金目鯛の思い込み。

お気に入りの健康ランドがある。
結婚前から夫と二人で宿泊をしていた。
息子もまだハイハイをする時から連れて行っていたので、割と長年の常連客だと思う。

温泉施設ももちろんのこと、何より夕飯が美味しい。
清水港でとれたしらす・さくらえび。
金目鯛の煮つけやマグロの刺身。
お酒とともに、これらを食べる時間。日頃の疲れは一気に吹き飛ぶ。

けれど、先日この美味しい料理が食べられない日があった。

その日、息子に付き合ってプールに長時間入っていたせいだろうか。
温泉でいくら温まっても身体が寒い。
脱衣所でドライヤーをしている時に、吐き気と寒気に襲われ、
これはご飯を食べられる状態じゃない、
そう思って部屋のベッドで横になった。

食事処でいくら待ってもわたしが来ないことを気にして夫から着信があった。具合が悪いことを伝えると、「幹太と先に食べているね」とのこと。

わたしは布団にくるまり、ブルブルと震えながら苦しんでいたのに、
夫と息子はそれ以来電話をかけてくることもなければ、部屋に様子を見に来ることもなかった。
男二人でご飯を食べ、ゲームセンターでコインを出しまくり、カラオケでハッスル(死語か)。

少し具合がよくなってきたわたしは、ベッドから起き上がり二人の元へ向かった。そこで息子が興奮しながらわたしに言ったこと。

「今日食べた金目鯛、超厚くて3センチくらいあったよ!
ふわっふわで、味が染みてて超美味しかった!」

よほど美味しかったのだろう。とても喜んでいた。

けれど、そこから少しずつ方向が狂っていくのだ。

たまたまママがいない日に食べた金目鯛が美味しかった。

ただそれだけの事実なのに、息子の中で

ママがいないと金目鯛が美味しいんだ!

という方程式が出来上がってきたのだ。
いつの間にか、
「ママがいないと、ほんと金目鯛が美味しいんだよ!」
と言うようになった。

なんじゃそりゃ。
ママ関係ないだろ。
わたしはそう笑った。


今月、男二人で宿泊に行き、わたしは留守番をしていた時のこと。
彼らが夕飯を食べている時間に電話が鳴った。
そこで息子はまたもや興奮してわたしに言った。

「今日の金目鯛も最高だよ!
やっぱりママがいない日の金目鯛は当たりだよ!」

やっぱり、とは?

たまたまママがいない日の金目鯛が美味しかった。

ママがいないと金目鯛が美味しい。

やっぱりそうだ!ママがいないと金目鯛は美味しいんだ!

こんな風に、彼の中の方程式がどんどん強化されていたのだ。

こうなってしまえば、もうその公式は変わることはない。
ほんの少し薄いものが出ても、味は最高だった!と言うだろうし、
あまり質が良くないものが出ても、彼はそれを『たまたま』だと言うだろう。
わたしが一緒にいる日に、いくら美味しいものが出ても『でも、ママがいない日の金目鯛のほうが美味しかった!』と言うに違いない。

どんな金目鯛が出ようと
ママがいない日=おいしい金目鯛
が変わることはないのだ。


ああ、こうして思い込みというものは出来上がっていくんだなぁと思った。

『大人になってからの生き辛さは、幼少期、自分で作った思い込みに由来する』

散々心理学講座で習ってきたことだ。

わたしはその言葉を恐れ、何とか息子が変な思い込みをしないように気を付けてきた。

「男の子なんだから泣かないの!」と言えば、
『感情を出してはいけないんだ』と思い込んでしまうかもしれない。

病気の時に過度に優しくしたら
『風邪をひけば、人から愛情をもらえるんだ』と思い込んでしまうかもしれない。

彼が将来辛くなるような決断(思い込み)をしないように、と思って接してきた部分が少なからずある。

けれど、今回の金目鯛の一件で、わたしはそれを諦めた。

ああ、無理だな。
親がどんなに気を付けても、子どもは勝手に思い込んでしまう。
それがいくら偶然の出来事でも、何も確証のないことでも。
わたしは、彼をただ見守るくらいしか出来ないんだな。

そう感じた時、自分の中の力がふっと抜けた気がした。
あの子の人生をどうすることも出来ないのなら、心底信じてあげよう。
そう心に決めた。


これからもわたしがいない日の金目鯛はとびきり美味しくて、
わたしがいる日は、いくら美味しくてもあの日のものには敵わない。

ああ、不思議な彼の思い込み。
不確実で、でも彼にとっては100パーセント当たる思い込み。




サポートありがとうございます。東京でライティング講座に参加したいです。きっと才能あふれた都会のオシャレさんがたくさんいて気後れしてしまいそうですが、おばさん頑張ります。