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わたしの言葉の良いところ。
わたしは友人から相談されることが割と多い。
相談事ではなくても、日常の出来事を聞くこともよくある。
そして話し終わった時に、大抵の友人がこんなことを言ってくれる。
「千晴と話しているとまるでカウンセリングを受けたような気持ちになる。ありがとう。」
と。
そう言われると嬉しい気持ちになるのだが、同時に疑問に感じることもある。
ただ普通に話を聞いて、ただ思ったことを言っているだけなのに、どうして
プロフィールを変更しました。
プロフィールを変えてみた。
そもそもこのnoteは
父の闘病を近くで見ていることがあまりにも辛くて、気持ちをどこかに出したくて初めたものだ。
早く書きたくて仕方なくて、適当に『いと』という名前をつけた。
少し珍しい3文字の苗字をつけたくてネットで検索してみたが、『後醍醐』のような歴史感たっぷりなものが多くて諦めた。『後醍醐いと』って何だよ。笑
プロフィール写真は、幼い頃の自分にした。子どもの
ランドセルと里芋と。
83歳の伯父はいつもわたしを子ども扱いする。
畑でとれたじゃがいもを持ってきては
「ちゃんと芽を取って食うだぞ。」
と言い、
抱えきれないほどの菜っ葉を持ってきては
「色の悪い所は取って、緑の所だけ食うだぞ。」
と言う。
「分かってるよ。」
わたしはいつも苦笑い。
ほんと、わたしを何歳だと思っているんだろう。
伯父の中には、まだ赤いランドセルを背負った小さいわたしがいるに違いない。
先日
ボスチャイルドの復讐。
例えば目の前の人からこんな事を言われたら。
「今までありがとう。色々ごめんね。
これからは、あなたの人生を生きてね。幸せになってね。」
目の前の人が微笑んで自分に語りかけてくる。
そしてその語りかけている人物が、自分を散々酷い目に合わせてきた親だったとしたら。
これは先日、わたしが体験した実際の話。
その日は定期的に受けている心理セッションの日だった。
わたしはいつもに増して暗い顔をして
愛していたことの証明。
先日読ませて頂いたこの記事。
いつも記事を読ませて頂いている、間詰ちひろさん。
毎朝、noteを開き、間詰さんの記事を読むことがわたしの日課だ。
先日、お父様がお亡くなりになったことを記事で知り、何かコメントを、と思ったのだが、書いては消し、書いては消し、結局何も言えなかった。
ゆっくり悲しみを感じられますように。
勝手ながら祈らせてもらうくらいだった。
親が亡くなる喪失感と言うものは、言
「お金があっていいよね」という違和感。
最近ストレスを感じることが昔より少なくなった。
もちろん、悩むことやイライラすることもあるけれど、
それに日常を支配され、布団から起き上がることが出来ないようなことは、ほとんどない。
ストレス耐性が強くなったわけではないと思う。
単に、ストレスが溜まるような不快なことを避けているだけだ。
少しでも違和感を感じた人とは距離を置いている。
愛想笑いをして、人の話に合わせて、帰宅後ストレスを洗い流す