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【エッセイ】私と絵と詩と

 こんにちは(^^)いつも唐突に詩を載せてはその後、全く音沙汰ないのに突然親しげに「こんにちは(^^)」の挨拶が自分でも可笑しく思える、今日この頃です。

 今日は思いの外、気分がのったので私の詩作以外の作品=絵を載せてみたいと思います。と、その前に!私が詩に加えて絵も描くようになった成り行きを、頭の中のごちゃごちゃ達の整理整頓がてら、此処に纏めさせてもらいたいです。


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 かれこれ10年前、私は大学生だった。(←どうやら、ここからがエッセイのはじまり)15年前にはじめて詩を書いたどうのというエッセイを先日まとめましたが↓


↑この、はじめて詩なるものを書きはじめたその5年後、大学受験を終え、冬眠を終えたかの清々しい気分の私は、入学式の知らせに導かれるがままに、東京へノコノコとやって来る。夜行バスに乗り、時世は東日本大震災の直後、復興支援や混乱の中。東京がザワついている最中。今の自分なら、その状況下、東京で一人暮らしをはじめるのは怖いと思うんじゃないかと、普通にそう思う。しかし、その時の私は一切困惑せず怖いとも思わなかった。まさに自己中心で良い意味で若くて鈍感で阿呆。けれども、そのジコチューさを振りまいても誰の琴線にも触れない、それが、18歳。そのぬるま湯の心地良いことなんの。

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 ノコノコとバスを降り、ノコノコとその足で大学へ通いはじめた、徳島の田舎出身の私。そんなマイペースな自分が!!!都会で食う寝る遊ぶ、暮らしていくうち、ある感覚を手に入れることになる!!!(かなり大袈裟)

 それは、字にすると、とても地味だけれど、どうか!聞いてください、せえの!“目にものを魅せる事の楽しさ”でえす!文字や言葉だけに留まらず、視覚や色や大きさなどヴィジュアルを以ってして、気持ちを訴える、表現する。そんなエネルギーがこの世にある衝撃を自分は東京へ来て思い知ったのだ。田舎では体得できなかった、この感覚。都会の“人工物の多さ”といいましょうか、自然ではない、人が精密に作りあげた“作品”に、暮らしながら埋もれて、共に呼吸し合う。(またも大袈裟)

何も美術館や博物館へ頻繁に行っていたからというわけではない。街を歩けばモノモノモノ…道も電車も店も服も食べ物も…(!)誰かがある時期を懸けて汗水垂らし精魂込めて作り上げた作品達を、都会で暮らす以上、無意識のうちに目で見て手で触れ、時には食さざるを得ない=身体にさえ、取り込む。私は、謂わばその“ウイルス”に心も体もまんまと犯され、その快楽に気付けば浸りきりになっていたのだった。


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 そして、上京から半年が経ち、その新しい生活も板に付いてきたある時、意図もせずチャンスは訪れた。


〜ちょっとここから詩的回想〜

大学に入ったと同時に
皆が挙って髪を染めバイトを始め
私もそのキラキラする輪っかの中に
飛び込みたくて✿その先を走りたくて
早速始めた、アルバイト
発見したのは
家の近くに偶々あった、沖縄そば屋さん

カフェみたいな外装をした
そのお店は
金髪に染めたばかりの風貌にも
訛(なま)りきった阿波弁にも
臆することなく、快く私を雇ってくれた
人情溢れるお店

そして、この店の店長さんこそが
私の“運命の人”

であることに、その時の私は
気付きもしない

母と同い年なのに
自分と同じ年であるかのように
親しく何でも話せた
東京の母のような、店長さん
(名をば=えびぃさん♀)
こそが、私に新しい風を吹かせ、
次なるステージへ
背中を押してくれる
人となるの
だった

〜回想終〜


* * *


 バイト先の店長のエビィさんの作るメニューは本当に何もかもが美味しく、いつも目から涙と鱗。私の身体はその頃、最早えびぃさんの作る料理によって成型されていたのではというほどに、わたしはえびぃさんの料理を貪り、バイトのたびに感動していたのを鮮明に思い出す。
「ほんまに料理を愛してやまない人の料理!!!」という感激。東京に来たのに、まさかこんな形で沖縄料理にどっぷり浸かるとは、考えてもみなかった。こうして私はバイトというより、エネルギーの備蓄のためにも、せっせと働きアリのようにここへ通うこととなった。

〜〜〜〜〜〜〜


 運命だ、チャンスだ、と散々捲し立ててきたが、要するに何が言いたかったのかというと、ある日の賄(まかない)で「沖縄塩焼きそば800円」を食べた、その瞬間にすべては帰着する。(なんやかや一言で言えた)

えびぃさんの精魂込めて作った料理にお手上げになった私の食欲と⇔東京に暮らしたことで呼び覚まされつつあったアーティスティックな描きたい欲が出会い、この新メニュー「沖縄塩焼きそば800円」の店頭POPを、その日の晩に、私は一気に描き切ることができたのだった。日頃から絵を描くのが趣味です!というわけでもなかった私が、感動によって培われたエネルギーによって、生み出す事を覚えた記念すべき夜だった。

はじめて書いた沖縄塩焼きそばのPOP



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そして、その日から、私はこの沖縄そば屋専属のPOPライターになった。←これは思い込みかもしれないが、それぐらいの勢いで、えびぃさんの料理を次々に食しPOPにしては、店内や店頭に張り出していった。



大人気メニュー アジアン納豆ごはん

おつまみ 飲茶ワンタン


沖縄の定番 ポークたまご


冬にピッタリ ワンタンそば


やっぱり もずく酢


実は人気、たぬき奴

のどかなイメージ そーみんちゃんぷる


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 今思えば、高校2年生の時に詩をはじめて書いた時の気持ちと、この時POPをはじめて描いた時の気持ちは、呼応している、気がする。自分の中で綻んでいたグチャグチャが解けて楽になっていく、また一つ思春期に蹴りがついたような、そんな感覚だった。

* * *

 田舎での暮らしは謂わばモノクロ。詩を文字を文章を書いて過ごしていた、その時期のイメージは白と黒。何となく色を欲していた、J-POPでよく歌われる歌詞ではないけど、モノクロや白黒が悪いという意味では全くなく、ただ次に隣にあった色を自然と欲していたということ。そしてそれは、自然なことや、ということ。

 幼少期に好きで絵を書いていた時のあの気持ちを呼び起こすかのように、無我夢中に感動を形にしてみたことで、私はまた一つ大人になることができた。そして、大人になるっちゅうことは、おそらく、いつまでも子供で居たい自分を庇(かば)う様な、そんないぢらしい気持ちの事なんやと、なんとなく思い出している、今日。春の我武者羅な大雨嵐の日の、晴れた午後に✿


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
最終文から芋づる式に、“大人になるっちゅうこと”について書いた詩はこちら☟https://note.com/captain_mamma/n/nc71df8ccefb4


あかきみどりむらさき
2024ねん


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