ビヨン酢

【なんだか笑いたいあなたへ】週一(火曜)更新予定 ビヨン酢 石川県 | ローカルタレ…

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【なんだか笑いたいあなたへ】週一(火曜)更新予定 ビヨン酢 石川県 | ローカルタレント 家族構成 父よーじ・母ケイコ・姉(6歳上)・わたし ビンボーでも楽しかった。 どこにでもあるようでない日常うんぬん。

記事一覧

お盆だなぁ

もはや更新してるかしてないのか。 ネタは山ほどあるのに投稿するボタンが押せない。 暑いからやな。 きっと私がオセンチになりやすい秋になればまたマメに上げるかもしれ…

ビヨン酢
13日前
10

ばーちゃんの教え。

どもども。 なんだかんだしてましてアップしてなくて最早過疎化してたました笑 書きだめはあるんですけど出し惜しみですかね…上げてませんでした。笑 さてさて思い出し…

ビヨン酢
1か月前
9

近所のおっちゃん

私がまだまだ小さい可愛い頃。 低学年あたり。 近所の神社で夏休み恒例のラジオ体操があった。 眠い目をこすりながら蝉のギーギーなく声を聞きながら毛糸の紐で括り付け…

ビヨン酢
3か月前
8

なんでも券

昨日は母の日。 自分が小さい時からなんだか ワクワクした日だった。 お母さんに いつもありがと!と言えるし 「あら~あんやとね」と言って貰えるしすごくハッピーな日。…

ビヨン酢
3か月前
18

えびふらい

ちょっと思い出したことがあって急に書きたくなった。 むかしの話。 私の住んでいた町には割烹はあったけど今ほど気軽に入れるようなお店はなかった。 店舗数もすくなく、…

ビヨン酢
4か月前
17

羽咋のおじーが死んだ

羽咋のおじーが死んだ。 直接的な関係は無いし、血縁関係もない。 言えば他人。 でも行けば いつも家の前でウロウロ待っていてくれた。 楽しみにしてたんやろ?とかいう…

ビヨン酢
5か月前
12

御供田ばーちゃんと孫のビヨン酢

ナンマンダブツ…ナンマンダブツ。あんさん息災やったかいね? 御供田幸子さんをご存知でしょうか? 真っ白の化粧をして 方言を使いながら 日常のことを面白おかしくコン…

ビヨン酢
5か月前
14

父のクセが強かった。~知らん女がおった話~

うちの父は【クセが強い】。 最後の最後までクセの塊だった。 ちょいちょい父の話はしてきてはいたけど、深堀り?しては無かったので想像がつきにくかったのでは無いかと…

ビヨン酢
6か月前
16

バレンタインデーのほろ苦さフェア

2月のこの頃になると毎度毎度思い出す過去のバレンタインデー。 恋に恋してたような 意味もわかってないような みんなあげるから私も誰かにあげたい!みたいな そんな頃、…

ビヨン酢
6か月前
10

風呂は我が家の歌教室

私は母と中2ぐらいまで一緒にお風呂に入っていた。 一応季節限定。 寂しいとか怖いとかじゃなくて、冬に風呂を沸かすとすぐに冷めるのと、お風呂の湯の量が半分で肩まで…

ビヨン酢
7か月前
7

銭湯日和

昔の自宅のお風呂はエコキュートなんてものはなく、ボイラーで湯を沸かしていたものだ。 我が家に外にはボイラー用の給油タンクがついてた。 しかしこのシステムは非常…

ビヨン酢
7か月前
12

⚫⚫こ いるか?

近所にいつも優しくしてくれるおばあちゃんが居る。 わたしが引っ越したさいに挨拶へお伺いした時に 『あんた!よぉみる顔や!ビヨン酢そっくりやねぇ~!』と声をかけて…

ビヨン酢
8か月前
14

うちの父はクセが強い~お弁当~

うちの父は【クセが強い】。 最後の最後までクセの塊だった。 ちょいちょい父の話はしてきてはいたけど、深堀り?しては無かったので想像がつきにくかったのでは無いかと…

ビヨン酢
8か月前
6

父と母の話

うちの家族は仲が悪かったです。 父と母は常に怒鳴りあいの喧嘩をしていました。 2人で出かけたり家族で旅行なんてありません。 休みが被ると必ずどこかへどちらかが出かけ…

ビヨン酢
9か月前
20

母のこと~さいごまで~

非常口の案内板と弱い明かりだけが灯る薄暗い廊下で動けない私を別の看護師さんが見つけて 「こっちに座ろうか、おいでね?」と私を促してくれた。 エレベーターのすぐそ…

ビヨン酢
9か月前
14

母のこと~初めてのお泊まり最後のお泊まり~

余命宣告をうけたけども もうここ最近ずっとこんな感じの母の姿が当たり前になっていた。三寒四温みたいな?そんなきせつのような母の体調であった。 そして、日々抗がん…

ビヨン酢
9か月前
10
お盆だなぁ

お盆だなぁ

もはや更新してるかしてないのか。
ネタは山ほどあるのに投稿するボタンが押せない。
暑いからやな。
きっと私がオセンチになりやすい秋になればまたマメに上げるかもしれないからこれは消さないでおこう。笑

さてさて。

お盆ですなぁ~。

道を走れば、ご先祖さまに手を合わせる人や小さなお孫さんが仏花を持って楽しいそうにしてる姿を。

スーパーにいけば、家族みんなでお買い物をして大きな料理を買う人、じいち

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ばーちゃんの教え。

ばーちゃんの教え。

どもども。
なんだかんだしてましてアップしてなくて最早過疎化してたました笑

書きだめはあるんですけど出し惜しみですかね…上げてませんでした。笑

さてさて思い出した話があるので今日はそれを書きますね。

この日記?を読んでる方はご存知かと思いますが
うちはそんなに裕福な家庭ではなく、どちらかといえば貧乏な暮らしをしていたと思います。

それでも決して不幸に思ったことはなく毎日工夫の中で幸せに暮ら

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近所のおっちゃん

近所のおっちゃん

私がまだまだ小さい可愛い頃。
低学年あたり。

近所の神社で夏休み恒例のラジオ体操があった。

眠い目をこすりながら蝉のギーギーなく声を聞きながら毛糸の紐で括り付けたラジオ体操カードもって向かう。

町内の子供たちと親御さんたちが境内の広場に集まっている。
ラジカセから聞こえるレトロな音の割れから聞こえるラジオ体操の歌。

♪あーたーらしい!朝がきたー!
きーぼーーのあーさーーーだ!!!

君が代

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なんでも券

なんでも券

昨日は母の日。
自分が小さい時からなんだか ワクワクした日だった。

お母さんに いつもありがと!と言えるし
「あら~あんやとね」と言って貰えるしすごくハッピーな日。

お母さんには毎年なにかしらのギフトを送っていた。

それは手書きの似顔絵なのか 手紙なのか。
はたまた そのへんの草花の花束なのか
使われないしやらない「なんでも券」なのか。

肩もみ100分や皿洗い10枚、卵焼き(卵5個分

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えびふらい

えびふらい

ちょっと思い出したことがあって急に書きたくなった。
むかしの話。

私の住んでいた町には割烹はあったけど今ほど気軽に入れるようなお店はなかった。
店舗数もすくなく、どこかへ外食するってことは車がない自転車一家にはハードルが高いものだった。

なので私の幼少期はいろんな食べ物の味レパートリーは少なかった。

焼肉屋さんデビューは正直17歳の頃だったと思う。
隣の街にあったファミレスもバイトをしてから

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羽咋のおじーが死んだ

羽咋のおじーが死んだ

羽咋のおじーが死んだ。

直接的な関係は無いし、血縁関係もない。
言えば他人。

でも行けば いつも家の前でウロウロ待っていてくれた。
楽しみにしてたんやろ?とかいうと

んなことあるか!少し外出て運動してただけや

とそっぽ向いて家の中にはよ入れと言ってくれる。

別の時は 鎌持って待ってて、別に待ってなんかない草むしってたんやと手が綺麗で元々お庭も綺麗なのにそんなことを言ってくれる。

家は少

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御供田ばーちゃんと孫のビヨン酢

御供田ばーちゃんと孫のビヨン酢

ナンマンダブツ…ナンマンダブツ。あんさん息災やったかいね?

御供田幸子さんをご存知でしょうか?
真っ白の化粧をして 方言を使いながら 日常のことを面白おかしくコントをする石川県のスターを。

御供田さんのステージが開催されるとなるとあれよあれよと人が集まり会場いっぱい満員御礼がほとんどである。
高齢の方からの絶大な人気。
会えば泣いて喜ぶ人もいる大スターである。

約80歳にして舞踊にコントに歌

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父のクセが強かった。~知らん女がおった話~

父のクセが強かった。~知らん女がおった話~

うちの父は【クセが強い】。
最後の最後までクセの塊だった。

ちょいちょい父の話はしてきてはいたけど、深堀り?しては無かったので想像がつきにくかったのでは無いかと思う。
そこで
私が飽き飽きするまで親父のことを書こうとおもう。

多分本人もネタにされるのは嫌いじゃない。そういう性格だったと思う。そんな遺伝子が私にもあるもの。←

さて。物好きなそこのあなたにお届けしますね(笑)

【知らん女がおっ

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バレンタインデーのほろ苦さフェア

バレンタインデーのほろ苦さフェア

2月のこの頃になると毎度毎度思い出す過去のバレンタインデー。

恋に恋してたような 意味もわかってないような
みんなあげるから私も誰かにあげたい!みたいな
そんな頃、時代が皆さんにも……ありません?笑

小学校の時なんて手づくりなんてのは板チョコ溶かして固めてアザラン?とかチョコペンとかでデコるだけなんだけど、その頃なんて100均なんて無いし、モール?と呼ばれる型も無いしカップに入れるだけとかね?

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風呂は我が家の歌教室

風呂は我が家の歌教室

私は母と中2ぐらいまで一緒にお風呂に入っていた。

一応季節限定。

寂しいとか怖いとかじゃなくて、冬に風呂を沸かすとすぐに冷めるのと、お風呂の湯の量が半分で肩まで浸かれるので同時に入る方が効率が何かと良かった。

1番風呂は 姉。姉は昔から長湯ができないのでそれは見事な行水であった。

姉が湯船から上がって頭を洗い終えたら でかい声で

「ビヨ!!!フローー!!!!」と呼ばれる。

平成の時代で

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銭湯日和

銭湯日和

昔の自宅のお風呂はエコキュートなんてものはなく、ボイラーで湯を沸かしていたものだ。

我が家に外にはボイラー用の給油タンクがついてた。

しかしこのシステムは非常に脆かったと思う。

私が保育園のころにはボイラーが壊れて水しか出なくなることもしばしば。

夏なら水風呂でもまぁ凌げるが、冬は極寒だ。
オマケに今の浴槽ほどの保温効果もありゃしない。タイルというかコンクリの風呂場で冷たいのなんの。

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⚫⚫こ いるか?

⚫⚫こ いるか?

近所にいつも優しくしてくれるおばあちゃんが居る。
わたしが引っ越したさいに挨拶へお伺いした時に

『あんた!よぉみる顔や!ビヨン酢そっくりやねぇ~!』と声をかけていただいてからお友達になった。

晴れた日はよく外に出て庭をいじっている。
なので犬の散歩で会うと必ず声をかけて下さり、他愛もない話をするのが日課であった。

男ばかりの家族だったそうで女の子がいたらこんな感じなのかなぁと毎回言うのであっ

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うちの父はクセが強い~お弁当~

うちの父はクセが強い~お弁当~

うちの父は【クセが強い】。
最後の最後までクセの塊だった。

ちょいちょい父の話はしてきてはいたけど、深堀り?しては無かったので想像がつきにくかったのでは無いかと思う。
そこで
私が飽き飽きするまで親父のことを書こうとおもう。

多分本人もネタにされるのは嫌いじゃない。そういう性格だったと思う。そんな遺伝子が私にもあるもの。←

さて。物好きなそこのあなたにお届けしますね(笑)

【お弁当のクセ

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父と母の話

父と母の話

うちの家族は仲が悪かったです。
父と母は常に怒鳴りあいの喧嘩をしていました。
2人で出かけたり家族で旅行なんてありません。
休みが被ると必ずどこかへどちらかが出かけてなるべく会わないようにしてました。

何度か父が離婚してもいいんやぞと言っていたことがありましたが母はそんな事言わないでと言っていて。その時その場にいた私が母の謝る姿をみて泣いて別れないでとよくも分からずに嫌がった記憶があります。

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母のこと~さいごまで~

母のこと~さいごまで~

非常口の案内板と弱い明かりだけが灯る薄暗い廊下で動けない私を別の看護師さんが見つけて

「こっちに座ろうか、おいでね?」と私を促してくれた。
エレベーターのすぐそばの淡いグリーンの合皮のソファー。

薄暗いけど、正面はナースセンター。
煌々と明るくてそこだけがある意味…異質に見えた。

看護師さんが「みんなに連絡できた?」と聞いたので「姉とは連絡が取れなくて。」と伝えた。
「メールも入れておいた方

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母のこと~初めてのお泊まり最後のお泊まり~

母のこと~初めてのお泊まり最後のお泊まり~

余命宣告をうけたけども
もうここ最近ずっとこんな感じの母の姿が当たり前になっていた。三寒四温みたいな?そんなきせつのような母の体調であった。

そして、日々抗がん剤やモルヒネを使って頑張ってくれた。

1ヶ月がすぎて

2ヶ月が過ぎて

余命宣告の3ヶ月がすぎた

たしかに母はよく眠るようになっていたし、何も食べられなくなっていたけど、起きている時もあり、話すことも出来る。

私は前のような苦しそ

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