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アメリカン・ポップス・クロニクル 1960年代編 ch.1 (4)
インストゥルメンタル・ヒット
エルヴィス・プレスリーの兵役で仕事が無くなってしまったのが、デビューからバックを務めていたスコッティ・ムーア(Gt.)とビル・ブラック(Ba.)でした。スコッティ・ムーアはメンフィスに新しく出来たレコード・レーベルのファーンウッド・レコードに副社長兼プロデューサーとして迎えられ、後にフリートウッズの歌唱でも知られるトラジディをトーマス・ウェインが歌い、全米5位と大ヒットさせました。また、スコッティ・ムーア・トリオでもギター・インスト曲"Have Guitar Will Travel"をリリースしていて、トリオのメンバーは、スコッティ・ムーア、ビル・ブラック、D. J. フォンタナという、お馴染みのメンバーでした。
スコッティ・ムーアの活動に刺激を受けたビル・ブラックは、自身のトリオを結成して、サン・レコード時代の同僚だったレイ・ハリスが作ったハイ・レコードから、ビル・ブラックス・コンボとしてレコード・デビューしました。1960年のR&B No.1ヒット曲を紹介しましたが、彼らの曲が2曲No.1に輝いていましたね。"Smokie Part.2"はR&B1位、ポップでも18位と大ヒット。次の"White Silver Sands"はR&B1位、ポップ9位と1枚目を上回る大ヒットとなりました。ビル・ブラックス・コンボは、その頃多数いたR&B、ロック・インストバンドの中でも、トップクラスの地位を獲得したのでした。
インストゥルメンタル・バンドは1950年代半ばから多数登場しますが、当初は、R&Bの流れから出てくるのが多く、オルガンやサックスが中心となり、Bill Doggettが有名です。ギターを主役に登場したのが、トゥワンギー・ギター Duane Eddyのレベル・ラウザーですかね。全米No.1ソングでみると、The Champsのテキーラ、Dave "Baby" Cortezのハッピー・オルガン、Santo & Johnnyのスリープ・ウオークが首位を獲得していました。
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そして、1958年ワシントンで結成された白人ロック・インストバンドがヴェンチャーズです。1960年、ブルー・ホライズン・レーベルからデビュー・シングルをリリース。続く2枚目のシングル"Walk Don't Run"(急がば廻れ)で人気が出て、メジャーのドルトン・レーベルから再発。全米チャート2位まで上がるヒットとなりました。ひとつ上にいたのはエルヴィス・プレスリーの"It's Now Or Never"でしたね。
ヴェンチャーズは、本国アメリカではサーフ・ミュージックの元祖と言われたり、60年代前半には数多くのサーフ・インストバンド、ガレージ・バンドが登場します。ヴェンチャーズはこの後も、パーフィディア、ブルー・ムーン、10番街の殺人やダイアモンド・ヘッドなどTop100に入る曲を出していきますが、"Walk Don't Run"を超える曲は登場せず、またR&B部門にランクされたのも"Walk Don't Run"(R&B13位)1曲だけでした。
我が国日本におけるヴェンチャーズは、ビートルズと並び爆発的な人気があり、日本のポップス、ロックの発展に多大な影響を与えたグループであったと思います。70年代以降、洋楽に接する事が徐々に容易になっていき、聴いたり、見たりする機会が増えるにつれ、ヴェンチャーズへの評価が若干変わっていったように思えます。しかし、彼らの登場がなかったら、現在の日本のポップス状況はあり得なかったと思います。その辺りに関しては、また機会を改めて考察したい思います。
(2022/01/04)
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