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父と母の話

うちの家族は仲が悪かったです。
父と母は常に怒鳴りあいの喧嘩をしていました。
2人で出かけたり家族で旅行なんてありません。
休みが被ると必ずどこかへどちらかが出かけてなるべく会わないようにしてました。

何度か父が離婚してもいいんやぞと言っていたことがありましたが母はそんな事言わないでと言っていて。その時その場にいた私が母の謝る姿をみて泣いて別れないでとよくも分からずに嫌がった記憶があります。

母だって本当は離婚、別居をしたがってはいたと思います。ただ子供二人を連れての生活のことや当時ですし子供のことを思い世間体を気にしていたので踏み切れなかったのだと思います。

今更ですが離婚しても良かったのかなぁと…思います。

…今更ですが。

そもそも
父は破天荒クレイジーだったので母しんどかったと思います。贅沢もできず苦労ばかりしてました。その中でも母は、ささやかな幸せを見繕い私たちに与えてくれていました。

優しくて大好きな母は、私が16歳の時 約1年半の闘病をし亡くなりました。最後まで戦い続けてくれたのでかなり苦しかったと思います。
亡くなる前の日私は初めて病院に泊まり色んなことを話しました。恋愛のことや学校のこと。姉のことやらそれはそれは…。久しぶりでした。
母はモルヒネを使っていたので意識はフワフワしていたとおもいます。なので途中会話がなくなったりしてました。その日の夜にとあることがきっかけで呼吸が乱れてナースコールを押すと慌ただしくなり医者から峠だと言われました。

わたしは呼べるだけの親族を夜中に呼び出しました。

一応、朝まで持ちこたえたものの、その日の夕方に息をひきとりました。

単身赴任の父に電話をして帰ってきてもらい、親戚一同でその日の夜にお通夜や葬儀の話し合いが始まりました。

わたしはその景色を帰ってきた母のそばから遠目に見てました。

事務的に進む話し合いや、父が何故か嬉しそうにみんなに食事を作り振る舞う姿。

私の前には 触るとこちらの魂まで冷えてしまうくらいの冷たくなった母が寝てるこの空間が不思議でならなかった。

苛立ちや悲しみ、そんなものぜーんぶ無くなっていた。

ただ寝ずの番をしていたかったので火が消えないように。線香が絶え間なくあるように。それをして時が経つのを待ったのでした。空間が別になったかのような感覚でした。


ある程度決まった後、父がさらに振る舞いをした。
母方の兄 本家のおばさんは私に向かって「悲しみを笑って過ごす笑い酒。こんな形もあるんよ。」といった。

わたしにはてんで分からないことだった。

献杯をして飲み食べをし始めた。うちの父は嬉しそうに料理の説明をしていた。

ある程度進む中で母方の姉にあたる ちーおばちゃんが「ヨージさんは本当にケイコさんを愛していたの?大切にしていたの?」と切り込んだ。

少しほろ酔いの父が「そりゃそうだ。もちろん。じゃないと結婚してない」といった。

ちーおばちゃんは「本当にそうなの?大切にしてあげられた?苦労ばかりかけてたのに?」と。

父は「それはこちらだけの責任じゃない。あいつも悪いとこあったからだんだんと離れていったんや」といった。

それからわたしは聞きたくないと飽き飽きして母ケイコが眠るいつもの部屋の戸をしめて
そっと電気を消してロウソクを見つめた。

ちーおばちゃんの娘さんに「ごめんな、こんな時に。どれも非常で嫌な時間やったよね?どこかに連れ出してあげたかったけど…ごめんね」と言われた。

いまなら分かる。
誰も悪くないし みんなそれぞれ優しい。
そしてちぃーおばちゃんにとって母は妹であり友でもあってすごく仲が良かった。母を大切やと思ってくれていた。死を受け入れられないのもそうだ。だから別れ酒というかそうして日頃できない話まで踏み込んだと思う。だからその時私は父のヘラヘラした態度だけがしらーっと見てしまっていた。

ただあの時は私は本当に無の時間だったし、そのあたりの事はなにも考えられなかった…いや、考えていたことが意外とたんたんとした。

おかぁを見ながらあー明日学校に電話しなきゃなとか、あー洗濯しなきゃとか。バイトも当分出られないから謝らなきゃ…とか。


なんかこう、死んだことは分かってるけど死んでなかった。上手く言えないけどそんな感じだった。

母は、久しぶりの帰宅だったので1日ゆっくり休んで次の日に通夜をすることになった。

その日わたしは母の横で寝た。
久しぶりに母と寝た。静寂の中。電気も消えてロウソクの光がゆらゆら揺れる。あの病院の独特の香りではなく、線香と我が家の畳の香りが混ざり合う。ほんのりと母の布団からドライアイスの冷気なのか冷えた空気が伝わる。触りたいけどなんだか怖くてただ横で寝た。もしかしたら目を覚ますかもと淡い期待もあった。

 次の日の朝、 晴れた日だった。
 母におはようと声をかけて じっと見た。何一つ変わらない母が眠っていた。

お焼香とお香をした。

24時間燃えるロウソクを気にかけながら窓を開けた。風が冷たくてひんやりした。白檀のかおりが一気に外へ逃げていった。
食卓を見るとヨージがみんな帰ったあとにも飲み食べした残骸が残っていた。やんわり片付けた。

学校にも電話したし、バイト先にも電話した。

お昼から
はっちゃんばあちゃんの兄弟親族みんながお経や歌を歌ってくれた。
みんなが歌うように詠むお経とすーっと天井に伸びるお線香の煙がときたま揺らぐのをみて あ~おかぁがまだおってくれとるなぁと感じた。

そして骨壷に名前などを見たことない親戚のおじさんが書いてくれた。達筆だったのを覚えている。

父はまた嬉しそうになにか振舞おうてしていた。
そしてまた声を粗げて何かを言っていた気がする。
みんなが帰ったあと くちゃくちゃと音を立てて何かを頬張り酒を飲んでテレビを見ていた。

その日の夜は自分の部屋に行った。
窓を開けると冬の香りと薄曇りの合間から星が見えた。

お供え物の中に母が最後まで吸っていたフィリップ・モリスのたばこがあった。
それを1本だけ拝借して 火をつけた。

なかなか火がつかないので口に当て吸った。

ゲボゲボむせて不味さにびっくりした。
口にセロファンを貼るみたいな感じが気持ち悪くておぇっとした。

でも赤くついた先からユラユラと煙があがる。

なんだか母に近づいた気がして嬉しかった。

あれだけタバコは吸ったらダメと言われていたのに私の手にはたばこが1本摘むように持っている。

怒られたいのか近づきたいのかこの感情は分からないがなぜか少しだけ嬉しかった。

2、3回吸ってみたものの不味くて吸えずこっそり持ち出した灰皿にゴリゴリ当てて消した。水もかけた。(※喫煙は20歳になってから。未成年の喫煙はダメですよ。絶対。)

手についたタバコの香りを何度も嗅いだ。
手の温度に温められた香りが母との思い出を見せてくれた。

次の日の朝。 
葬儀の方たちが湯灌や身支度をしてくれた。
私たちの一泊泊まる用意をした。

メイクする母を久しぶりみた。真っ黄色の肌がほんのりベージュになったし、カサカサの唇も赤く染まる。


どこを通るかルートも再確認した。
霊柩車なので通るだけにはなるが、母の大好きだった職場を通ってもらった。

店長と何人かが立ってくれて頭を下げてくれた。

あーここがきっとオカンの憩いの場でもあったのだろうなぁと思った。

過ぎ行く景色を見ながら

隣町の葬儀場についた。

2階の祭壇を見た。
とにかく素敵な祭壇だった。白いお花がいっぱい。
贅沢な会場になっていた。

私たちは控え室にいき荷物をおいて
準備が整うその時を待った。
父はソワソワしていた気がするがもう私の眼中に無かったのだ。親戚の子供たちと私ら姉妹一同で母に寄せ書きをすることになった。

前の棺桶に収まった母は黄疸も隠してあり美しいお顔だった。唇もいつも使う口紅で色をつけてもらった。たくさんあった首の治療のあれこれも綺麗に隠してあった。

楽になれたね。大丈夫だね。と思った。

通夜はたくさんの方にお越しいただけた。
私の同級生や母の職場などたくさんの方に会いに来てもらった。

父は終始貧乏ゆすりをしていた。
そわそわしながら いたので

多分たばこが酒が飲みたかったのだろうなと思った。

式の最後に書いた寄せ書きを朗読された
読むなんて聞いてなかったサプライズに子供たち一同ざわついた。

いとこ達みんなが、さよならやありがとうと書いていた。

私は


退院おめでとうと書いた。

次は会場にいた人たちがざわついた(笑)

でも安心して?

続きがある。

退院おめでとう。
やっとこれで楽になれたね!私が18になったら免許をとるからどこへでも行こう!温泉がいいかな!そして美味しいもの沢山食べてゆっくりしよう。行きたいところ考えておいてね。楽しみにしてる。


それを読んだ司会の人が泣き始めて、周りも泣いていた。私にしたら何が何だかだったが、みんな泣いていた。冷静に見てしまった自分がいたのでこの景色を鮮明に覚えている。

父と私だけがそわそわしていた。

通夜も終わりに控え室にて通夜の振る舞いがあった。
そこで親父は弾けるように飲んで笑った

わたしは離れの部屋で来てくれた友達にメールを送っていた。

父のヘラヘラした声とワーワーした声だけがうっすら聞こえていた。

みんなが帰り、寝る人は寝た。

私は外に出て 夜空の星を見て夜風にあたりながら制服のスカートのポッケにしまってあったフィリップ・モリスに火をつけた。吸うのは初めの一口だけ。火をつける為だけに。(未成年の喫煙はダメですよ。)
それもやはり不味かった。なんでこんなもんが美味いのか分からないがユラユラと煙が漆黒の空に吸い上げられていくのを見つめていた。

なんだか部屋に戻りたくなくて煙をずーっと見ていた。

深夜1時ごろ、バイト先の店長たちが仕事終わり駆けつけてくれた。

お線香を上げたいけど時間も時間だからお前の顔だか見に来たよ。と。

ありがとうございます。と伝えた

大丈夫か?と心配もされたが【大丈夫っす!】と意外と元気な私を見て安心して帰っていった。

そして

部屋へ戻ると姉は寝ていたが親父の姿が見えなかった。

扉挟んで母の眠る寝室の灯りがついていた。

そこに倒れるように酒瓶をもった親父がいた。

クズングスン鼻息を荒くした親父が1人居た。

私は襖越しに座った。

「すまんな。すまんな。…なんで死んだんや。なんでなんや……」

そのあとまたグスングスンと聞こえた

深夜2時ごろだった。雨が降り始めていた。

次の日

親父は終始 落ち着いていた。貧乏ゆすりせずにじっと葬儀を見つめていた。

花入れの義。祭壇を彩っていた花をパンパンに詰めた。
手紙も寄せ書きも写真もたばこもつめた。
 友引の日だったから小さな人形もはいった。
なんで?と聞くと友引は何かを連れてってしまうからと言われた。

それならわたしを連れて行って欲しいとも思った。

雨上がりの晴れた空 出棺した。

出棺後、友達から 虹が出てるよとメールが来た。

今その下を通ってるよ!きっと虹の橋だよね!と返した。


火葬場に着いた。

係の人が【これが最後になります。】と蓋を占める前にと母と最後の触れ合い。

みんな ケイコ ケイコと頬を撫でて最後の声がけをした。

父はじっと見下ろしてグスングスンとした。

わたしは

お母さん、またね。と見送った。

ぱたんと蓋がしまった。

そして駅員さんのカッコをした職員さんが火の所へゆっくりと棺桶を収めていく。

わたしはじっと見つめた。

合掌。

炉の扉がゆっくりしまった。

あー死んだ。

私の中で母の死を刻まれた気がした。

それから母は若いのと水分がありすぎて全て骨になるまでに6時間かかった。

その間 お昼ご飯があったのでみんな飲み食いしていた。

親父は最初 しょんぼりしていたけどだんだんいつもの調子に戻って またみんなで麻雀せんなんな!とか言っていた。

わたしはぼーっと外を見たり、炉の前を通ってみたり。

ウロウロしてた。

ばーちゃんが おにぎり食べんし と控え室から持ってきた。
しなしなの海苔のおにぎり。

控え室前の広間のふかふかソファーに座った。
横にばーちゃんが座ってくれた。

一口食べたら

涙がぼろぼろ溢れた。

ばーちゃんは何も言わずに背中をさすってくれた。

棺桶の蓋が閉まる音。
炉の扉がしまる音。

全部が脳に染み付いて 否定した 死がこびり付くような
何度も何度も 音とともに映像が流れる。

おにぎりの米が喉を通るか通らないがでヒックヒク泣いた。

ばーちゃんは「ちゃんとこれからもおっかぁ見てくれる。大丈夫やぞ。ずーっとビヨを見守っとる。ばーちゃんもそばにおるからな」と言って背中をさすった。

 冷たくて美味しくないおにぎりを泣き声を殺すために私は口に押し込んだ。


 ……

……

……。

お母さんと再開した。

骨になったお母さんはとても小さく。

ほとんど骨がなかった。

職員さんに説明をうけた。

やはり病気だと骨がもろくなる。

カスカスだった。

その中でも 喉仏はしっかりしていた。

みんなで食べるの好きやしその辺の骨を骨壷にしまうか。となった。

親父は軽く酔っていたが一回目の骨は落とさず入れた。

なぜか歓声がおきた(笑)

おーぉ。と。(笑)

なんだか
骨を見ると 心の整頓が一気にできたような

割り切れたというのか。

すこしだけ軽くなった。

詰め放題のごとく ありったけの骨を壺に収めた。

残りの骨をどうしますか?と聞かれた。

 ヨージが
「全部持って帰っていいですか?」と。

正直驚いた。

それを大切にダンボールにかき集めて
大切に運んでいた。

わたしは骨壷を抱いた。

ほんのり暖かくて

母に触れてる気がした。



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