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ボスチャイルドの復讐。

例えば目の前の人からこんな事を言われたら。

「今までありがとう。色々ごめんね。
これからは、あなたの人生を生きてね。幸せになってね。」

目の前の人が微笑んで自分に語りかけてくる。

そしてその語りかけている人物が、自分を散々酷い目に合わせてきた親だったとしたら。


これは先日、わたしが体験した実際の話。


その日は定期的に受けている心理セッションの日だった。
わたしはいつもに増して暗い顔をして部屋に入った。
そしてセラピストさんの笑顔を見た途端、涙がどんどん溢れてきた。


ずっと心理を学んできた。
ずっとセラピーを受けてきた。
受けた直後は楽になったような気がする。
でも、またいつもの生き辛い日常に戻ってしまう。

たくさんお金をかけても、たくさん時間を使っても、何をしても誰を頼っても、頑張っても頑張っても、現実は変わらない。

セラピーを受ける数日前からそんな気持ちに襲われていた。

その原因が何なのか、一体わたしは何を変えたらいいのか。

「こんなんじゃ嫌だ!本当に幸せになりたいんだ!」という気持ちと
「何をしても、もう駄目なんじゃないか」という絶望感の狭間にいた。


わたしの話を聞いて、考えつく原因を一緒に探ってくれたセラピストさん。
話し始めて10分くらい経った頃だろうか。
わたしの前に、一つのパイプ椅子を出してきた。

「これ、お母さんね」

そう言って、母がそこに座っている感覚をわたしに与えた。
続けてこう言った。

「千晴、今までごめんね。
これからはあなたの人生を生きてね。幸せになってね」

彼女は母が言っているように、わたしに言ってきた。

多くの人は、ここで涙するのだろうか。
ずっと嫌な思いをさせられてきた母親から、こんな優しい言葉をかけられたら、全てが水に流れるような温かい気持ちになれるのだろうか。

わたしは違った。
震えあがるほどの怒りが体中に沸き上がった。
いつの間にかこぶしを握っていた。

「……ふざけんじゃねぇよ。何が幸せだ。
そんなもの、なってたまるか。
幸せになったら、お前はまた『わたしの子育てがよかったから』だと言う。
お前の手柄になんて一生させない。
不幸になって、お前に恥をかかせてやる。
自分がやってきた子育てを一生悔やませてやる。」

わたしの口から出てきた言葉。
ニュアンスも、言葉遣いも、大げさに書いたわけではない。

数十分前まで、しおらしい涙を流し、
「どうしたら本当に幸せになれるんでしょうか?」と言っていた口から出た本音。

これこそ、わたしの腹の奥底からの声だった。
その声は「幸せになんてなってたまるか!」と母親への復讐心で満ちていた。

少し我に返った瞬間、セラピストさんと目を合わせて言った。

「原因、これだね」と。



インナーチャイルドという言葉がある。
心の奥にいる幼い頃の自分。

泣いている幼い自分もいれば、怖がっている小さな自分もいる。
心理セッションでは、そんなインナーチャイルドを慰めたり、抱きしめたりするのだが、
ずっと前にあるカウンセラーさんからこんな話を聞いたことがある。

「インナーチャイルドもたくさんいてね。
比較的すぐにご機嫌になってくれる子もいるんだけど、実は手強いチャイルドがいてね。
それが『ボスチャイルド』なの。
たくさんのチャイルドたちを牛耳っていてね、『オレは変わる気なんて全然ねぇよ!』ってあぐらをかいているの。
ボスチャイルドは、復讐心に満ちている『復讐チャイルド』なのよ」


わたしの中のボスチャイルド、復讐チャイルド。

「幸せになんかなったら、あの女の手柄だぞ!
絶対に幸せになんてなるな!不幸になって復讐しろ!
そうだ!息子の人生も使っちまえ!
学歴第一主義のあの女が一番こたえるのは『不登校』だ!
よし!やれ!」

自分の人生をつかって、さらに息子の人生までを利用して、
母へ復讐することだけを生きがいのようにして。

そう、大人になった今も、わたしの生活は、ボスチャイルドに牛耳られていたのだ。


「わたしはね、どちらがいいとか、悪いとか、そんなことは思わない。
復讐し続ける選択をしても、幸せになる選択をしても、千晴さんを尊重するよ。」

セラピストさんはこう言った。

「ただ言えることは、
『千晴さんを優秀な娘に仕立て上げて、自分の手柄にしていたお母さん』と
『息子さんの人生をつかって、お母さんに復讐している千晴さん』、
どちらも同じだね。
子どもの人生を自分の道具としか扱っていないね。」

こうも言った。

そして

「もし、『幸せになるんだ』という選択をしたならば、またお手伝いをさせてね。よく考えてみてね。」

と笑った。


帰り道の小田急線。
わたしはじっくりと考えた。
そして自分の中に居る『ボスチャイルド』と話し合った。

「これから、どうするか?」と。

考えているうちに、ある一つの光景が浮かんだ。

思い出した姿は、車椅子に乗る兄を押す母。

『人よりも優れ』『人よりも高学歴で』『周りから褒め称えられるような』
そんな子ども像を望んでいた母。

兄はその理想からは外れた。

人が出来ることは出来なくなり、24時間ではないけれど介護が必要な状態になった。

兄が事故をした直後は
「これで、親戚に負けてしまった」
と、耳を疑う言葉を母が発していたことを、わたしは忘れていない。

『復讐ボスチャイルド』の観点から言うと、
「大成功!ざまぁみろ!」というところだろうか。

けれど、年月を重ねるにつれて、そこに誤算が生じてきたのだ。

兄の車椅子を押す母の顔は、どこか誇らしい。
やたらと知り合いに兄の様子を話したり、介護の状況を説明したりするようになった。そこにわたしは違和感を感じていた。

そう、母にとって、兄の障がいは
『わたし、可哀そうだけれど、頑張っているよ』アピールのようになってきたのだ。

悲しみの高揚感に浸るように。



電車はもうすぐ最寄りの駅に着こうとしていた。

そんな母の姿を思い出したわたしは、ボスチャイルドと目を合わせ、こう言った。

「だめだ。あの人には無駄だ。
どんなに不幸になっても、それすらも自分の手柄にする。」

「そうだな、あいつにはかなわないな」

「仕方ない…そろそろ自分の幸せについて考えてみるか」

「そうだね、ここまで長かったね」

「これからは、自分のために生きよう」

「これからもよろしく」

そう言いあってお互い笑った。

そして、その時、もう母のことを憎んではいなかった。
「あんたには敵わないよ。
鉄の女だな。すごいよ。」
そう感じながら、母の生き方をほんの少し尊敬した。


ボスチャイルドは白旗をあげた。
母には勝てないことを突き付けられ、今はすっかり大人しい。


サポートありがとうございます。東京でライティング講座に参加したいです。きっと才能あふれた都会のオシャレさんがたくさんいて気後れしてしまいそうですが、おばさん頑張ります。