86歳が綴る戦中と戦後(12)進駐軍
東京の皇居のお堀に面した第一生命ビルにGHQが出来て総司令官のマッカーサー元帥がやって来たのは終戦の日の2週間後。そのために「見苦しい浮浪児たちを町中から追い払え」との政府からの命令で親を空襲で失った孤児たちが山へ捨てられた話は前に書きました。
あちこちに進駐軍の基地が出来て続々とGIたちが進駐して来ました。
高崎にも進駐軍がやって来るというのでみな緊張しました。
何しろ「鬼畜米英」と教えられていた相手です。どんな恐ろしい野獣が来るかと町中が戦々恐々としていました。
誰もまだ外国人なんて見たことがないのですから。
女は絶対外へ出てはいけない、入り口にはしっかり鍵をかけてカーテンを閉めるようにとのおふれが回って来ました。
当日、怖いもの見たさでカーテンのすき間からそっと外をのぞくと丁度7,8人のGIが目の前を通り過ぎるところで、あわててカーテンを閉めました。
ベージュ色のギャバジン地のズボンのお尻が丁度目の前にあったのをよく覚えています。
彼らが通り過ぎた後、大勢の人が後をぞろぞろついて行くのを見て私もその中の一人になり、生まれて初めてのガイジン見物の輪に加わりました。
彼らの目的地は駅前の大きな旅館で、そこの階段を2段ずつ上って行くのを目を丸くして見ていたものです。
恐ろしい野獣のような人間が来るかと思っていたので拍子抜けしました。
もしかしたら日本兵は占領した中国などではとても恐ろしいことをしていたのかもしれません。だからアメリカ兵も同じことをすると怖れていたのだと思います。彼らはその後沖縄などでひどいことをした話も聞いていますが、少なくとも高崎では全くそのようなことはありませんでした。
それから間もなく家をお借りしていたSさん母娘が疎開先から帰って来ることになり、私たちも東京へ戻ることになりました。
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