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寂しさの耐久レース。

夫と息子が一泊で健康ランドに泊まりに行った。
昨日の午前中に家を出て宿泊をし、
チェックアウトは11時なので、あと数時間もすれば帰ってくるだろう。

「ママも行けば?」
そう言われたけれど、温泉って、リラックスして疲れがとれると思いきや、意外と体力を喪失しがち。
熱いお風呂に浸かり、サウナに入り、息子のプールに付き合う。
昔からの『元を取らなきゃ精神』が出てしまい、次の日の朝もチェックアウトギリギリまでお風呂に浸かってしまう。

朝寝坊も出来ないし、昨晩のお酒が残ってしまう時もある。
いつも帰宅後はいつもベッドに横たわってしまうことが多い。

ということで、夫と息子、男二人旅となったのだ。(超近場だが)

宿泊前日、金曜の夜。息子がDVDを借りにゲオに行きたいというので連れて行った。
そこで、
(そうだ、わたしも一人で過ごす明日の夜のために何枚か借りよう)
そんな気持ちになり、数枚のDVDを選んだ。

選んだものは
『昼顔』『アントキノイノチ』『みんないい子』の3枚。
どれも映画館やDVDで見たことがある。

わたしの癖なのだが、見たことのないDVDを借りると、見なきゃ見なきゃ!とプレッシャーになり結局見ないで返却期限がきてしまう。
だから、今回はあえて見たことがあるものを選んだ。
これなら、流し見をしても、雑誌を読みながらでもいいだろう。
軽い気持ちで楽しむことが出来る。


思えば、一人で夜を過ごすなんて、何年ぶりだろう。
大学を卒業して、一人暮らしをしていた時以来だ。
15年ぶりくらい。

結婚してからも、夫や息子のどちらかがいない状況はあったが、二人ともいないのは初めてだ。

わたしはワクワクしてたまらなくなった。
一人きりの夜!どうしよう!何しよう!何食べよう!!


そして土曜の朝。
予定通り二人が家を出た。

わたしは洗濯をして、最低限の家事を済ませると、まずジムにいった。
土曜日のジム、これもまた初めて。
いつもの場所なんだけれど、なぜか新鮮な気持ちになる。

ひとしきり汗をかいて、帰宅後着替える。

このままダラダラとして、夜を迎えてもいいな。
そんな気持ちに一瞬なるけれど、それを打ち消すように「もったいないよ!」という自分の声が聞こえる。

そうだ、もったいない!どこかに行こう!本番の夜に備えてビールでも買わなくちゃ!

みかん一つを頬張り、わたしはまた車に乗った。
向かった先は本屋。
夜、じっくり読める本が欲しい。

休日の本屋。ここに夫や息子がいないのも、また変な気分だ。
急かされることもない。
ゆっくりと本を眺める。

「ママ!」

急に息子の声がした。
わたしはハッとして振り向いた。
そこには息子と同じくらいの年の男の子がいた。
近くにお母さんらしき人がいた。

かんちゃんがいるはずないか。

そう思って、また雑誌に目をやった。

その時、少しだけ自分の中に違和感を感じた。
あれ?なんだか、寂しいなぁ……
そんな感覚に一瞬陥ったが、そこでは一人きりの夜をまだ待ち望んでいた。

結局本は買わなかった。

ドラッグストアに寄って、晩酌用のお酒を買った。
もっと、一人を満喫できるような、息子や夫がいたら食べられないようなものを買おうと思っていたのに、結局それも買わなかった。

代わりに買ったのは、サランラップとアルミホイル、卵。
どれも家で切れていたものだ。

本屋で感じた一瞬の寂しさを、サランラップと卵が埋めてくれたような、そんな感覚だった。

家に帰ってきた。
まだ午後2時。

まだ2時か……
長いなあ……

あの時に感じた一瞬の寂しさは、少しずつ膨れあがり、無視出来ないような大きさになっていた。

今日はもう何も予定がない。
夕飯の買い物のために車に乗ることもない。
このままビールでも飲んでしまおうか。

そう思ったけれど、アルコールを飲む気も起こらない。

テレビをつけると、千鳥のノブの番組がやっていた。
わたしはお笑いが大好きで、ノブも大好き。

よかった、これで夜まで時間がつぶせる。

そう思って、こたつに入り、ノブの番組を見た。
もうその時は、昼間が早く終わって夜になってほしいと思っていた。
昼間の明るさが、寂しさを増長してしまうような気がしていたから。

午後16時。
携帯電話に着信があった。
夫からだ。
あ!かんちゃんからだ!

夫の携帯から息子がかけてきていることを何となく感じ取り、わたしは嬉しくなった。

「ママ?何してる?」
「夕飯は何を食べるの?」
「かんたたちは、今金目鯛食べているよ!」
「ふわっふわで、3cmくらいあるよ!」
「でも部屋がせまいよ」
「あとで部屋の写真送るね」

息子の嬉しそうな言葉に、
「そうなんだー!」
「よかったね!」
「写真待ってるね!」
そんな風に答えた。

電話は5分くらいで終わった。
少し心の寂しさが埋まったような気がした。

またテレビをみた。


17時過ぎ。
わたしは母を待っていた。

今日の夜を一人で過ごすことを知った母が
「夕飯、食べたいものある?
今日、安売りの日で、お母さんスーパーに行くから、ついでに何か買ってきてあげるよ。」
と言ってくれていたのだ。

「じゃあ、お寿司!」

わたしは母にリクエストをした。

17時10分。
17時20分。

お母さん、まだ来ないなぁ
お母さん、まだかなぁ

何度も何度も玄関を見て、車のヘッドライトがガラスから入っていないかを確認する。
ワゴンアールの音がしていないか、耳を澄ます。

まだ来ていない。

わたしは携帯電話を手に取り、Yahoo!で
『お母さん』『早く来ないかな』と検索しようと思った。

いやいや、それはヤバイだろ!
また、どこかから自分の声が聞こえてきた。
検索はしなかった。

そこからすぐに、母が来た。

「ちゃんと食べなよ。ほら、朝ご飯も。
あとサラダもね。」

お寿司だけを頼んだはずなのに、そこには
イワシバーグや、コロッケ、付け合わせの野菜ミックス、朝ご飯用のサンドウィッチもあった。

ありがたいなぁ……嬉しいなぁ……

母が帰った後、わたしは玄関のカギを閉めて、忘れずにチェーンをした。
もう時間は18時近い。
外は真っ暗。

そう、ここからは楽しみにしていた夜が始まるのだが、一方で怖さとの戦いにもなるのだ。

一人の夜は、怖い。
深夜でも朝方でも、夫や息子が帰宅してくれる予定があるのならば、安心感はだいぶ違うのだが、今日は誰も帰って来ない。
正真正銘の一人。

実は、一人きりの夜が楽しみだった数日前に、Facebookでその気持ちを投稿しそうになったのだが、一瞬にしてそれは危険だと判断した。
『わたしはこの日、一人で家にいます』なんてことを、わざわざ世界に発信なんて、危険すぎる。

だったら、友人に個人的に連絡をしてみようとも思った。
夕飯の写真を撮ったり、一人で過ごす夜を実況してみたり。
でも、それもしなかった。

何となく、寂しさをどこまで耐えることが出来るか、
寂しさ耐久レースのような感覚だったのだ。

それは、いつか年の差婚の夫が先立ち、息子が一人立ちし、この家できっと一人になるだろう未来を想定しての訓練。

そう、実はいつもわたしは怖かった。
日常的に恐怖に襲われるわけではないけれど、ふとした瞬間に来る怖さ。

一人になったらどうしよう。
孤独に耐えることが出来るのか。

そんな不確定の未来を想像して、怖くなっていた。

数日前は、あんなに楽しみにしていた一人の夜は、わたしにとって、いつのまにか耐久レースと化していた。


DVDは結局二本見た。
本はあまり読まなかった。
お酒も2本で充分だった。
携帯は何度か手にしたけれど、
レースをしている以上、誰にも連絡はしなかったし、誰からも連絡はこなかった。

一人でお風呂に入って、22時過ぎ、ビートたけしのニュース番組が始まった頃、寝室に向かった。

カーテンを隙間なく閉めた。
誰かが覗いているかもしれないという恐怖を感じないために。
テレビをつけたまま、目を閉じた。
不明の物音が聞こえるかもしれない恐怖を、テレビ音で消してほしかったし、画面の向こうの人であったとしても、人の声に触れていたかった。

こわいな
ああ、さみしいな……

わたしは耐えきれずに、携帯電話を手にした。
開いた画面は、夫のLINE。

『おやすみ』

ただ一言、夫と、その近くにいるだろう息子にそう伝えた。
耐久レースを棄権した瞬間だった。

それは『おやすみ』なんかではなくて、『さみしいよ』のSOSだった。

夫からの返信はなかった。既読にもならなかった。

わたしはそのまま眠りについた。
自分の目に、少しだけ涙が溜まっていることを感じながら。

ただ一つ。
寝室にいた、写真の中の父の笑顔だけが
「千晴、おやすみな」と言って微笑んでくれた。

夜中に何度か目が覚めた。
でも目を開けることは出来なかった。
時計を見て、丑三つ時だったら、また恐怖で眠れなくなる。

37歳の子持ちのおばさんは、まるで小学生のようだった。


そして朝。
目が覚めると9時。
外が快晴なのが、カーテンの向こうから感じることが出来る。

ああ、朝になったんだ……

それはまるで、殺されそうな夜を必死に逃げ回り、生きて朝を迎えることが出来た戦士のようだった。

昨日母が買ってきてくれたサンドウィッチを食べて、洗濯機を回した。
当然だが、夫と息子の衣類はそこにはない。

洗面所の鏡を見た。
そこにうつる自分の顔を見た。
また寂しくなって、少し泣けてきた。

一人暮らしあるある、だろうか。
そういえば自分の声をずっと聞いていない、そう思って
たった一言声を出した。

「あーー」

と。
あ、声だ。音だ。肉声だ。
そんな気持ちになった。

そしてパソコンを開き、現在の時間13時。

「13時から競馬のテレビが見たいから、その頃には帰ってくるよ」

夫がそう言っていたから、きっともうすぐ二人が来る。

途中、棄権をしてしまったけれど、もうすぐわたしのレースは終わる。


このnoteには何度か書いたことがあるが、わたしの息子はたまに学校を休む時がある。

不登校、という感じではないけれど、毎日元気に外に出ていく子どもではない。

行きたくない、と泣く朝もあるし、登校したけれど、走って帰ってきてしまったこともある。

わたしは随分とこの息子の姿に悩んできた。

どうしたら他の子のように元気に学校に行ってくれるだろうか?
このまま家の中に閉じこもってしまったらどうしよう。

と。

悩むたびにカウンセリングを受けて、息子を受け止める力を養う努力をしたり、わたし自身が幼少の頃に感じた、学校でのトラウマを解決してきたりもした。

けれど、大きく我が家の状態が変わることはなかった。


今回、夫と息子がいない二日間を通してわたしは気付いたことがある。
それは

外の世界に羽ばたこうとする息子を引き留めているのは、わたしだ

ということ。


心理カウンセリングの世界ではよくあることなのだが、
クライアントさんの相談してくる内容と、腹の底で願っていることは実は全く違うのだ。

例えば、
『幸せになりたい』と思っていても
『幸せになんてなってやるか!』と復讐心に燃えていることもあるし
『わたしだけ幸せになんてなれない』と誰かに罪悪感を感じていることもある。

口で言うことと、無意識に腹の底で感じていることは全く違うのだ。

その場合、どちらが強いかと言うと、『無意識の腹の声』。
その声に従い、現実では必死に幸せにならないようにしている。
それに気づかず、頭や口は、見当違いの悩みを生み出しているのだ。


今回のわたしのこと。

ずっと『毎日息子に元気に学校に行ってもらいたい』
と口では言っていたものの、それが叶わないのは当然だ。

わたしの腹の奥底では
『ひとりぼっちにしないでくれ。
ママの傍にいてくれ。
離れないでくれ。
さみしくてたまらない』
とメソメソと泣きながら、息子の手を引っ張り自立を妨げていた。

寂しくて寂しくてたまらなかった夜。
将来一人になることを想像するたびに感じる恐怖。

それを感じないために、わたしは息子を手放さないことを決めていたのだ。

「このまま、家に引きこもってしまったらどうしよう」

なんて悩んでいたことが、ちゃんちゃらおかしい。

本当は、それを望んでいるくせに。

問題が解決しないのではない。
問題を解決したくないのだ。

自分の中の汚い本音に気付いた二日間の耐久レースだった。


だとしたら、本当に解決しなくてはいけない問題は何だろう。

依存関係か。
自分の生活を充実させることか。
親子の分離か。
もしくは夫婦関係か。

どれも当てはまるような感覚があるが、
「息子の不登校」は全くの的外れだったことは確かだ。


13時20分。

「かんちゃんいる?」

息子の友だちが遊びに来た。

「ごめんね、もう少しで帰ってくると思うから、そしたら家に向かわせるね。」

そう言った。

玄関の外には、彼を愛し、彼が愛する誰かがいる。
失敗があって、感動があって、人生がある。彼だけの。

わたしの身勝手な寂しさで彼に首輪をかけておくことは出来ない。

また、自分の新たな人生の課題を解決する時が来た。

そんなことに気付いた二日間の耐久レース。

サポートありがとうございます。東京でライティング講座に参加したいです。きっと才能あふれた都会のオシャレさんがたくさんいて気後れしてしまいそうですが、おばさん頑張ります。