絵画の分野ではアンリ・マティスやポール・セザンヌに影響を受けたようで、両人に似た作風の油彩を描いている。

●ちっちゃい弓をひくヘラクレス!
 国立西洋美術館の本館前に大きいヴァージョンが展示されている、ブルーデルの《弓をひくヘラクレス》。西美のキュビスム展に行ったときは、何度もその尻を撮影していた。

エミール=アントワーヌ・ブルーデル《弓をひくヘラクレス》
尻!

●石橋財団の創設者の像
 石橋財団の創設者、石橋正二郎にまつわる彫刻作品を少なくとも5点制作していたそうだ。

清水多嘉示《石橋正二郎像》(1968)

●マティス、セザンヌ風の絵、そして独自の道へ
 清水の絵画は、マティス、セザンヌの作品比較するように展示されている。そして《憩いの読書》によって彼らへの傾倒から離れ、清水自身の画風を確立するまでの軌跡を見ることができる。

アンリ・マティス《オダリスク》(1926)
清水多嘉示《ギターと少女》(1925)
ポール・セザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(1904-06頃)
@前期の「石橋財団コレクション選」
清水多嘉示《丘を望む》(1927)
清水多嘉示《憩いの読書》(1928)

●ザツキン展とブルーデル展
 アーティゾン美術館の全身、ブリヂストン美術館は1954年にオシップ・ザツキン展、1956年にブルーデル展を開催した。これらは清水の尽力により実現したそうだ。
 ザツキンといえばキュビスム運動にも参加した彫刻家。展示されていた《三美神》は、ロベール・ドローネーの大作《パリ市》を彷彿とさせる。もちろん三美神のモチーフは彼らの専売特許ではないのだが……。

オシップ・ザツキン《三美神》(1950)
頭部の拡大
 

─石橋財団コレクション選おわり─

●売店へ
 ブランクーシ展の図録とポストカード4枚を購入。ポストカードは2枚重ねて封をできる袋へ入れ、大きめの本用のしおりにするのだ。思い出を実用品にできるため、大変おすすめの使い方である。

お昼!

 昼食はA氏おすすめのブリトー屋さんへ行くことに。ブリトーって食べたことなかったな……。でもめちゃくちゃおいしかった! しかし食べるのは難しいね! いいお店を知った。ありがとうございました!!

肉、穀物、その他野菜などいろいろ入っていて、完全栄養食のよう
味もめちゃくちゃよい

マティス 自由なフォルム

●国立新美術館へ移動

 昼食後には新美へと向かった。「マティス 自由なフォルム」に関しては、以前レビューしているからここでは深掘りしない。5月27日までのため、興味のある方はぜひ行ってみてほしい。マティスによる洗練された作品たち、特に切り紙絵は見物だ。

 マティスは画風・作風がコロコロと変わる。A氏とはずっと「また変わったね……」みたいな話をしていた。観る側としては本当にツッコミどころが満載でとてもおもしろい。

晩ご飯!

 某イタリアンファミレスに行く。私はたしか辛味チキンとセットドリンクバーだけ頼んだ。
 A氏と互いの近況のことや美術館の感想など、2時間くらいはお話ししていたと思う。特にとある漫画についての話は盛り上がった。こちらは以前A氏にお勧めいただいて知り、私もすっかり好きになった作品だ。5月中旬に最新巻が出るためとても楽しみ。

またいつか!

 宴もたけなわ、惜しいがお別れの時間である。いずれまた会おうというお話をして、互いに帰路につく。

おわりに

 まずはこの美術館巡りに同行いただいたA氏に心より感謝申し上げる。連れ回してしまったうえあまり解説はできなかったが、楽しんでいただけていれば幸いだ……。こちらとしては久しぶりにお話しできたため幸甚だった。本当にありがとうございました、また会いましょう!
 そして展覧会に関して。ブランクーシ展ではその洗練された造形美に心底魅了された。石橋コレクションはいつも見応えがあって楽しい。マティス展は他の美術館とはしごして、すでに何度も行っている(4回くらい)がいくら観ても飽きることはない。
***
 芸術鑑賞とは作品だけでなく、過去の自己との対話でもあると感じている。幾度となく繰り返した鑑賞や、読書などで知識を身につけたいまの自身と、過去の自身との終わりなき対話。ずっと続けられるからこそ、芸術の学習は楽しい。
 前情報がないまま観るのも一興─以前の私はこういったスタンスをとっていた─だが、学んでから芸術と対峙するのも悪くない。ブランクーシに関しては学習不足だったため、以上に述べたことを強く感じた一日だった。
***
 今回はここらで筆を置くことにしよう。ここまでご覧いただき、誠にありがとうございました。

参考文献(刊行年順)

●『アーティゾン美術館 ハイライト200 石橋財団コレクション』、石橋財団アーティゾン美術館編集・発行、2020年

●『ブランクーシ 本質を象る』、石橋財団アーティゾン美術館編集・発行、2024年

●頒布冊子、『石橋財団コレクション 特集コーナー展示│清水多嘉示』、石橋財団アーティゾン美術館編集・発行、発行年不明

関連リンク

屋外彫刻が多い埼玉県立近代美術館(北浦和公園)の記事もどうぞ↓


 


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