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ランドセルと里芋と。

83歳の伯父はいつもわたしを子ども扱いする。

畑でとれたじゃがいもを持ってきては
「ちゃんと芽を取って食うだぞ。」
と言い、

抱えきれないほどの菜っ葉を持ってきては
「色の悪い所は取って、緑の所だけ食うだぞ。」
と言う。

「分かってるよ。」
わたしはいつも苦笑い。

ほんと、わたしを何歳だと思っているんだろう。
伯父の中には、まだ赤いランドセルを背負った小さいわたしがいるに違いない。

先日、袋一杯の里芋を持ってきた時もそうだ。
「煮方分かるか?出来るか?」
聞き飽きたセリフにわたしはまた笑う。

その晩、まだ泥がついたゴツゴツの里芋を洗って煮っころがしを作った。

翌日、いつものように我が家に来た伯父に
「昨日貰った里芋、煮っころがしにしたけど食べる?」
そう聞くと、
「作ったのか!出来たのか!おうおう、食う食う。」
と驚きながら答えた。

小皿に2,3個の里芋を乗せて手渡すと、

「こんなに上手に出来たのか。
千晴、こんなに上手に出来るようになったのか……
大したもんだ、大したもんだ。
おお、旨い。旨くできたなぁ。」

と目を細めた。

わたしの煮っころがしがあまりにも嬉しくて、
帰宅後伯母にもそれを報告したらしい。

「お母ちゃんに
『千晴が上手に煮っころがしを作れるようになってよ』って言ったら
『千晴も大人になっただなぁ』『千晴も、お母ちゃんになっただ』ってびっくりしてたよ。」

玄関先で遠くを眺め、そう言った。

伯父の中に居た赤いランドセル姿のわたしが
家族のために煮っころがしを作る大人へと成長したのだろう。
それ以来、伯父は何一つ心配を口にすることはなくなった。

子ども扱いされていたことに、ずっと気恥ずかしさを感じていたわたし。
不思議なもので、それがなくなると寂しくなった。

ああ、本当は、わたしが子どもでいたかったんだな。
心配されて守ってもらって頭を撫でてもらっていた、あの頃のわたしでいたかった、ずっと。

ランドセルを背負い続けていたのは、実はわたしだったんだ。

こんな気持ちになるならば、作らなければよかったな、煮っころがし。

まさか里芋がランドセルを下ろさせることになるなんて。

「旨いなぁ」と微笑む伯父を見る喜びと、子どもであることを手放せない葛藤。

里芋とランドセルの狭間で、わたしは大人になっていく。










サポートありがとうございます。東京でライティング講座に参加したいです。きっと才能あふれた都会のオシャレさんがたくさんいて気後れしてしまいそうですが、おばさん頑張ります。