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鎌倉

先日、鎌倉の方へ下ってきた。これといって目的も無かったのだが、ふと電車に乗ってどこか遠くへ行きたくなる。平日の車内はがらんどうで、吊り下がった週刊誌の広告がエアコンの風に静かに揺れている。前に訪れた時もこんなぐずったような灰色の天気であったかと回想しつつ、持ってきた本を読み始める。ジャック・ケルアックの「路上」。時は1950年代半ば、ベトナム反戦運動の高まりとともに新大陸の若者たちをヒッピー文化一色に染め上げ、今なお青春のビートニクバイブルとして引き継がれているこの名作。照りつける真っ赤な日差しと燻んだ茶色の中西部。僕はヒッピーが嫌いじゃない。男たちは自由と永遠を求めて限りある若さを消費していく。ジェームズ・ディーンがもう少し長生きしていれば彼が如何に素晴らしくその情熱の往復を映像化してくれただろうかと想像していると、これが旅好きにとってどれだけ不運な時節なのかを考えさせられる。この冒険譚の舞台とは似ても似つかない私鉄の車窓を眺めつつ、今年は紫陽花すら拝めそうないとがっかりした。

 いざ着いてみると、案の定小町通りなどはひどく閑散としている。全体的に味気に欠け、吹き込む湿った海風に消え掛ける松明のようであったが、まだ親しい友人と一緒であったから助かった。通りの角にあった小さな帽子屋で試しに真っ白なボーラーハットを乗っけてみた。ちょっと白洲次郎みたいだ。ひどく滑稽で楽しかった。私にはどうもハイカラすぎて似合わない。

 しつこい湿気と客引きを後に、我々はそそくさと江ノ電へと乗り換え、極楽寺で降りた。この都市は確かに歴史は日本初の武家政権(定義にもよって変わるみたい。そこは勘弁。)へと遡るが、北条の滅亡後はすっかり放ったらかしにされていたらしい。やはり京都ほどの自負というか、気負いというようなものはないらしく、個人的にはこの箱庭の感覚が気に入っている。

  初夏の極楽寺はその謙虚で素朴、それでいて力強い山門で私たちを出迎えてくれた。心休まる静かな境内はいつ来ても新しい発見がある。木漏れ日差す参道を歩きながら、昨年訪れたタイのバンコクにて大きな涅槃仏を見たのを思い出す。一目見てがっかりした。つまらぬ像である。ワット・ポーにあるその黄金の仏は確かに存在感は申し分なく、信仰の象徴として十分なのだろうが、無駄に金銀をあしらった豪奢な仏閣と装飾はどことなく世俗の臭みを匂わせ、ひどく趣のないように感じられた。無論、単なる私の審美的判断であるからそれが国宝でも結構なことだし、その価値は揺るぎないものである。やはりそれでも、この極楽寺と比較して、同じ仏教美術でもそのドグマの解釈には差異があるのだと思わずにいられなかった。

 暫く観て回り、坂下で感心するほどに手の込んだ昼を出すらしいカフェに入る。どうやら食パンに拘っているらしい。おいおい、トーストに千円も出すのかと驚いたが、食べて納得。味も良かったが面白いニッチだなと思った。

 気づけばふと晴れ間が顔を出す。このところ毎日雨が降っていたので、心身ともにすっかり参っていた。少し砂浜へと足を伸ばす。妙な気持ちに引き込まれるほど青い海であった。名前も知らぬ鳥が宙を舞っていた。二つの青のその霞んだ色の濃淡は、視線の遥か奥の方で幽かに揺れる白線を境に、押したり引いたり揺れている。足元に届く小々波を見ていると、「海は広いな、大きいな」のメロディーが頭をよぎってなんだかとっても単純な自分を考えた。小さなボタンの一つでも落ちていれば、波の彼方へ投げ込んでやったものを。江ノ島の海が閑散としていると、こうも落ち着きのないものか。

 長谷の山寺の入り口で、入山料を払って中に入る。この「入山料」という言葉は好きだ。英語なら"Entrance Fee" とでもなるのだが、こんなに趣のないことはなかろう。城に入るのも寺に入るのか、庭に入るのか学びに入るのか、漢字文化も厄介だがなかなか悪くない。こないだ漢字廃止論の論説をちらっと読んだが、まあなんとも説得力に欠ける。なんなら私は、いつまでも古い定型を使いまわしてないで、新しい漢字でも作ったらどうだ、とすら思う。カタカナとゲルマン語の造語力に頼りすぎるのも情けない感じがする。

 人が集まらないようにと、悲哀なほどきれいに刈り込まれた朝顔の切り口を横目に息も切れ切れに階段を登ると、十一面観音像はそこにあった。

 視界の縦いっぱいに広がる細頸な滑らかな曲線とその我々を超越した何かを見つめる瞳。私は以前そこに行ったことがあるし、あれを拝んだのは決して初めてではなかったのだが、私は数秒間本気でそれを見入ってしまった。

 階段を降りながら考える。瞬間的に私が知覚したのは、その圧倒的な存在感でも精緻な造り込みでもなかったと反省する。それはいわばある種の信仰心と礼拝的態度の入り混じったようなものであった。昔、ロンドンでなにがしのイタリア画家の描いた「受胎告知図」を観てひどく心を打たれたのを思い出す。青の象徴性がなんだとかくだらない理性が口を開く前に、非常に神秘的な圧倒が私を飲み込んだ。きっと我々がこうした宗教美術を目で知覚する際に、そこに嘗て世界を支配していたものと同じような信仰も、無批判な受容も無い。それらは死に絶えて久しく、それはどうしようもないことだ。しかし、こういった作品は過去の宗教の形骸化した表象ではありえないと思う。確かに、我々の殆どは死して阿弥陀様がどうとか、輪廻転成がどうだとか、私も形式的にはクリスチャンなのであろうが、聖母マリアが処女懐胎したなどと日常的に信じてはいない。

 ただ、それらがこうして我々に「美しい」という感じさせ、そこに何かの意味を感じ取っている限り、私たちは何かが来迎し、何かに告知されることを信じるのである。思い返せば、自分の審美的な経験には殆ど必ず礼拝的な態度が伴っていた。宗教心は我々の心の不可分な一部であり、「盲腸のようにぶら下がっている訳ではない」のだ。そこに言葉が闊歩して来るような隙間は無かった。

 昔、小林秀雄がなぜ古代の土器を熱中して集めていたかを振り返る一節を読んだことがある。「私を屡々見舞って、土器の曲線の如く心から離れがたかった想いは、文字という至便な表現手段を知らずに、いかに長い間人間は人間であったか」。文字が多くを語るようになってからそう長くはない。土器は土、火などの自然の性質に限りなく随順し、余計な気遣いをせずに、心のかたちを、そして人間の性質のもっとも恒常的で揺るぎないものを体現する。言葉などの不安定でコロコロと気の変わるようなものは信頼に足らないとみる。例の観音像にもまさにそれが当てはまった。 

 造物は、宗教画は、語らない。観音像も仏教のドグマに対し、肯定も否定もしていない。それは試しているのだと思う。その時代を定義してやるという自負を背負った宗教的権威が、我々が生得的にもつ崇拝的な態度や憧憬的な心の色合いをどれだけ実体化して偶像崇拝的な態度を生み出せるのか。価値を生み出すのはそこではないか。仏の目は実によく監ている。

 長谷を出て私は電車に乗り込み、帰路に着いた。「路上」を読みながら考える。果たして当時のビートニクスは若者たちにどんなドグマ語ったのだろうか。セックスとドラッグ、そして体制への反抗という実体を持たない何かに審美的な経験を見つけようとしていたのか。過去というのは、考えれば考えるほど難しい。もっと勉強しなくては行けない。

まず久しぶりに墓参りでもしようかと、ふと思った。





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