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うちの父はクセが強い~お弁当~

 うちの父は【クセが強い】。
最後の最後までクセの塊だった。

ちょいちょい父の話はしてきてはいたけど、深堀り?しては無かったので想像がつきにくかったのでは無いかと思う。
そこで
私が飽き飽きするまで親父のことを書こうとおもう。

多分本人もネタにされるのは嫌いじゃない。そういう性格だったと思う。そんな遺伝子が私にもあるもの。←

さて。物好きなそこのあなたにお届けしますね(笑)

【お弁当のクセが強い話】

私は姉と6歳離れている。
なので唯一の同時行事を見られるのが小学校一年と六年であった小学生時代なのである。

その年の運動会の前日に母がなぜか鼻血が止まらなくなって急遽入院となった。

父が次の日休みだった為に 運動会のお弁当を持って行って欲しいとなったのだった。

父はもともと行事などに一切参加しない人であった。
入園式や卒園式、入学式に参加日…そのほかの地域のイベントなどなど一度も顔を出したことがなかった。

今の時代だと考えられないかもだけどユトリが始まる前辺りまでは運動会は地域のイベントでもあって各町内のテントが張られてその中で家族が持ち寄ったお重のようなお弁当を食べたり、はたまた飲んだりまさに祭りのようだった。

私は姉の運動会を見に行っていたので憧れていたしワクワクしているイベントであった。

ハチマキを巻いて各種目で頑張るとメダルや金ピカシールが胸元に貼られて一躍ヒーローになれるのだから。

○○ちゃんすごいねー!早かったねー!とか町内のみんなに褒められておにぎりやお稲荷さん、唐揚げにカニさんタコさんウィンナーのお重をデレデレしながら食べる、最高に気持ちよさそうなイベントだと思っていた。

だからこそ1年生になったらー!友達100人より運動会でヒーローになるんだもん!が夢であった。

しかし。
母が前日に入院となった。
私は『お弁当!!!私のお重のお弁当は!!!??』と母の鼻血の心配よりそっちを聞いた気がする。

母は おっとうに頼んであるし大丈夫や。頑張ってねと言った。

うちの父もなかなか料理が上手い人だった。
よく角煮や鶏皮になどコッテリの料理を作っていた。
横浜出身だからだろうか、中華鍋がある家だった。

父に『明日お弁当あるん?』と聞いた。

父は『あー?あるぞー』と酒を飲んでいた。

私は嬉しくなって
『ウィンナーある?ポークビッツのクシに刺さっとるやつ!』と言ったら

『あー。串なくし。あとたくわん好きやろ?いれるぞー』

とニヤリとしながら言った。

私は当時黄色いたくあんが大好きで舌が黄色くなるまで食べた人だった。

姉に『明日!たくあんあるってさ!』と言ったけど姉は『ふーん。』それだけだった。

明日はなにがあるんだろ?わくわく!
初めての運動会!沢山メダル貰ってシールもらってお母さんに見せてあげよう!とその日は早く寝た。

次の日、水筒に水を入れて学校へ向かった。

父は昼頃に来ると言っていたのでワクワクしながら各種目を頑張った。

金メダルや金ピカシールはそんなに貰えないけど銀メダルや銅メダルはそこそこ集められた。

おとんに見せて自慢してやろう!と思った。

そして12:30頃 
姉と合流して町内のテント近くで待った。

みんな集まってわーわー!と声を上げながらお弁当のパーティータイムが始まった。

私はじろ〜とみんなの様子を見ていた。

あ!○○ちゃんちはサンドイッチ!フルーツ盛りもある!

え!○○くんちはおはぎに骨付きの唐揚げやー!

なんて思いながらいた。


10分ほど立っていたら
近所のお母さんに
『あれ?ビヨちゃんちのお母さんたちは?』と声をかけられて姉が愛想良く間髪入れず『今忘れ物しちゃってもう来ます!あ!ほらビヨあっちにおるわ!いくよー!』と手を引かれた。

どこをどう見ても 父がいない。

本部テントを越えてグラウンドの端の方へ歩いた。

私『え?どこにおる?おらんよ?』と姉に聞いたら

姉は『…』何も言わずに手を引いた。

なんとなくこれ以上聞いちゃ行けない気がしてとうとうグラウンドから出て保護者の駐車場あたりまで出た。

え、学校の敷地外にでたよ?と思いながらも手を引かれて市民センターの玄関エントランスに座った。

ぼーっと家の方角の道を見つめていた。

私はお腹もぺこぺこ。
何をしているか分からないけど姉の腹の虫も鳴いたので何も言わずに2人でぼーっと見つめた。

後ろのグラウンドからはなんとなく楽しそうな声が聞こえたりしていた。

薄暗い玄関エントランスの石がひんやりしていた。


それからどれくらいだったか、見つめていた先から母の自転車にのった父がふらふらと慌てることなくやってきた。

私『あ!おとんや!』と立ち上がってブンブン手を振った

ギィイイイ!!!と軋むような音をさせながら自転車を止めた。
すると父は
『なんやお前らここにおったんか。』

私は『うん!待っててんよ!はやくはやく!』とグラウンドの方へ手招きした。

父は『やーわいやめんどくさい。その辺で食えばええ。』と、駐輪所の横の茂みへ歩き出した。

あれ?町内のテントで食べんなんって先生言ってたよ!と思ったけど、姉も何も言わず着いていき誰もいない茂みの奥に階段下のような死角にオトンから渡された小さい敷物を敷いた。

えーー!と思ったけど、それがそうならそうなのかとなんだかモヤッとしながら私も座った。

風呂敷に包まれた お弁当をどんと中心に置いて

父『ほら!食っていいぞー』と言った。

わたしは初のお重弁当にわーいわーいと思って風呂敷を開いた

ミスドで貰った男の子か女の子が書かれた2段重の1段目を開けた。すると、大人のこぶし大の海苔で巻かれた真っ黒いまぁるいおにぎりが4つ。

おー!!!!となった。

2段目を開けると

黄色いたくあんの上にポークビッツと赤ウインナーがミックスされたそのまんまが居た。

  私『あれ?串は?』
父『めんどくせーわい。横に爪楊枝あるし自分で刺して食え。』

んー…と思ったけどたしかに炒められたウィンナーたちの横にアルミホイルで包まれた爪楊枝があった。



以上。
なんともスカスカで。
なんか思ってたの違う。

んーと見つめていると姉が早く食べないと間に合わんよと言って おにぎりを頬張った。

私も急いで頂きますをしておにぎりを食べた。
具材は塩のみ。
シナシナの歯切れの悪い海苔に食いつく。

口いっぱいにおにぎりを詰め込み、
父に『からあげとかないの?』と聞いたら

父は『んあ?言ってなかったし無いぞ。お前がゆーたもんだけや』と。

あーそっか。ポークビッツと沢庵だけしか言ってなかったか…と思いながら続きのおにぎりを食べた。

無言の時間か流れる。

自分の咀嚼音が脳に響く。

でも、ほんの少しだけ嬉しかった。
父が見に来てくれたことも運動会をしていることも。

だから私は父に

『みて!このメダル!いいやろー?』と見せた。

褒めてもらえるしすごいと言って貰えると思っていたから
各種目でどんな競技だったかを説明しようとした

 『これが~障害物競走で~!これがぁ~玉入れのでぇ~これが応援の声大きかったら貰えるのでぇ~ほんでこれがぁ『あーわかったわかった。おかー帰ってきたら言え。』


と。途中で切り上げられてしまった。
少しだけしゅんとしたけど、まぁ今日の夕方には帰ってくるしお母さんに見せてあげようと思って、赤ウインナーとポークビッツを交互に爪楊枝にさして食べた。

少したくあんの味がした。

姉は黙々と食べて腹を満たしていた。

父が立ち上がり貧乏ゆすりを始めた。

父『まだ食うとるなら、ワシ先帰るしお前らこれ持って帰ってこいま』

と言った。

私は『えー!帰るん!?見てかんがん?』
父『んなもん!わしは忙しいんじゃ。』と言った。

すると姉が『わかった。いいよ。びよに持たせるし。』と言った。


え!?わたし?この風呂敷持って!?やーーーだー!と思ったけども、
父は嬉しそうに『お!ほか!ほんなら頼むぞ!』と帰っていった。


姉は『わたしもういらんし、あんた全部食べな』とどこか行こうとした。

 私『え!まって!私も行く。』そう言って残りのおにぎりを口に無理やり詰め込みしまい始めた。

姉は

待ってくれた。

そして風呂敷につつみ終わり、茂みから出て、姉の後ろに引っ付いて隣の町内テントに行った。

みんな各自ご飯を食べ終わり遊ぶ子は遊んでと好きなことをしていた。

着いたテントがばーちゃんちの町内のテントだった。

姉といとこたちは歳も近くまして、本家なので内孫の応援にとばーちゃんも来ていた。

ばーちゃんたちはもちろん食べ終わっていた。が、見つけるなり、手招きして

がんばっとるかー?応援しとったぞー!と褒めてくれた。

嬉しくて欲しかった言葉を掛けてくれてモヤモヤも晴れた。

そして、ばーちゃんは 午後からも頑張れんぞー!と言ってくれて私たちは自分の団の席に戻った。

それから午後からも一生懸命にがんばったのだった。

帰りは各家庭で帰って良いことになっていた。

私たちは姉と玄関で待ち合わせて2人で帰った。

姉に『おねーちゃん踊り良かったね!』と伝えると『あんたも綱引き頑張っとたじ』と言ってくれた。ホクホクである(笑)

そして、帰り道の途中の用水があるあぜ道で
姉がお弁当ひろげんか?といった。

ん?と思ったけど、言われた通りに広げた。

おにぎり2個とウインナーたくあんミックスが残っていた。

姉はおにぎりを半分に割って 半分食べなと言った。
お腹すいてないと言ったけど、いいから食べな。と言ったので半分このおにぎりを頬張った。

先に食べた姉がまだ入る?と聞いてきたが首を横に振ったら
 立ち上がり、お弁当を用水に向かって逆さまにした。

ボチョンボチョ!と水の音がした。

え!?勿体ないじー!と言うと、『全部食べたって言うんやぞ』と言った。

すごく勿体ないことをしてるのに!ダメねんぞ!と思ったけど何度もねんをおされて、わかったと頷いた。


帰宅すると父は部屋にこもり大いびきをかいて寝ていた。

私は空になったお弁当箱を台所に運んで、母の帰宅を待った。

夕方にバスで帰ってくる。
ワクワクしながら母の帰りをまった。

日も落ち始めたころ家の前の道路で遊んでいると母が歩いて帰ってきた。私はおかえりー!!と母に飛び込んで今日の出来事をこれでもかと伝えた。

すごいすごいと沢山褒めてくれた。

母は、お弁当は大丈夫やった?と聞いてきて言いそうになったことをはっ!と思い出し、うん!全部食べたよ!と伝えると少しほっとした顔したお母さんが見れた。

夜になり、父も眠りから起きて、酒を飲み始めた。

すると父は『おー!今日どうやったんや?』と珍しく話しかけてくれたので、私は母に話した運動会ダイジェストを伝えた。

すると、『おー!ビヨはなかなか運動神経ええんやな。俺の子やなぁ』とよくわからんが褒めてくれた?気がしてさらに話をした。

父に興味を持って貰えたことが嬉しかったし、来てくれたことが嬉しかった。あと、父は3角のおにぎりが作れない人だった。あと、プライドは高いクセに小心者で。町内のテントに入ったり初めてのことをとにかく苦手。遅れてきた理由は…お弁当の詰め方に悩んだそうだ。

ご飯を食べてる時に貧乏ゆすりしてたのは慣れない環境がストレスだったのでしょうな。
まぁ
父は父なりに頑張ったのであった。


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