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第11章 好きこそものの上手なれ

これまでにも、いかに運動が苦手であったか、勉強が苦手であったか、ということは散々曝け出したつもりだ。しかし、今回は少しばかり「自慢話」を書いてみることにする。私の自慢のお話しなので、不快だと思った方はどうか読み飛ばしてもらいたい。

好きこそものの何とやら、だ。好きなものに精を出していくと、最初は他愛もないものばかりであってもいつかスッと形になる時がある。
私は地元の小学校でクラブ活動に所属していた3年間は、手芸一択であった。特定のクラブ活動に人数が集中すると抽選になるのだが(当時)、私は恐らく、担任の先生の配慮があったのだろうと思う。(記憶していないが)
一番古い記憶では小学1年の時に、母に習って、『巾着袋』を作った。ただし、この当時の裁縫は針と糸でただ布の周囲を縫うという真似事であった。外で遊ぶことが非常に少なかった私にとって、手芸や読書は唯一の“遊び”であり、癒しの時間であった。体調の良い時は、休日も自宅で手芸を楽しんでいた。

そして、小学4年~6年には、テグスを使って仕上げる『ビーズ制作』、主にマスコットが多かった『フエルト手芸』、布製のカバンを作るまでになった。

中学校時代は、一年時に吹奏楽部に入部したものの、集団行動が合わず、少しずつ練習そのものが苦痛になっていったりと、事情が重なり1年間で退部した。(ちなみに、大手音楽教室で個人レッスンとしては3年間続けた)

退部後は家庭科部に所属し、残り2年間はクロスステッチを中心とする刺繍に目覚め、最終的にはクッションやパジャマなどを作ったり、とても楽しかったのを覚えている。

学校生活の中での手芸は、実は中学までである。それからは、ずっとプライベートで続けて行った。そんな私であるが、高等生の時園芸部に所属した。キッカケはただ、国文学を教えてくださった先生と相性が合い、入部したというだけのことだ。今でも草花は好きで、四季折々の花を育てている。手芸にしても園芸にしても、この頃の経験が私の今を使っているのだとしたら、あの頃は深く考えず何気なく、その時その時で選択していったものがまるで運命の引き合わせのように感じる。

実は高校入学直前、高校生になったらボランティア部に入ろうと思っていたのだが、大学の時にそれを叶えることになる。そこで得た人々との出会い、経験も、いつか機会を設けて書きたい。

実は私は音楽も好きだ。
母が私達姉妹に、文化的教養を身につけさせたいとの思いから、幼少期からあらゆる場所に連れ出した。フェスティバルホールやシンフォニーホール(共に大阪市内)で行われた【辻久子ヴァイオリンコンサート】や、【ウイーンの森少年合唱団】など、ピアノリサイタルや能楽など、ありとあらゆる場所に連れ出した。その影響もあってなのか、私生活では幼少期からピアノ、フルートを習った。しかし私は元々あまり音楽の才能は無いようだ。
最近も、自分の演奏を録画して観てみたが、とても聴けるものではなかった(苦笑)
折角、教養を身につけさせようとしてくれた母には、この場をお借りして、「申し訳ない」と伝えたい。

私は今、編み物にハマっている。今までたくさんの手芸たちに関わってきたが、これを一番の『大好き』だと思う。私が編み物を始めたのは、昨年春だ。ずっと興味はあったが、取っ掛かりが見つからないまま、意を決して、道具を揃え、編み物教室を探したのが、昨年2022年の3月。それから、最初は蝶々や蜂などの簡単なものから始め、亀、お地蔵様、着せ替え人形、ワニなど、作れるくらいにまでなった。

【好きこそものの上手なれ】
私が音楽に才能を見出せないのは練習不足も否めない。だが、やはり練習云々ではなく、『好き』という気持ちは、能力を超えて大切なものなのではないかと、思う。

グダグダと何が言いたいのかイマイチ意味不明な私のnoteをここまで読んでくださったことに、深くお礼申し上げます。(;´∀`)


【写真】中学校卒業時。イジメなどもあり嫌で嫌で仕方なかった中学校生活も終わる。希望しか見えていなかった(笑)

【表紙の写真】母の勧めで高校一年の時、姉と二人で国際交流活動(青少年の部)に参加し、オーストラリアに行った時のもの。動物はカンガルー。


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