86歳が綴る戦中と戦後(20)映画と音楽


戦後アメリカから入って来たものはガムとチョコレートだけではなく、文化もどっと入って来ました。前回書いた「ブロンディ」もその一つですが、いちばん心をガツンとつかまれたのが当時全盛期だったハリウッド映画の数々、そして陽気なアメリカンミュージック。

いわゆるフィフティーズと呼ばれるジャズやポピュラーソングの数々は英語に興味を持ち始めたばかりの私の心をガッチリとつかんでしまいました。

ラジオから流れる進駐軍向けのWVTRという局から放送される音楽はどれも魅力的でした。すでにレコードも発売されていましたがの蓄音機のある家はめったにありません。

たまたま銀座の友達の家にあったのでレコードを聴きながらカタカナで書きとった歌が「バッテンボー」。ダイナ・ショアの歌うButttons and Bowsです。このフレーズが私たちの耳にはバッテンボーと聞こえたのです。

同年代のイラストレーター、故和田誠さんも同じようなことをエッセイに書かれていたのを覚えています。戦後の歌でみんなが知っているのは日本のなら「リンゴの唄」アメリカものならこのバッテンボーでしょう。

日本でもジャズ歌手が続々誕生しました。江利チエミ、雪村いづみ、朝丘雪路、ナンシー梅木、ペギー葉山、笈田敏夫、黒田美治、柳沢真一等々。

アメリカの歌手で私が最初に聴いたのはビング・クロスビーでした。暖かい品のある歌い方で未だに「ホワイトクリスマス」は彼の歌がナンバーワンだと思っています。中学2年で転校した女子校での若いアメリカ人の先生が英語の時間に教えてくれたのが最初で、今でもクリスマスシーズンになると必ず彼のこの歌を聴いています。

映画も素晴らしいのが次々上映されました。特にMGMのミュージカルが圧巻で、フレッド・アステアの華麗なダンスには魅了されました。(DVDを沢山持っています)未だに全世界を通して彼をしのぐダンサーは現れていません。技術的には匹敵しても彼の持つ上品さ、優雅さ、粋なしぐさ、スマートさに適う人はいないでしょう。

当時は巨匠と呼ばれる監督がひしめきあい、スターという名にふさわしい男優女優がキラ星のごとくそろっていました。

未だに名画として残っている作品の数々が懐かしいです。当時の作品を思い出すと今のCGを使ったりするする映画はみんな小粒になってしまいましたね。

これは日本も同じ。巨匠もスターもいなくなり、作品は感動の薄いものばかり。全体につまらなくなりました。



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