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86歳が綴る戦中と戦後(21)終戦後の銀座
前にも書いたように中野の家が空襲で焼失してからの私の家は鉄砲洲という隅田川の河口に近い町。家の横の通りを南へ真っ直ぐ1キロ歩いた所が銀座1丁目の交差点でした。
そこの角には「テアトル銀座」という映画館があり、復員して来た父と母の3人でそこへよく映画を観に行きました。当時の映画館はどこも入れ替え無し。現在のように時間を調べて最初から観るのではなく、いつでも入れましたから上映中の途中から観て、終わっ
86歳が綴る戦中と戦後(20)映画と音楽
戦後アメリカから入って来たものはガムとチョコレートだけではなく、文化もどっと入って来ました。前回書いた「ブロンディ」もその一つですが、いちばん心をガツンとつかまれたのが当時全盛期だったハリウッド映画の数々、そして陽気なアメリカンミュージック。
いわゆるフィフティーズと呼ばれるジャズやポピュラーソングの数々は英語に興味を持ち始めたばかりの私の心をガッチリとつかんでしまいました。
ラジオから流れる
86歳が綴る戦中と戦後(19)漫画「ブロンディ」
戦後急に英語やアメリカ兵やアメリカのチョコレート、チューインガムなどが入って来て、それまで「鬼畜米英」と教育されてきた私にとってはあまりにも大きな変化でしたが、中でもいちばんのカルチャーショックは終戦の翌年から週刊朝日で連載が始まったアメリカの漫画「ブロンディ」でした。
金髪美人のブロンディが主人公で旦那さんはダグウッド。
冷蔵庫から出したハムなどで何層にも積み上げた「ダグウッドサンドイッチ」を
86歳が綴る戦中と戦後(18)転校
前回で書いた若い英語の先生の教え方は画期的で、単語の意味を教えるのに日本語は使わず動作で示したり、教科書にはないブラウニングの詩を教えてくれたり、放課後英語に興味のある生徒たちを集めて「英語クラブ」というのを作って英語のジョークを教えてくれたり、英語劇をしたりしました。
そのどれもがとても楽しくて私は英語がどんどん好きになって行きました。しかしおじいさんの校長にはそのやり方が気に入らず、先生は1
86歳が綴る戦中と戦後(10)無条件降伏
空襲から一夜明けて眼が覚めると、表通りを人々があわただしく走って行きます。
うちにはラジオも新聞もないので、何が何だか分からずみんなの後を追って行くとあるお店の前に人だかりがしています。
店の前で大人たちはみんな頭を垂れており、何やらボソボソした声がラジオから流れていました。何を言っているのかさっぱりわからないので家へ帰って来ると、あの滝野川のおじさんが飛び込んで来ました。
「ナオコちゃーん!