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アメリカン・ポップス・クロニクル Extra Edition British Pop #05

Billy J. Kramer with The Dakotas

ウィリアム・ハワード・アシュトン(1943年8月19日生まれ)はリヴァプール、ブートルの出身で、地元リヴァプールのコースターズというグループでギタリストとして音楽活動を始めました。グループのヴォーカリストが脱退した際に、ギターの腕前が今ひとつだったアシュトンはリード・シンガーに転向しました。

1962年、マージービート誌が行った人気投票のアマチュアグループ部門で3位に選ばれたのを目にしたブライアン・エプスタインにスカウトされ、プロに転向しました。エプスタインはウィリアム・アシュトンとソロ契約を交わし、バックバンドにはマンチェスターで活動していたダコタスを呼び寄せました。ダコタスは、マイク・マックスフィールド=ギター、ロビン・マクドナルド=ギター、レイ・ジョーンズ=ベース、トニー・マンスフィールドがドラムスというメンバーで、彼らもエプスタインと契約しました。

1963年、ビリー・J・クレイマー&ザ・ダコタスのデビュー曲は、レノン=マッカートニー作の"Do You Want to Know a Secret"のカバーで、全英2位とヒットしました。ビリー・J・クレイマーというステージ・ネームは、電話帳から無作為に選んで、ジョン・レノンが決めたということです。

セカンド・シングルの"Bad To Me"はジョン・レノンの書き下ろしによるもので、見事に全英1位に輝き、 続くシングルはレノン=マッカートニー作の"I'll Keep You Satisfied"で、こちらも全英4位とヒットして、一気に人気バンドの仲間入りを果たしました。

ザ・ダコタスも63年7月に、マイク・マックスフィールド作のインスト・シングル"The Cruel Sea"をリリース、全英18位にランクされました。この曲はアメリカではヴェンチャーズが"The Cruel Surf"としてカバーしていました。この後、ザ・ダコタスは9月に"Magic Carpet"、11月には"Oyeh"を続けてリリースしていました。

64年、ビリー・J・クレイマーの次のシングルは、レノン=マッカートニーが絡まない曲をリリース、J. Leslie McFarland/Mort Shuman作の"Little Children"は、これまでの作風とは一味違うスロウ・ビートで、全英1位に輝く大ヒットで、アメリカ市場にも活動の場を広げていきました。

アメリカではインペリアル・レコードから以前リリースされていた"Bad To Me"とのカップリングで"Little Children"をリリースすると、"Bad To Me"が全米9位、"Little Children"は全米7位とヒットして、彼らは「エド・サリヴァン・ショー」や「シンディング」に出演して、アメリカでの人気を決定的なものにしました。

ポールが書き下ろした"From A Window"は当初ピーター&ゴードンのために書いた曲でしたが、ビリーがどうしても自分達に歌わせて欲しいと懇願してリリースされた曲で、アメリカでは23位のスマッシュヒット、英国では10位のヒットになりましたが、この曲がビリーにとってはレノン&マッカートニー作品の最後の曲になりました。

64年末には、ダコタスのギタリストとしてミック・グリーンが加入して、65年の最初のシングルは"It's Gotta Last Forever"をリリースしましたが、全米67位、英国では初めてチャートインを逃すという結果になってしまいました。ヒットチャートに返り咲く曲を探していた彼らは、ミック・グリーンが見つけてきたバカラック&デヴィッド作の"Trains and Boats and Planes"をリリースしました。この曲は作者のバカラックVer. と競作になり、ビリーのバージョンは全英12位、全米47位を記録して、一方バカラックのほうは全英4位という結果でした。

この後、66年にかけてシングルを4枚リリースしましたが、英国、アメリカともにヒットには繋がりませんでした。


The Searchers

サーチャーズのメンバーは、1957年、歌手のロニー・ドネガンが "Rock Island Line" という曲で開拓した英国のスキッフル・サウンドに影響を受けて、一緒に演奏し始めました。ギタリスト兼シンガーのジョン・マクナリーは、リバプールのバンド、レッカーズとコンフェデレーションズからギタリスト兼シンガーのマイク・ペンダーを、リバプールのバンド、マーティニスからギタリスト兼シンガーのトニー・ジャクソンをスカウトしました。ジャクソンは、自分で設計して作った楽器を使い、グループのベーシストになりました。しかし、彼はベースを弾きながら歌うことが難しく、リードボーカルにはジョニー・サンドンが起用されました。ドラマーとしてノーマン・マクギャリーが加入しましたが、まもなく脱退。後任はクリス・クルミーで、彼はクリス・カーティスと改名しました。60年から61年にかけて彼等は、ジョニー・サンドン&ザ・サーチャーズとして活動していました。

サーチャーズは、ジョン・ウェインが最も有名な役を演じたジョン・フォードの映画『サーチャーズ』から名前を取ったもので、サンドンは最終的にバンドを脱退して、1962年にレモ・フォー(Remo Four)を結成しました。同じリバプールのバンドであるビートルズのように、サーチャーズはキャバーン・クラブやアイアン・ドアで演奏し、ドイツのハンブルグのスター・クラブにも足を運んでいました。1962年末にハンブルグから戻ったサーチャーズは、トニー・ハッチとマネジメント契約を結び、パイ・レコードとレコーディング契約を結びました。

バンドの最初のシングル"Sweets for My Sweet"は、モート・シュマンとドク・ポーマスがドリフターズのために書いた曲で、グループのハーモニーが効果的に使われ、63年夏に全英1位に輝きました。後にペトゥラ・クラークが1960年代半ばに出したポップ・シングルの作曲、プロデュース、マネジメントを担当したトニー・ハッチは、フレッド・ナイチンゲールというペンネームで彼らのセカンド・シングル"Sugar And Spice"を作曲しました。この曲は、再びグループのハーモニー能力を示すものとなり、11月半ばに全英2位を記録、全米では44位にランクされました。

バンド最大のヒット曲は、アメリカ西海岸の音楽シーンに大きな影響を与えたフォーク・ロック・ブームの前触れである、1964年のナンバーワン・ヒット"Needles And Pins"でした。この曲は、アメリカのレコード・プロデューサー、フィル・スペクターのために、ジャック・ニッチェとソニー・ボノの2人のセッションミュージシャンによって書かれたもので、ジャッキー・デシャノンによって初録音されていました。"Needles and Pins"でフィーチャーされた12弦リッケンバッカーのギターサウンドは、後にビートルズの映画「A Hard Day's Night」のサウンドトラックで圧倒的な存在感を示し、その後、バーズの音楽的方向性に影響を与えることになりました。

ザ・サーチャーズの複雑なハーモニーとリッケンバッカーの12弦エレキギターの独特なチャイム音は、彼らの特徴をよく表していて、1963年から1965年にかけて、クローバーズの "Love Potion No.9"、ドリフターズの "Sweets for My Sweet"、コースターズの "Ain't That Just Like Me"、オーロンズの "Don't Throw Your Love Away" 、バーバラ・ルイスの "Someday We're Gonna Love Again" などアメリカのR&Bのカバーで世界的に成功することになりました。これらの曲は、3部や4部のハーモニーと緊密な音楽構成が特徴で、同じリバプール出身のビートルズと比較されるようになりました。ジョン・レノンが「今一番好きな曲はサーチャーズの "Sweets for My Sweet "だ」と報道陣に語ったことが、彼らをポップミュージック・チャートのトップに押し上げたのでした。また、プロデューサーでポップミュージックの興行主でもあるトニー・ハッチのオリジナル曲 "Sugar and Spice "や、ソニー・ボノとジャック・ニッツェの "Needles and Pins"、マルヴィナ・レイノルズのエコロジーがテーマの曲 "What Have They Done to the Rain?" などをカバーして、やや無名のアメリカの歌を再発見するコツを掴んでいたグループでもありました。


The Zombies

ゾンビーズの母体は、ロッド・アージェントが高校時代にポール・アトキンソン、ヒュー・グランディーと組んだトリオで、おもにR&B、ジャズを演奏していたということです。これにコリン・ブランストーン、ポール・アーノルドが加わって5人組となり、アーノルドの命名でザ・ゾンビーズと名乗るようになりました。しかし、アーノルドが脱退して、代わってクリス・ホワイトが加入しました。

卒業後は、ボーカルのコリン・ブランストーンは保険ブローカー、ドラムスのヒュー・グランディは銀行員、ピアニストのロッド・アージェントとギターのポール・アトキンソンは大学へ、ベースのクリス・ホワイトは教員を目指すなど、それぞれ進路を決めていました。

1964年、それぞれの道を歩み出す直前に、彼らは『ロンドン・イブニング・ポスト』紙主催のハート・ビート・コンテストに応募すると、このコンテストに優勝して、優勝したバンドにはデッカ・レコードとの契約が与えられるというもので、テリー・アーノルドがマネージメントを申し出て、ゾンビーズはデッカ・レコードと3年契約を結びました。

デビュー曲には、アージェント作の"She's Not There"が選ばれて、ヴォーカル・ハーモニーとアージェントのエレクトリック・ピアノソロが効果的なこの曲は、全英12位のヒットになり、アメリカではパロット・レーベルからリリースされて、64年の初秋には全米2位を記録する大ヒットになりました。

"She's Not There"のヒットを受けて、ゾンビーズの面々は渡米して活動、64年11月にはアルバム『The Zombies』をリリースしました。12月にはアメリカでのセカンド・シングルの"Tell Her No"をリリースすると、全米6位を記録するヒット曲になりました。イギリスでこの曲をリリースしたのは、翌65年1月で、結果は全英30位止まりと、アメリカの人気には及びませんでした。英国でのデビュー・アルバムのリリースも、アメリカから遅れること9ヶ月後のことで、アルバム『Begin Here』は大きなヒットには繋がらず、米英との差が歴然とした結果になりました。

67年、彼らはデッカとの契約が満了となり、CBSレコードに移籍して、移籍第一弾シングルはクリス・ホワイト作の"Friends Of Mine"をリリースしましたが、ヒットには至らず、その年の11月にはCBSでの2枚目のシングル"Care Of Cell 44"をリリースしましたが、この曲も米英どちらでも無反応という結果に終わっています。

コリン・ブランストーンはこの頃グループの活動に不満を募らせていて、音楽シーンそのものに完全に幻滅していたようで、ポール・アトキンソンと共にグループを脱退してしまいました。

ただ、ゾンビーズはCBSとの契約は残っていたので、アージェントとホワイトは、2人が脱退する前にアビーロード・スタジオで録ってあった楽曲を集めてアルバムを作りました。

68年4月、アルバム『Odessey and Oracle』がリリースされました。しかし、イギリスでは結果がついてこず、アメリカでは発売を見合わせていましたが、当時コロンビア・レコードのA&R担当のアル・クーパーが渡英中にこのアルバムを聴き、衝撃を受けて、アメリカでの発売を断固として主張して、コロンビアが承諾して、発売にこぎつけました。

アメリカではコロンビアのレーベルのデイトから、まず6月に"Butcher's Tale (Western Front 1914)"をシングル・リリース、続いてアル・クーパーの強い希望で"Time of the Season"をリリースしましたが、当初ヒットには至らず、10月にはアルバム『Odessey and Oracle』が発売されました。

バンド自体は既に解散状態にありましたが、デイトはカップリング曲を変えて"Time of the Season"を再リリースすると、69年初頭に各都市でオンエアされるようになり、3月にはビルボード・ホット100で3位となり、キャッシュボックス・チャートでは首位になり、カナダでも1位を獲得しました。

『Odessey and Oracle』は60年代ポップスの金字塔となるアルバムのひとつになり、セールス的にも200万枚以上の売り上げを記録した作品になりました。

(2022/08/16)

Extra Edition British Pop #01 (2022/07/04)
Extra Edition British Pop #02 (2022/07/11)
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ch.7

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2.Songwriters Series #02 (2022/03/26)
3.Songwriters Series #03 (2022/03/31)
4.Songwriters Series #04 (2022/04/05)
5.A&M Records (2022/04/11)
6.Folk Rock 1965-69 (2022/04/17)

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ch.3

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3.夜明け前の月光 (2022/02/03)
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3.1960年のヒットソング (2021/12/31)
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