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アメリカン・ポップス・クロニクル 1960年代編 ch.4 (3)

I'll Go Crazy

1957年、The "5" Royalesの"Think"は、R&B4位、ポップ66位のヒット曲でした。この"Think"を60年にカバーしたのが、ジェームス・ブラウンです。

ザ・フェイマス・フレイムスは1953年にボビー・バードがジョージア州トッコアで結成したR&Bグループが最初です。ジェームス・ブラウンは、40年代後半に武装強盗の罪で有罪判決を受け、51年トッコアの少年院にいました。彼は同房のジョニー・テリーら仲間4人でゴスペル・グループを組んで歌っていました。彼がボビー・バードと出会ったのは、少年院の外で行われた地元チームとの野球の交流試合の時でした。ボビー・バードは彼の歌の才能を人伝に聞き、2人はすぐに親しくなりました。ボビーとその家族はジェームス・ブラウンの仮釈放に向けて動きだし、「神の為にゴスペルを歌う」と書いた嘆願書が認められ、仮釈放になりました。そして、ジェームス・ブラウンはバード家で皿洗いの仕事を始めました。

1954年、ジェームス・ブラウンは、同じ頃に出所していたジョニー・テリーとともに、エバー・レディ・ゴスペル・シンガーズを結成して、レコーディングに臨みましたが、その試みは上手くいかず、グループは解散しました。その後トッコア・バンドと呼ばれていたボビー・バードのR&Bグループに参加して、ジェームス・ブラウンがドラムを、ボビー・バードがピアノを演奏していました。

1955年、彼らはジョージア州メイコンでリトル・リチャードのステージを見て、マネージャーのクリント・ブラントリーを紹介されました。ブラントリーはトッコア・バンドのマネージャーを引き受けて、フェイマス・フレイムスとグループ名を変えるように助言しました。ブラントリーは彼らに地元ラジオ局でデモ・セッションを録音させ、結果的にオハイオ州シンシナティのキング・レコードの新しいレーベル、フェデラル・レコードと契約しました。56年3月、ザ・フェイマス・フレイムスはデビュー・シングル"Please Please Please"をリリース、9月にはR&Bチャート6位を記録し、1年間チャートにランクされるヒット曲になりました。57年には、グループ名をジェームス・ブラウン&ザ・フェイマス・フレイムスと変えました。

しかし、その後2年間は、なかなか自分のスタイルを確立できず、9枚のシングルを出しましたが、全てランク外でした。ハンク・バラード風だったり、リトル・リチャードやレイ・チャールズを真似た曲だったりと、試行錯誤を繰り返していました。58年には、彼らの契約は打ち切られる寸前にあり、ボビー・バードらはジョニー・テリーを残し、離れていきました。そんな中、ジェームス・ブラウンは必死にチトリン・サーキットで歌い耐え、バンドの音を磨き、時代の流れを読む感覚を養い、チャンスを掴むべく、自分の力を信じ続けました。

1958年、西海岸でのツアーを終えてメイコンへ帰る途中に、フロリダのナイトクラブで新曲のヒントを得て、フレイムスの皆と一緒にコーラスパートを生み出していき、自費でデモを作り、キングの社長シド・ネイサンに送ります。社長はこの曲に感銘を受け、ニューヨークでスタジオとセッション・ミュージシャンを用意してレコーディングしました。その曲が"Try Me"。素晴らしいバラードです。58年10月にリリースされた"Try Me"は、翌年2月2日付けR&Bチャートで1位を獲得し、ポップでも48位に初ランクと、大ヒット曲になりました。ボビー・バードもフレイムスに戻ってきました。その年の4月には、リトル・ウィリー・ジョンの前座として、ジェームス・ブラウン&ザ・フェイマス・フレイムスにとっては初となる、アポロ劇場での公演を行いました。

ジェームス・ブラウンはソロ名義でも"I Want You So Bad"のヒットを出しました。そして、60年5月、The "5" Royalesのカバー曲"Think"をフェイマス・フレイムスでリリースしました。チャートは、R&B7位、ポップ33位のヒットでしたが、この曲の登場はチャート以上に意味のあることで、ジェームス・ブラウンにとって重要な曲になりました。オリジナルと比べると、全く別の曲のように聴こえる斬新なアレンジ、曲のテンポも段違い、複雑なリズム構成と、今までにない新しいスタイルを生み出したのでした。

伝説のアポロ劇場でのライブ盤からの"Think"です。迫りくるエネルギーを感じますよね。このアルバム『Live At The Apollo』は63年に発売され、ポップアルバムチャートで2位を獲得して、14か月間チャートに居座るという、R&Bアルバムとしては驚くべき快挙だったのです。

1975年、英国の音楽ジャーナリストであるクリフ・ホワイトは、このアルバムを振り返り、New Musical Expressに、以下のような論評を寄せています。

「ここで聴けるパフォーマンスには、1960年代のブラック・ミュージックに革新性をもたらすことになるジェームス・ブラウン作品の構成要素のすべてが、荒削りなまま記録されている。あなたが、ブラック・ミュージックの進化を理解したいと思うなら、“Live At The Apollo”は避けて通ることのできない作品だ」

1964年、ジェームス・ブラウンとボビー・バードは新しいプロダクション会社フェアディールを設立したことにより、キング・レコードとの関係は厄介なことになりましたが、彼らはこの一年をライブツアーで過ごし、サンタモニカ・シビック・オーディトリアムで収録されたコンサート映画『The T.A.M.I. Show』に出演したことで、フェイマス・フレイムスの人気はひとつのピークを向かえたのでした。

(2022/02/20)

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