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雑記 今年の終わり編
「みんなで楽しく読んでもらえる、ほのぼのした文章を書いていきたいな。」なんて腑抜けたこと口走るようになったのは今年になってのことでした。ぬるい。生き方がぬるい。社会に対する感性と態度がぬるい。羽のついた豚みたいにあちこち駆け回っては、炭酸の抜けた常温のサイダーで喉を潤す。そんな完全でも清浄でもない日々の生活の連続の中に、何か新鮮なまま保ち続ける価値のある光彩、あの無言のまま列をなして窓の外を通り過
もっとみる勝手に和訳シリーズ②ランボー
私が文学者の卵として最も影響を受け、今なお愛してやまない異端の詩人、アルチュール・ランボー(1854-1891)がわずか18歳にして書いた後期韻文詩から特に好きなもの。ランボーは16歳から20歳になるまでの間に仏文学だけでなく、世界中の詩の伝統をひっくり返した後、残りの生涯で二度と筆を取らなかった奇才です。私が古代ギリシャから近世フランス文学にいたる文学史を研究することに決めたのも、ひとえに彼の
もっとみる勝手に和訳シリーズ1 『黄昏のなかに』
ドイツ屈指の抒情詩人アイヒェンドルフの作品。
1948年に最晩年のR•シュトラウスによって、「4つの最後の歌」中でオーケストラ伴奏付きで歌曲化された。長い激動の人生を噛み締めるような静謐さ、憧れに満ちた哀しげな旋律、そして何よりも、淡い回想に浸りながら喜びも苦しみもその全てを受け入れて、すぐそこに迫り来る自らの死を、後ずさりせずに見つめ続ける彼の魂の強さが浮かび上がる。
原文では四行連のうちに
カマキリと鴨について(抜粋と英語から翻訳)
土曜日の夜は、おそろしいほど静まり返っていて、耳をそう澄まさなくとも、庭を湿らすスプリンクラーの涼しそうな音が聞こえてくる。三日月の絹のような光が窓から差し込んでくる。考えることなど、フランス語の文法や、銀行の書類のことなどひどくつまらないものしか浮かんでこない。しばらく談話室の暖炉のそばの小さなソファーで、午後に図書館から借りて来たレイモンド・チャンドラーの「大いなる眠り」を読んでいたが、ちょ
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