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第12章 院内学級での生活と友達
入院の初日から不安で泣いていた私に、底抜けに明るい笑顔で話しかけてきてくれたのが“エミちゃん”だ。入院初日は心配で仕方のない母が、なかなか家に帰れずに居た。話しかけてきてくれたエミちゃんに、地元の小学校でも周りの同級生とお話しすることが少なかった私は、あまり上手にお話しできない。しかしエミちゃんはそんなことは意に介さず、「私はエミコ、だからエミって呼んで!なんていう名前?」と聞いてくる。「……かお
もっとみる第9章 N養護学校(院内学級)
皆さんは、『院内学級』というところについて、ご存じだろうか。学校に籍を置く為に、それまで通っていた地元の小学校を形式的に転校し、退院時にまた戻る為に転入手続きをする必要がある…などの細かい話はさておいてーーー
大きく、午前と午後に授業がある。朝食を食べ終えると休憩したり、軽く身支度をしたのち、同級生らとともにN養護学校まで通う。“通う”と言っても、徒歩1分ほどだ。子どもの足でも、徒歩3分…といっ
第6章 入院、退院、再び入院…
確か、1988年の1月であったか。風邪から気管支を拗らせ、O病院に入院することになった。病名は、“気管支炎”。聞けば肺炎の一歩手前で、危なかったとのこと。風邪のつもりで受診した医院で、大きな病院で診てもらうようにと紹介状を渡され向かった先で、そのまま入院となった。
当時9歳の私は、大きな声を上げて泣くわけでも無く、バタバタと地団駄を踏んで駄々を捏ねるわけでも無く、ただ、シクシクとひたすら涙を流し
第3章 キタとミナミ
私の生まれは大阪市北区、俗に“キタ”と呼ばれている地域だ。大阪市でも特に、“キタ”と“ミナミ”(通称)に分けられる。“キタ”が大阪駅・北新地を中心とする大人の遊び場を基盤とする一方、“ミナミ”は難波・道頓堀界隈の若者のそれを指す。歴史を辿れば、その呼び名のルーツは江戸時代にまで遡り、“キタ”地区には当時沢山の遊郭で賑わい、大阪城下の北端に位置したことから、「北の遊里」「北の新地」と呼ばれたという。
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