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第13章 父と母

人間はやっぱり、歳老いて死に近づくと、その本質が見える(分かる)と思う。

父は愛情表現や感情表現が超不得意の人だ。

例えば私が
「手芸が得意です!」
と、胸を張って言うとするなら、
父は、胸を張り
「ボクは感情表現が超絶苦手です!」
と、言うのだろう。

父と母は、よく喧嘩をした。

その内容は、必要あるのか?と思うほど、私にとってはくだらないものばかりである。

両親の恥を忍んで、ここに曝そう(笑)

私が高校生の時の話だ。

2人仲良く、ハイキングに出かけた。
丁度、筍のシーズンで、山道に食べ頃の筍が生えていた。
それを“先に”取って帰るか、“後”に取って帰るかで、大喧嘩した。

またある時には、夕食時に、痒くてたまらなくなったのだろう、母が水虫の薬を塗り始めた。
それを見た、私の姉が、「お母さん、食べてる時にやめぇやぁ!」と言った。
それに賛同した父が、「そうや、そうや!」と言った。
母は何故か父だけに激怒し、離婚問題にまで発展した。

この手の話題は挙げ出すとキリがない。
正直、ここに曝すことに、かなり勇気が要ったことを申し添えておこうと思う。

そんな父と母であった。

今日も、父に電話した。

私「お父さん、元気ぃ?」
父「おう!」
私「今日は何してたん?」
父「さっきな…あれ、誰やったかな?…ほら…(数秒考えて)織田裕二や!織田裕二がな、ここに来てん!」
私「そうなんやぁ。すごいな!」
父「な!びっくりやろ?ほんまに来たんやで!」
私「へぇ!織田裕二格好よかった?」
父「そうやなぁ!結構格好良かったで!」

(しばらく2人で会話する)

「じゃあ、また明日電話するね!」
「うん!……かお、あのな……」
「なぁに?!」

「お母さん、頼むな」

❤️ズキュン🩷

「お母さんね!わかった!しょっちゅう連絡取って、家にも帰るようにするから、大丈夫やで!」

父が、電話の向こうで、安心したように笑っている気配を感じた。

私は、この優しい父が、昔から大好きなのだ。

父は誤解されやすい。

何ていうか、「言葉が足りない」。

そして、その気質は私に濃く受け継がれている。

だけど、私も、死の淵にいつか立った時、そばに居る人に、

「あの人は優しい人だったね」

と言われるように、生きていきたい。

1988年夏
関西サイクルスポーツセンター(河内長野市)にて。
父と私。

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