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心配性の息子

9歳の息子は心配性だ。
そんな小さなことでそんなに心配になるの?と思うくらい。

例えば、放課後友達と遊んでいた時のこと。
息子はドラゴンボールのカードで遊んでいて、他の友だちはサッカーをしていたそうだ。
そんな中、一人の子が蹴ったボールが道路に出てしまい、車がそれをよける、ということが起こったらしい。
それ自体は非常に危ないことだし、誰一人ケガがなくてよかったのだが、そこから息子の心配がはじまった。

「ママ、どうしよう。
A君とB君が遊んでいたサッカーボールはね、俺のものなの。
ボールには俺の名前が書いてあるの。
もしも、車を運転していた人がその名前を見ていて、学校に言ってしまったら、明日校長先生や担任の先生に叱られるかもしれない。全校集会で怒られるかもしれないし、給食の時間の校内放送で怒られちゃうかもしれない。」

そう言って見せてくれたボールには、豆粒ほどの大きさで書いた息子の名前が。

「こんなの見えるわけないじゃん!」

そう言ってわたしは笑うが、息子にとっては笑い事ではない。
涙を流しながら不安と心配をわたしにぶつけてくる。
わたしは彼を抱きしめながら言った。

「いい?
まず、あなたはサッカーをしていなかったんでしょ?
何も悪いことはしていないじゃない。
こんなに小さな字は、絶対に運転手の人は見えないし、もし見えていてそれを学校に報告したとしても、『僕はやっていない』って言えばいいの。
そして、これからボールが道路に出そうなところでサッカーをしている友達がいたら、『危ないよ』って言えばいい。大丈夫だよ。」

「今日だって、まさかボールが道路に出るとは思わなかったんだよ。
友だちも道路沿いでやっていたわけじゃないし、それに俺はカードを見ていたから、よく分からなかったんだもん」

「そうかそうか。
大丈夫大丈夫。ママの目を見て。絶対に大丈夫。」

わたしは息子の目を見て、そしてギューっと抱きしめた。
しばらくすると安心感に満ちた彼は、わたしの手から離れていった。

息子の心配性は、きっとわたしに原因があるのだと思う。
わたし自身が心配や不安をよく感じる性格で、自分が安心したいがために彼によく言っていたのだ。
「こんな事をすると〇〇になっちゃうよ」
「本当に大丈夫?」
「〇〇になったらどうするの!」
「危ないよ!」
こんな言葉を言われ続けたら、物事を心配してしまうようになるのは当然だ。

『怖い時や不安な時、母親に抱きしめられ安心を覚えた子どもは、大人になるにつれ、今度は自分で自分を安心させる能力を育んでいく。あの時、ママがくれた温かさを、自分に与えられるようになっていく』

心理学でこんな事を習った。
彼がいつまでも不安を手放せないのは、自分で自分を安心させる力が備わっていないからだと思う。当然だ。その方法を母親から教わっていないのだから。そればかりか、彼は親の不安を背負わされ続けてきた。未熟な親であったことを反省するばかりだ。

今は、彼が不安を感じている時は優しく抱きしめ、目を見て安心させ、温かさを伝えるように努力している。
本当は赤ちゃんやヨチヨチ歩きの彼にこそ、与えなければいけなかったのだが、過去を悔やむのではなく、9歳の息子に今出来ることを、と。


昨日は、舌にボツボツが出来たとまた心配になっていた。
これは病気ではないのか?大丈夫なのか?
いつものように不安になる息子。

「ママどうしよう」
「病気じゃないよね」
「ママの言葉を聞いて安心したいの」
「ママ怖い気持ちを無くして」

『ママの言葉を聞いて安心したい』
そう言ってくれた息子。
少しずつ、彼に温かさを与えられる母親になってきているのだろうか。

「大丈夫だよ、大丈夫。
ママが抱っこすれば、心配はなくなるよ。
ママが怖い気持ちを全部すってあげるからね。」

わたしは彼を抱きしめる。
もう背も越されそうなくらい大きな彼を。




サポートありがとうございます。東京でライティング講座に参加したいです。きっと才能あふれた都会のオシャレさんがたくさんいて気後れしてしまいそうですが、おばさん頑張ります。