ビヨン酢

【なんだか笑いたいあなたへ】週一(火曜)更新予定 ビヨン酢 石川県 | ローカルタレ…

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【なんだか笑いたいあなたへ】週一(火曜)更新予定 ビヨン酢 石川県 | ローカルタレント 家族構成 父よーじ・母ケイコ・姉(6歳上)・わたし ビンボーでも楽しかった。 どこにでもあるようでない日常うんぬん。

最近の記事

強いひとはおらんよ

先日墓参りに行ってきた。 月に一度は必ず訪れていた。 かれこれ20年ちかく。 ……言い過ぎかしら。かれこれ16年ほどかしら。 それでもかかさず、かすみ草と仏花。 そして、タバコを1本。 供える。 タバコもかすみ草も母の好きなものだった。 石屋さんの計らいでうちの墓には座れる石が置いてある。 そこに座って ぼーーっとする。 母の吸っていたタバコはあまり見かけなくなったもんだから、適当に1ミリのタバコを買ってきて そこに座って1本火をつける。 これがまずいんだわ。

    • 父のクセが強かった。~俺はダメだ~

      おとんやら父親やら親父や呼び方というか書き方を全く統一出来てない……笑 しかもだ。年齢も私が17or18or19かさだかやない。 たしか、17で倒れて18でリハビリだったような…んで、19でさらなる地獄だった気も…。んんーーー。 そこはもうご了承ください。そんな歳の頃です。 さて、オトンの脳梗塞との診断後、どこまでの治療をしてどうしたかというのは正直なところ記憶ない。 冷たい姉妹だと思われるかもしれないが、ほぼ病院に任せていた。必要な時にしか行かない。オトンに対してはぞん

      • 父のクセが強かった。~親父が倒れた日~

        うちの親父の話を久しぶりに投稿しよう。 いまは生活習慣病というのだろう。当時の言い方で書くけど親父は成人病のサラブレッド。 たぶん日本代表にまでなれるほど網羅してた。 肥満・高血圧・脂質異常症・喫煙(ヘビー超えてチェーンスモーカーと豪語してた)飲酒etc… なので40代の頃に糖尿病になりインシュリン(インスリン)を自分で打っていた。 それでもタバコや酒は辞めず、味の濃い油多めを好んで食べていた。そもそも生野菜を食べることはなかった。何でもかんでもこってり仕上げていた。

        • こちらこそ。

          今日 イベントの会場でたくさんの方と出会った。 会いたかったと言ってくれた方 痩せたね!と言ってくれた方 いつも見てるよと言ってくれた方 etc…… たくさんの方に嬉しい言葉を沢山かけて貰えてたくさんの笑顔に出会えて 本当に 本当に嬉しい日をすごした。 中でも 「ありがとう。」と言ってくれた方がいた。 そのありがとうというは 能登を愛してくれてということだった。 震災後、番組でも個人的にも能登へ行かせてもらって今の能登を感じている。 変わってしまったもの

        強いひとはおらんよ

          父の味

          最低な親父ではあった。 女は作るし  ギャンブル借金はこしらえるし 酒癖は悪いしそして臭いし…。 まだまだ書ききれない事は多く途中で書いてるとイラァ~として投稿できずにいる内容も多い笑 しかし、それが私の親父である。 うちの親父は 横浜生まれ。標準語?共通語の人。 おプライドはお高く。免許をとる寸前で自動車学校の人を殴ったかなんかで退学になったそうだ。だから我が家は車庫はあるのに車がないそんな家だった。 さて。そんなそんな親父だが、食通ではあった。 高級なものとかそ

          お盆だなぁ

          もはや更新してるかしてないのか。 ネタは山ほどあるのに投稿するボタンが押せない。 暑いからやな。 きっと私がオセンチになりやすい秋になればまたマメに上げるかもしれないからこれは消さないでおこう。笑 さてさて。 お盆ですなぁ~。 道を走れば、ご先祖さまに手を合わせる人や小さなお孫さんが仏花を持って楽しいそうにしてる姿を。 スーパーにいけば、家族みんなでお買い物をして大きな料理を買う人、じいちゃんやばあちゃんにおねだりして大好きなものを買ってる姿だったりをみる。 微笑ま

          お盆だなぁ

          ばーちゃんの教え。

          どもども。 なんだかんだしてましてアップしてなくて最早過疎化してたました笑 書きだめはあるんですけど出し惜しみですかね…上げてませんでした。笑 さてさて思い出した話があるので今日はそれを書きますね。 この日記?を読んでる方はご存知かと思いますが うちはそんなに裕福な家庭ではなく、どちらかといえば貧乏な暮らしをしていたと思います。 それでも決して不幸に思ったことはなく毎日工夫の中で幸せに暮らしていたと思います。  じぃちゃんとばぁちゃんは畑をしてくれていていつも出来た

          ばーちゃんの教え。

          近所のおっちゃん

          私がまだまだ小さい可愛い頃。 低学年あたり。 近所の神社で夏休み恒例のラジオ体操があった。 眠い目をこすりながら蝉のギーギーなく声を聞きながら毛糸の紐で括り付けたラジオ体操カードもって向かう。 町内の子供たちと親御さんたちが境内の広場に集まっている。 ラジカセから聞こえるレトロな音の割れから聞こえるラジオ体操の歌。 ♪あーたーらしい!朝がきたー! きーぼーーのあーさーーーだ!!! 君が代より聞いた気がする…笑 そして、ラジカセから男性の声が響く。 たまに中継だった

          近所のおっちゃん

          なんでも券

          昨日は母の日。 自分が小さい時からなんだか ワクワクした日だった。  お母さんに いつもありがと!と言えるし  「あら~あんやとね」と言って貰えるしすごくハッピーな日。  お母さんには毎年なにかしらのギフトを送っていた。 それは手書きの似顔絵なのか 手紙なのか。 はたまた そのへんの草花の花束なのか 使われないしやらない「なんでも券」なのか。 肩もみ100分や皿洗い10枚、卵焼き(卵5個分)とかね? そんなふうに種類別ななんでも券を渡したこともあった。 1度も使われ

          なんでも券

          えびふらい

          ちょっと思い出したことがあって急に書きたくなった。 むかしの話。 私の住んでいた町には割烹はあったけど今ほど気軽に入れるようなお店はなかった。 店舗数もすくなく、どこかへ外食するってことは車がない自転車一家にはハードルが高いものだった。 なので私の幼少期はいろんな食べ物の味レパートリーは少なかった。 焼肉屋さんデビューは正直17歳の頃だったと思う。 隣の街にあったファミレスもバイトをしてからのデビューだったので16歳頃。 マックも16歳の頃かもしれない…。あ、でも、モス

          えびふらい

          羽咋のおじーが死んだ

          羽咋のおじーが死んだ。 直接的な関係は無いし、血縁関係もない。 言えば他人。 でも行けば いつも家の前でウロウロ待っていてくれた。 楽しみにしてたんやろ?とかいうと んなことあるか!少し外出て運動してただけや とそっぽ向いて家の中にはよ入れと言ってくれる。 別の時は 鎌持って待ってて、別に待ってなんかない草むしってたんやと手が綺麗で元々お庭も綺麗なのにそんなことを言ってくれる。 家は少し傾いていて廊下は坂になっている。 前の地震で沈んだ。 それでも住んでいる。

          羽咋のおじーが死んだ

          御供田ばーちゃんと孫のビヨン酢

          ナンマンダブツ…ナンマンダブツ。あんさん息災やったかいね? 御供田幸子さんをご存知でしょうか? 真っ白の化粧をして 方言を使いながら 日常のことを面白おかしくコントをする石川県のスターを。 御供田さんのステージが開催されるとなるとあれよあれよと人が集まり会場いっぱい満員御礼がほとんどである。 高齢の方からの絶大な人気。 会えば泣いて喜ぶ人もいる大スターである。 約80歳にして舞踊にコントに歌謡までこなしていくスーパーな方。 梅沢富美男さんを師として教えてもらい石川県で

          御供田ばーちゃんと孫のビヨン酢

          父のクセが強かった。~知らん女がおった話~

          うちの父は【クセが強い】。 最後の最後までクセの塊だった。 ちょいちょい父の話はしてきてはいたけど、深堀り?しては無かったので想像がつきにくかったのでは無いかと思う。 そこで 私が飽き飽きするまで親父のことを書こうとおもう。 多分本人もネタにされるのは嫌いじゃない。そういう性格だったと思う。そんな遺伝子が私にもあるもの。← さて。物好きなそこのあなたにお届けしますね(笑) 【知らん女がおった話】 私が17歳ぐらいの頃の話。 テレビではアッシーやらメッシーやら貢ぎくん

          父のクセが強かった。~知らん女がおった話~

          バレンタインデーのほろ苦さフェア

          2月のこの頃になると毎度毎度思い出す過去のバレンタインデー。 恋に恋してたような 意味もわかってないような みんなあげるから私も誰かにあげたい!みたいな そんな頃、時代が皆さんにも……ありません?笑 小学校の時なんて手づくりなんてのは板チョコ溶かして固めてアザラン?とかチョコペンとかでデコるだけなんだけど、その頃なんて100均なんて無いし、モール?と呼ばれる型も無いしカップに入れるだけとかね?可愛いカップとかなら隣町のジャスコまでいけばあるんだけど、我が家にはそういうの買

          バレンタインデーのほろ苦さフェア

          風呂は我が家の歌教室

          私は母と中2ぐらいまで一緒にお風呂に入っていた。 一応季節限定。 寂しいとか怖いとかじゃなくて、冬に風呂を沸かすとすぐに冷めるのと、お風呂の湯の量が半分で肩まで浸かれるので同時に入る方が効率が何かと良かった。 1番風呂は 姉。姉は昔から長湯ができないのでそれは見事な行水であった。 姉が湯船から上がって頭を洗い終えたら でかい声で 「ビヨ!!!フローー!!!!」と呼ばれる。 平成の時代ではあったがうちの家は昭和生まれ。 その当時の多分?良さ?が詰め込まれた家だった。

          風呂は我が家の歌教室

          銭湯日和

           昔の自宅のお風呂はエコキュートなんてものはなく、ボイラーで湯を沸かしていたものだ。 我が家に外にはボイラー用の給油タンクがついてた。 しかしこのシステムは非常に脆かったと思う。 私が保育園のころにはボイラーが壊れて水しか出なくなることもしばしば。 夏なら水風呂でもまぁ凌げるが、冬は極寒だ。 オマケに今の浴槽ほどの保温効果もありゃしない。タイルというかコンクリの風呂場で冷たいのなんの。  体を温めに行ったはずなのに底冷えしてしまうくらいの場所であった。 冬に壊れたら