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アメリカン・ポップス・クロニクルSongwriters Series #01

Anders & Poncia

Peter Andreoli は1941年4月28日、ロードアイランド州プロビデンスの生まれ。彼はドゥーワップ・グループのThe Videlsを結成、1959年頃にVincent "Vini" Ponciaがグループに参加しました。Vini Ponciaもプロビデンスの出身で、1942年4月29日の生まれです。

1959年、The VidelsはRhody Recordsから"Be My Girl"/"Place In My Heart"をリリース、The Videlsのマネージャー役のMaurice “Jimmy Boo” BouchardとPeter Andersの共作のこの曲は、地元チャートでNo.1になるヒットでした。

この頃、Peter AndersとVini Ponciaはコンビを組んで作曲するようになりました。彼らの作る曲は、地元ロードアイランド出身で、エディ・フィッシャーやドリス・デイのNo.1ヒットソングを書いていたJimmie Craneに高く評価されて、ピアサザン音楽出版社のLucky Carleと繋がりを持つことになり、その結果彼らはKapp RecordsのサブレーベルJDS Recordsと契約しました。

1960年、Anders & Poncia作の"Mr. Lonely"をリリース、6月20日付けチャート、ビルボードHot 100で73位を記録しました。当時Vini Ponciaはまだ高校生で、卒業後The Videlsはディック・クラークのキャラバン・ツアーに参加、アメリカン・バンドスタンドにも出演しました。

The Videlsはこの後、数枚シングルを残しましたが、ランクインすることはなく、グループは解散して、メンバー達はロードアイランドに戻りましたが、Peter Andersはニューヨークに残り、作曲活動を続けました。PeterはDoc Pomusと出会い、ヒル・アンド・レンジ音楽出版社と契約しました。PeterはVini Ponciaを呼び戻し、コンビはブリルビルディングで作曲活動を行い、ゴフィン&キングやポーマス&シューマン、マン&ワイル達から影響を受けています。フィル・スペクターも彼らの活動に注目しだしました。

彼らは僅かな作曲家としての収入を補うために、The Videlsとしてライブ活動も行っていて、メンバーにはバックシンガーやセッション・ミュージシャンを使っていました。また、この頃、“Hushabye”のヒットがあったThe Mysticsの George GalfoとAllie Contreraと組んで、時にはThe Videls、時にはThe Mysticsとして4人は活動していました。そこから生まれたのが、Bigtop RecordsからPete And Vinnie名義でリリースされた'Handclappin' Time"です。

1963年秋、フィル・スペクターはヒル・アンド・レンジ音楽出版社と新しい契約を結び、Anders & Ponciaをカリフォルニアに呼びます。彼らはスペクターのもとで約1年半働き、ソングライター、セッション・ミュージシャン、アレンジャー、アシスタント・プロデューサーを務めました。フィレスでのヒット曲は、“The Best Part Of Breaking Up” (#39), “Do I Love You” (#34)がありました。

シェールの初レコーディング曲“Ringo, I Love You” も彼らが書いた曲で、Bonnie Jo Mason名義でリリースされました。また、Doc Pomusと彼らの共作の “(When) I Get Scared” はThe Lovelitesが歌っています。The Treasures名義でリリースされた"Hold Me Tight"はレノン=マッカートニーのカバーで、これらはいずれもフィレスのサブレーベルからのリリースでした。

1965年、彼らはニューヨークに戻りました。そして彼らは再び自分達のために曲を書き、デモテープを作りました。カリフォルニアでの体験を生かして作られた曲は、リーバー&ストーラーが新しく作ったレーベルのRed Bird Recordsに持ち込まれ、グループ名はThe Trade Windsと付けられて、リリースが決まりました。"New York's A Lonely Town"は、32位のヒット曲になりました。また、この年のエルヴィス・プレスリーの映画『ハレム万才』の主題歌に、彼らの"Harem Holiday"が選ばれました。

65年末、彼らはアーティ・リップのKama Sutra Recordsに移籍が決まり、シングル曲"Mind Excursion"は全米51位のヒットで、アルバム『Excursions』もリリースされました。

Anders & Ponciaは新しくスタジオ・グループのThe Innocenceを結成し、彼らがプロデュースしていたThe CrittersのDon Cicconeが書いた“There’s Got To Be A Word”は全米34位のヒット曲になりました。アルバム『The Innocence』もリリースされ、2枚目のシングル“Mairzy Doats”は75位と伸びずに終わり、グループも消滅させました。翌67年にはPeter Anders名義でBuddah Recordsから"Sunrise Highway"をリリースしましたが、これはランク外の結果となり、彼らはスタジオワークに専念することになりました。

ただ、スタジオワークという点から見ると、2人はKama Sutra RecordsとそのサブレーベルであるBuddah Recordsの数多くのレコードで作曲、制作、演奏をして、また他のレーベルにも作品を提供するなど、レコード・ビジネスにおいては旺盛な活動を続けていました。彼らの出版社であるヒル&レンジはまだ彼らの作曲を手がけていて、1960年代の終わりまで何十枚ものカバーが録音されました。この時期に彼らが関わったアーティストやミュージシャンには、トミー・ジェームス&ザ・ションデルズ、ヴィンス・エドワーズ、ボビー・ブルーム、リチャード・ペリー、リッチー・コーデル、ボー・ジェントリー、ケニー・ラグーナ、トニー・ブルーノ、ジェイ&ザ・アメリカンズなどがいました。

(2022/03/19)

ch.1

1.1959年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
2,1960年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
3.1960年のヒットソング (2021/12/31)
4.インストゥルメンタル・ヒット (2022/01/04)
5.60'Sポップスの夜明け (2022/01/05)
6.R&B、ソウルミュージックの躍進 (2022/01/07)

ch.2

1.シビレさせたのは誰 (2022/01/14)
2.ブロンクス・スタイル (2022/01/15)
3.ツイストが2度輝けば (2022/01/21)
4.太陽を探せ (2022/01/22)
5.1961年のNo.1 R&Bソング (2022/01/25)
6.Romancing the '60s (2022/01/27)

ch.3

1.サーフビート・ゴーズ・オン (2022/01/29)
2.A Sunday Kind of Love (2022/02/01)
3.夜明け前の月光 (2022/02/03)
4.West Coast R&B (2022/02/05)
5.くよくよしないぜ (2022/02/06)
6.誰にも奪えぬこの想い (2022/02/10)

ch.4

1.ビートにしびれて (2022/02/13)
2.Power Blues & Sophisticated Soul (2022/02/18)
3.I'll Go Crazy (2022/02/20)
4.Do You Wanna Go With Me (2022/02/23)
5.I Got Lucky (2022/02/25)
6.The Lovin' Touch (2022/02/28)

ch.5

1.The Boy I Love (2022/03/03)
2.Flip and Nitty (2022/03/06)
3.Tedesco and Pitman (2022/03/08)
4.Twilight Time (2022/03/10)
5.This Could Be The Night (2022/03/12)
6.1964年のNo.1ヒットソング (2022/03/15)

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