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アメリカン・ポップス・クロニクル   1960年代編 ch.1 (3)

1960年のヒットソング

それでは、60年のヒットソング、チャートでNo.1の曲だけでなく、チャートの動きを眺めて気付いたことを紹介していきたいと思います。

1956年、サン・レコードに所属したロイ・オービソンは"Ooby Dooby"が59位にランクされ、その後の活躍に期待されましたが、鳴かず飛ばずでヒットが出ず、RCA~モニュメント・レコードに移籍します。ようやく、59年にリリースした"Uptown"が72位と久々にチャートインしました。この曲は、その頃ロイ・オービソンが意気投合し、お互い曲作りに励んでいたジョー・メルソンとの、初の共作曲でした。

そして、翌60年、同じくジョー・メルソンと書いた"Only The Lonely"が、モニュメントのプロデューサーであるフレッド・フォスターのもとでリリースされ、この曲はなんと2位まで上がる大ヒットとなりました。ちなみに、その時の1位は、ブレンダ・リーの"I'm Sorry"でしたね。いずれにしても、この"Only The Lonely"で、ロイ・オービソン・サウンドを確立したと言ってもよいと思います。

この後、ロイ・オービソンの人気は続き、翌61年の"Running Scared"、64年の"Oh, Pretty Woman"と、2曲が全米No.1を獲得しました。他にも"Crying"、"Dream Baby"、"Blue Bayou"など名曲が多数ありました。

続いては、1938年フロリダ生まれのシンガー・ソングライターで、レコード・デビューは1958年、60年代には我が国でも非常に人気のあった歌手がいました。

その名もジョニー・ティロットソン。彼は地元フロリダ大学在籍時にテレビ出演して歌うなど人気があり、ケイデンス・レコードの社長アーチー・ブレイヤーの目に留まり、ケイデンスと契約しました。自作の"Dream Eyes"が最初のシングルで、チャートは63位。しばらくは同じようなチャート・ポジションにいましたが、60年10月に72位でチャートインした6枚目のシングル"Poetry In Motion"が見事人気を獲得して、2位まで上がり、人気歌手の仲間入りを果たしました。

この時の1位は、レイ・チャールズの「我が心のジョージア」でした。日本での人気は、少し遅れて64年に「ポエトリー」としてヒット。65年には浜口庫之助さんが書いた「涙くんさよなら」を英語詞・日本語詞でカバーしヒットさせましたが、本国アメリカではこの60年が絶頂期でしたね。​

(2021/12/31)

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