強いひとはおらんよ
先日墓参りに行ってきた。
月に一度は必ず訪れていた。
かれこれ20年ちかく。
……言い過ぎかしら。かれこれ16年ほどかしら。
それでもかかさず、かすみ草と仏花。
そして、タバコを1本。
供える。
タバコもかすみ草も母の好きなものだった。
石屋さんの計らいでうちの墓には座れる石が置いてある。
そこに座って ぼーーっとする。
母の吸っていたタバコはあまり見かけなくなったもんだから、適当に1ミリのタバコを買ってきて そこに座って1本火をつける。
これがまずいんだわ。
でも、母に近くなった気もしてやめられないんだわ。
さて。そんな感じで歳を重ねてきたわけだが、コロナ前やったかな。おば(母の姉)に「毎月大変やろ?無理せんでいいげんよ。」と言われてからなんとなく責務を果たした気がして3ヶ月に1度……半年に1度とペースは落ちていった。
そんなこんなで久しぶりの墓参りだった。
墓に飾った花は誰かが下げてくれていた。
たまに枯れた枝のみ残っていてホラーな演出になったりしていたこともあったが、誰か見に来て手を合わせてくれたんやろう。
ありがとう。
そんな気持ちで不味い煙をぷかーっとさせていると、ふと思い出した
母は入院中 あまり辛い姿を見せんかったなっと。
死期が近い時はごほごほはしていたものの、モルヒネの時とか抗がん剤治療のときあまり辛そうなところを見せていなかった。
実際かなりしんどかったはずなのにな……
寝れない日もあったはず。
かなしくて泣いた日もあったとおもう。
帰りたいと帰れないでイライラした日もあったはず
心配で不安になった日だってね
なのに会えばそんなことも言わず。
「どーや?頑張っとるか?」と気にかけてくれる。
それから私のマシンガントークにつきあってくれた。
母はいつ弱音をだしていたんだろう。
私が知ってるのは2回。
宣告を受けた日の 「もう死んでもういいか」と亡くなる早朝の「もう帰るんか、帰らんで」。
このふたつが今でも脳内再生できるくらい衝撃的で母の弱音だった。
マズい煙がいつの間にか2本目に。
マッチで火をつけている。
硫黄の香りが煙にのる。
ふぅーーー……。
家に帰りたくても帰れない。
治したいのに治らない。
亡くなって後日荷物など手続きで病院に行った日、担当してくれていた看護師さんが
「お母さんは強いひとだった。」
そう言われたな。
強いひと。
そうね。強いね。
でもきっと強くなくて弱くて優しい人なんよな。
優しさが強さなんよな。
なーんてそんなことを思いながら2本目のタバコの途中で携帯灰皿にぐじゃぐじゃとつぶした。
手と周りも独特の香りがしみつく。
はーっ。と吸った煙を肺から全て出し切ろうと息を吐き続ける。
あーーーと空を見上げて目を瞑る。
生暖かい風が頬を撫でていく
雲の合間から日差しがさす。まるで自分だけを包むように。
そこに母がおる気がする。
んでもって
「なーに。どんない。ほんなこと考えていいげんて。」と。
こちらの都合のいい解釈をして
来月もやっぱり来ようと腰をあげる。
お墓を見つめる。
お墓は生きとる人の心の支えみたいなもんやなぁと。
きっと母はもう転生して素敵な暮らしをしていてほしい。
というか、してる。絶対に幸せにつつまれておる。そう思う
じゃ、手を合わせることに何があるん……って思うが
「んじゃーね!またくるね。」
そう言ってあとにする。