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母のこと~初めてのお泊まり最後のお泊まり~

余命宣告をうけたけども
もうここ最近ずっとこんな感じの母の姿が当たり前になっていた。三寒四温みたいな?そんなきせつのような母の体調であった。

そして、日々抗がん剤やモルヒネを使って頑張ってくれた。

1ヶ月がすぎて

2ヶ月が過ぎて

余命宣告の3ヶ月がすぎた

たしかに母はよく眠るようになっていたし、何も食べられなくなっていたけど、起きている時もあり、話すことも出来る。

私は前のような苦しそうな母を見る機会が少なくなっていたので余命宣告なんて大袈裟なこと言うのねと思っていた。

もしかしてこれはワンチャン。奇跡に近い治り方をしているのかもしれない?
まちがいなく良い方に治っていると思っていた。

夏もすぎて秋もすぎて。

私も16歳になりまして。
イケイケのかわい子ちゃん。
母の余命も過ぎまして。

大馬鹿者の私は遊び呆けるようになりました。

バイトに一生懸命!
遊びも一生懸命!

姉との仲も超絶に悪くて 

絶賛大馬鹿者ロードを走っておりました。

おバカな私は 母が個室に移った意味もわからず、たまにの見舞いしか行かず。

姉に全てを任せていました。

姉は病院にお泊まりしたりしておりました。

そんなこんなのある日です。

それは11月17日 家に帰ると姉がおり「あんたいいかんげんにしなさいよ!遊び呆けて!!明日あんたがおかんの病院泊まりなさいま!」と言われました。

うっざ〜と思いながらも そこは久しぶりの素直に「わかった。」といいました。

次の日 車で姉に送ってもらい、病院へ。

11月18日 外はツーンと冷える夜でした。

個室に移った母をまじまじと見ていました。
黄疸が酷く真っ黄色で足は倍に脹れていて。
たくさんの管と線に繋がれていました。

母は痛い痛いとさするような行動をふわふわとするんです。寝ぼけてるみたいな。そしてしんどい顔してるんです。

なにをしてあげられるか。さすっても痛いといわれるんです。でも、さすってともいわれるのですが、とても怖かったのを覚えています。

なにかどうにかしてあげたい。
大馬鹿者ロード中の私でもたまに病院に行っていたので、母のパンパンの足をみて 足湯すると気持ちいいと言っていた数週間前を思い出し、バケツを借りてお湯を入れて足湯を用意してあげました。

足はパンパンでわけわかんないところから水が出るんです。

それを優しくタオルで拭き取りながら 足湯してあげるからゆっくり起こしてあげます。

もうね、軽いんですよね。
そして、座るのもしんどそうにして痩けた顔を傾けながら ゆっくりバケツに足を下ろしてあげたんです。

優しく優しくお湯の中でハンドタッチすると、黄色い冷たい足もほんのり赤く暖かくなっていくんです。

そして足首上までお湯につけておくとみるみる浮腫が消えたのです。もう少ししてあげたいけど母は「しんどいから横にならせて」といって終わりになります。

とにかく明るく元気付けるように「そっか!でも見て!ほら!足スッキリしたね!お風呂とか入れたら楽になるかもね!」

と言ってベットに足を戻してタオルで拭いてゆっくり横にさせます。

その際も「痛い痛い」というのです。

お湯捨ててくるね!

そう言って扉をしめて水道場で 何もしてあげられないしどうしていいか分からない私は ぼーっとバケツのお湯を捨て この違和感の感情を探していたのでした。

治るために治療を続けているのになんでしんどいんだろうか。効いてる証拠なのか?

私はそれ以外の考えが何一つ浮かびません。

そうすると看護師さんが 「大丈夫?」と聞くんです。

「わかりません。ただ母が辛そうです」と答えるとお薬してみるね。といって母になにかしてくれました。

そうするとコトリと眠りました。
白い部屋にちかりちかりと心拍数のせんが映ります。

あー楽に寝れてよかった。

そう思ってまた部屋を出て 外に出ました。

外の空気がキンキンに冷えて 星がチカチカと輝いていました。吐く息が真っ白でした。

誰にメールすることも無く。ただ息を吐いてぼーっと空を見ていました。

時間は多分夜中の12時くらい。なんとなく。母の病室に帰りたくなくて。
なんでかはわかりませんが、外の香りが人工的じゃなくてほっとしたのを覚えてます。

30分後 部屋に戻ると母は起きていて看護師さんが背中を摩っていた。

母が「どこにいっとんたん、どこも行かんで。」と少し早口で言うんです。

私は「どこもいかんよ。ごめん。大丈夫よ。」

そう言って母の背中をさするのを交代した。

そこからの母はなぜか調子が良さそうで、リクライニングを少し起こして 話をした。

久しぶりに普通に会話した気がした。

学校のこと バイトのこと。
恋愛のこと……。なんでも話した。
母も笑っていた。

治ったと思った。
なんだよ。びっくりしたなぁと。

ねー!写メ撮ろ!って言って
白い私のガラケーで写メを撮った。
母は曖昧に笑った感じだったが久しぶりの普通に「うん!黄色いけど美人や!おかん!」といって保存した。

そして、
母が、「少し眠いし寝るわ」といった。
リクライニングを倒して寝た。

私はまたそこに何だか居れないようないたくない様なモヤモヤする気持ちに蓋をするように外に出た。撮った写メを見ながらいい笑顔やなぁと思い空を見上げた。星は相変わらず綺麗だった。

そして、10分くらいで戻った。

それからぼーっとしてすることなく落ちる点滴をみつめていると母が「あぁぁぁあ!」といって急に鎖骨あたりの点滴をさせるようになにかをしてあった所を掻きむしった。

わたし、ビックリして
大丈夫?と言うと うつろうつろの母と目が合った。


首からダラダラと血が垂れた。

ただ掻きむしっただけ。それなのに

血が吹き出したのだった。


心臓がキュッとしてなにが起こったわからなかったけど、ここは冷静に「もうーだめやいね!強くかいたら~!」ナースコールをおして処置を頼んだ。こんもりガーゼを当ててもらった。

看護師が「これとったらだめやよ」といった。
正直こんもり過ぎるくらいこんもり。
首を傾けなければいけないくらいのこんもりだった。

そして母は「うぅーん」と言いながらまたうつろうつろと寝た。

血の量に驚きながらも、まぁ…寝たし…大丈夫よね。と思っていたらすぐに目を覚まして、母が「これ邪魔や……そんな出てないんやろ」と聞いてきた。


私は嘘をついた。

実はこんもりガーゼが赤く滲んでいた。
それでも「どんないよ!でも取ったらダメやし付けときまっしね!」と言ったのに母は「いやっ!!」と言ってべりっと剥がして中を見た。

真っ赤に染るガーゼに目を見開いて震えだした。

「あーー!もう!ダメやいね!とったぁら~」
となるべく柔らかい口調でおどけながら震える指でナースコールを呼んだ。

看護師さんがくるまでほんの少しだったのに母の震えた姿とありえないって顔を酷く長く見たような気がした。

私は傷つけてしまったと急に怖くなった。

看護師さんに「いやーぁ!取っちゃって!結構まだ出てるみたいでねでね!」とおどけてみせてその場を取り繕うことをした。

看護師さんは「今先生呼んできますよ!大丈夫ですよ!」と慌ただしくなった

母の呼吸が荒い。

私は その場に突っ立ているとあとからきた看護師さんに「少し離れてもらっていい?」となるべく優しく言われた。

下がるというよりよろけて下がった自分の感覚を今でも覚えている。

看護師さんひとりが先生を呼びに。
もう1人は酸素マスクを当て始め、もう1人は出血の箇所をなにかしていた。

わたしは何も出来なくて病室の洗面台の横につったた。

先生が来て なにかをする。
そして、首の箇所にでかいホッチキスをバチバチとする。
母の呼吸が「ひーひーひー」となり、「大丈夫大丈夫だよー」「落ち着いてね」と母に声をかけてる。機械もぴぴぴぴとなる。何が起きているかわからない。

そうして先生に「今夜が山。みんな呼んで」といわれた。


今夜が山?


母を見た 。ゼイゼイと苦しそうに何かを吐き、なにかをされてなにかをしていた。


今夜がやま。


私はそっと病室を出て廊下で姉に電話した。
時間は夜中の3時ごろ。

プルル……プルル……と鳴らしても電話に出なかった。

震えながら ちぃおばちゃんに電話をした。


ガチャとでた。

寝起きの声だった。
私は 震えていた。

「あの……今夜が山で……みんな来て欲しいって言われてん。でも姉が出んくて……」

その瞬間にちぃおばちゃんが 「わかった。いく。待ってて。ケイコさんにも伝えて。姉のことはこっちで連絡とるから。そばにいて。」

ガチャりと電話が切れて。

ツーツーツーとなった。

でも、先生も看護師さんもいる部屋に戻る勇気が出なくて。

開けたらどうにかなってそうで。

私は聞き耳だけを立てて廊下にいた。

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