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記憶の選別。

「記憶力いいね」

そう言われることがよくある。
学生時代の友人と会うと、思い出話に花を咲かせることも多いが、
そんな時周りから言われる言葉。

「よく覚えてるね!」
「あんた、そんなことまで覚えてるの!?怖っ!」


自慢といっていいだろうか。
いや、自慢と言ってしまえ。

わたしは、人の話を記憶する能力に長けていると思う。
話してくれた内容を忘れることは滅多にない。
それが重い相談内容であっても、下らない世間話であっても。

カウンセラーとしては役に立つ能力だったと思う。
前回話した内容を忘れてしまっては仕事にならない。


そんなわたしだけれど、もちろん忘れてしまっていることもある。
自分自身が心理カウンセリングを受けるとき、年齢退行して過去の記憶を遡るのだが、
わたしには保育園、小学校低学年くらいの記憶がほとんどない。
より小さい時の経験が、現在の生き辛さに影響を与えていることが多いから、覚えているに越したことはないのだが、記憶がないのだ。

カウンセラーさんに言わせると、
「あまりに辛くて、記憶から消去しているのかもしれないね。」
ということ。

そう言えば、心理学の講座を受けている時に、こんなことがあった。
ある授業になると、受講生の居眠り率が大きく上がるらしい。
それを先生は
「人は、辛いことを思い出しそうになると、眠ってしまうことがある。」
と言っていた。

自分の中にいる記憶管理人が、ささやいているのだろうか。
『この話は危険だよ』
『忘れていた記憶がよみがえってしまうかもしれないよ』
『寝ろ!寝てしまうんだ!』」
小さな彼女に支配され、身体は眠ってしまうのかもしれない。


そう考えると、記憶は全て、この管理人が支配しているような気がする。
「この記憶は、必ずいつか助けになる。記憶に残す、決定!」
「これは記憶として残しておくと、将来悲しむことになる。
忘れさせてあげよう。はい、消去!」

小さな彼女は、
わたしの人生をより幸せするために、昼夜を問わず記憶を選別している。


昨年父が死んだ。
これまで生きてきた37年の中で、一番と言っていいくらいショックな出来事だった。目と耳を覆いたくなるくらいの闘病生活で、いっそ意識を飛ばしてしまえたら、と思うこともあった。

わたしにとっては辛い出来事だったが、今もよく覚えている。鮮明に。
それは、まだその記憶が新しいから、というものではないと思う。
きっと何年たっても、何十年経っても忘れることはない。

記憶の管理人が
「決して忘れてはいけない。苦しむ姿の中に、生きる強さを見たのだから。」
そう思って残してくれたのだと思う。

戦争体験者が、何十年経ってもそれを記憶して語り継いでいるのは、同じような理由なのだろうか。
記憶に残しておかなければいけない何かが、そこにはあったのだろう。


でも、納得できない記憶の選別もある。
よく言われているのは、いじめの被害者は、ずっとその出来事を記憶しているのに、加害者はすっかり忘れてしまっている、というもの。

あれは一体何なんだろう。
加害者こそ、記憶していなけばいけないことなのに。
管理人の意図が分からない。


わたし自身が、幼少期の頃の記憶がすっかり抜けているので、息子もきっと忘れているだろう、と思いきや、
夜布団の中で話す彼の話に驚くことがある。

「たくさん雪が降ったあの日、かんたは、ボンタンアメを食べていたよ。」

そう言えば、オブラートにはまっていた時があったね!
彼の記憶力に驚く一方、わたしがメンタルバランスを大きく崩していた時でもあったので、彼に言った冷たい言葉と態度も覚えているのでは、と胸が痛む。


『記憶』

忘れたもの
忘れないもの
忘れたいのに、忘れられないもの
忘れたくないのに、忘れてしまったもの
忘れてはいけないもの
忘れるべきもの

忘れたほうが幸せなもの
忘れないほうが幸せなもの


それは自分で決めることは出来ない。
全て、記憶の国の管理人が決めている。

今頃、昨日の出来事の選別をしているに違いない。

さて、彼女は何を残し、何を消去するのだろうか。

サポートありがとうございます。東京でライティング講座に参加したいです。きっと才能あふれた都会のオシャレさんがたくさんいて気後れしてしまいそうですが、おばさん頑張ります。