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重たさ

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生についての見解
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パラドックス

パラドックス

 部屋の鍵を閉め忘れていたのか、在宅勤務中の僕の部屋に女子中学生が入ってきた。左手にスーパーのレジ袋をぶらさげている。
 毛の細い髪質、色白の肌、見据えるような冷たい目線、薄い唇。つまらなさそうな表情で、その子はつかつかと部屋の奥へ進む。
 誰だったか、顔つきが知り合いに似ている気がしたけれど、この子に面識はない。女性の知り合いすら少ないのに、中学生となると、もっとない。
「え、何々。きみ、誰……

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重たい

重たい

 部屋にイヤホンを忘れていた。
 出かける前に確認しなからこうなるのだ。電車を待つ人の列の中で気がついたもんだから、今更引き返すこともできなかった。
 磯子行きの電車がホームにぴたりと停車して、乗り込んだ車両には男子高校生がすでに数人で乗車していた。彼らは所構わずといった感じで立ち話をしているものだから、彼らの会話は嫌でも耳に届いてくる。
「俺、グラビアのおっぱいより好きな子のおっぱいのほうが好き

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オトリカエ保険

オトリカエ保険

 保険屋の男性営業が家に来た。いくら邪険にしても、顔色一つ動かさず食い下がってくる。
 聞けば、死亡または治療不可な怪我をした場合、保険金が降りるのに加え、新しい『本人』と交換できるらしい。しかし――。
「非人道的だ。警察に……」
「お待ち下さい」
「……」
「あくまでもご提案にございます。ご入用とお見受け致しましたので……」
 確かに、必要だった。半年前に娘が怪我をしていた。バレエに打ち込んでい

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金のなる木

金のなる木

 ある時、道端に腰掛けていた商人があるものをくれた。
 鉢に入った小さな苗木。商人は受け取った苗木の鉢を指差して「毎日水を欠かさず与えなさい。今に面白いことが起こるから」そう言って、後は何も話さなかった。
 その日から私は、毎日欠かさず苗木に水を与えた。
 苗木はすくすくと順調に育った。そのうち鉢の狭さに窮屈そうにしていたので庭に移して育てた。
 苗木は庭に移してからも順調に背を伸ばし、10年経つ

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きれいごと

きれいごと

 お母さんは最近「●●様がいちばん偉い」と云って、聞かない。けれどもこんなこと、学校の同級生に言っても信じてくれないし、もし信じても、わたしはあたまの悪い子は好きじゃないから、話さない。
 お母さんが●●様を信じ始めてから、お母さんは洗濯しなくなった。ゴミも出さなくなって、ご飯も作ってくれなくなった。お母さん、と声をかけても返してくれなくなった。いつもなら笑ってくれたことも、笑ってくれなくなった。

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殺したあと

殺したあと

 事の起こりはなんてことないことだった。
 十二月九日。高層マンションのひと部屋で不倫した彼を刺した。助けてくれ! 部屋から飛び出して叫び散らした彼を追い詰め、また刺した。
 騒ぎを聞きつけた人の群れに見つかり、上階へ逃げていくうち、外へと身を投げていた。
 身を投げた瞬間の、ぱっと血の気が引いていく感覚を覚えている。頬に当たる逆さの風の感触を覚えている。風になびいた前髪がめくれ、目前に敷き詰めら

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仲良くなるには

仲良くなるには

「仲良くなるには、共通の敵を作ることです」
 三日月のようにうつくしい弧を描くふとい角をゆったりと左右に揺らしながら、悪魔はささやく。午前四時の自室で、幼馴染に振り向いてもらう方法を訊ねた。街灯の青白い微光が差す仄暗い箱の中で、悪魔の口から乾いたわらいが漏れる。
「そうか、そうすれば……」
 だが、どうやって。
「どなたか、嫌いな人はいらっしゃいませんか」
「嫌いな人……」いる。隣のクラスの堀倉。

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不老不死

不老不死

「きみ不老不死を羨ましいと思うか」と彼は云った。枯れ木のような男だ。赤茶けた身は細いのに関節ばかりが節くれだって、あんまりみていて気分のいい男ではなかった。
「もちろん」僕は答えた。「死に対する恐怖の超越は、人類の悲願だからね」
 それを聞いた彼は含み笑いするような様子で下を向いた。

「結局生きる意味なんてないのさ」と彼は吐き捨てるように云った。
「ひとはどうせ死ぬのさ。だけどね、ああ、僕らは今

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苦味

苦味

口の中が苦く乾いていた。
 心臓に釣り針が幾本も食い込むような感覚がいつまでも抜けず、釣り針はそれぞれ引っ張り合うこともなく心臓の肉に食い込み、かみつき、しまいに肉から針の先が見え、血が滴る。
 寄るべない寂しさやら恥ずかしさが、薄桃色の、ビー玉ほどの大きさの玉になって喉につかえた。心臓に釣り針が幾本も食い込むような感覚がいつまでも抜けきらず、釣り針はそれぞれ引っ張り合うこともなく心臓の肉に食い込

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鈍感

鈍感

 盆を過ぎ、駅前の夜はじっとりとした熱気の中にあった。拭えぬ湿気の中に漂うたばこの匂いが鼻に当たり、目前を歩く中年の男が手に差した小さな赤い光に視線が当たる。男が歩くたび、腕が振れて赤い点が暗い中で明滅する。僕はシーツやらTシャツやら何やらがぎゅうぎゅうに詰め込まれたIKEAの青いキャリーバッグを手に歩いていた。街灯が道路脇に植った低木の葉々をぼんやり照らし、その景色が歩道を沿っていた。低木の導く

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泳ぐ

泳ぐ

実家では臆面もなく放屁できて、それでひと笑い起こせたり、近所の田んぼの中にある墓石がぽつんと建っている景色とか、その周辺の田んぼに波打つ泥の轍とか、雨風に晒されたせいで褪せた〈川で遊ぶと危ないよ〉の看板とか、七年前から変わらない風情に現在の自分の抱えたしがらみや鬱屈を二重写しにして眺めてみた。その映像は今でも変わらない風景の中に溶け込めず、圧迫するような形のない焦りがちくちくと内臓をつつき回す。

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川人博著『過労自殺』自ら命を断つということ

川人博著『過労自殺』自ら命を断つということ

※本記事はヘビーな表現を含みます。あらかじめご了承ください。

自殺志願者は人の意見を聞こうとしない。
「一人で悩まず相談してね」とか「自殺専用ダイヤルは何番」とか世間の皆さんは自殺を止めようとしてくれるけど、ほんとに死のうと思ってる人は、わざわざ、電話したり、相談したり、しない。「周りに相談できなくて死んだ」んじゃない。相談したくなかった。自分がいなくなれば一番いい、自分の考えが絶対正しいんだっ

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駄堕

駄堕

 人生は後悔だ。
 気に入りの皿を割ってしまった今朝とか、勉強を放って遊んでいた過去とか、自分可愛さに吐いた嘘とか、故人に言えなかった言葉だとか、好きよ、なんて言い合っても数ヶ月後には倦怠抱えたり、意図せず殺してしまった虫に今更慈悲かけたり、老いれば若いうちにできなかったことを悔い始める。
 くだらないもんだ。
 人間なんてのは薄情なもんで、気紛れに湧き出る利他主義によって他者と関係を繋ぐ生き物の

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【有料】生活と平穏

【有料】生活と平穏

 同級生が捕まった。画面越し、唐突な再会だった。まっさきに浮き出た感情は懐かしさで、その感情に引かれるように、警察車両に乗せられる彼の茶色くなった頭を見ていた。帰宅途中の女子大生を誘拐したのち殺害したらしい。いまいちぴんとこなかった。彼が? まさか。

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