86歳が綴る戦中と戦後(19)漫画「ブロンディ」

戦後急に英語やアメリカ兵やアメリカのチョコレート、チューインガムなどが入って来て、それまで「鬼畜米英」と教育されてきた私にとってはあまりにも大きな変化でしたが、中でもいちばんのカルチャーショックは終戦の翌年から週刊朝日で連載が始まったアメリカの漫画「ブロンディ」でした。

金髪美人のブロンディが主人公で旦那さんはダグウッド。
冷蔵庫から出したハムなどで何層にも積み上げた「ダグウッドサンドイッチ」を長椅子に寝そべりながら頬張る姿。
そのそばでブロンディは身体にピッタリのタイトスカートにハイヒールで掃除機をかけています。

家の中で靴を履いてる?!
電気掃除機! 電気冷蔵庫! 分厚いサンドイッチ!

まるで夢の世界です。
吹き出しのセリフは日本語で、下に英語が書かれているその4コマ漫画を私は毎週切り抜いて横長の紙に4枚ずつ貼って綴じ、1冊の本のようにしていました。

その頃の日本は深刻な食糧難。配給になるのは小麦の皮であるフスマとかトウモロコシの粉。わずかばかりのメリケン粉(小麦粉)を入れて水でこねて蒸したものを食べていました。(なので今もタコスは好きではありません)
白米など農家に買い出しに行って着物などと交換してもらうしか口には入らず、それも帰りの電車に警官が乗り込んでくればアウトです。

あの押収された白米は誰の胃袋に収まったのでしょうか?
政治家とか警察のお偉いさんとか?

配給の玄米を1升ビンに入れて棒で突いて精米するシーンをドラマなどで見たことがある人は多いことでしょう。
現在は玄米やフスマが身体に良いとわざわざ食べているなんて、想像もしなかった時代です。

東京では進駐軍の放出物資というのがたまに配給になることがありました。
今でも覚えているのは大きな6ポンド缶に入ったマーガリンと真っ白な乾パン。
乾パンを2枚にはがして、それにマーガリンを塗り白砂糖をパラパラかけて食べるおやつが私にとっての最高のご馳走でした。

近所の家に配給されたものは石鹸のようだったので使ってみたけど全然泡が立たなかった。あとでチーズという食べ物だったと分かったなんて話も聞きました。
似たような話で野坂昭如さんの小説に「アメリカひじき」というのがあります。

飛行機から落下傘で配られた物資が黒く縮れた乾物だったので、ヒジキと思い煮てみたけれど全然美味しくなかった。あとでそれは紅茶だったことがわかった、という話です。

ことほど左様によほどのお金持ちか外国帰りでもない限り、一般の日本人は西洋の食べ物のことを知らなかったということです。

衣食住の全てがこの75年の間に大変化を遂げたことに驚きますが、何もなかったあの時代不登校や引きこもり、子どもの自殺や虐待死などは全く聞いたことも見たこともありませんでした。


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