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アメリカン・ポップス・クロニクル 1960年代編 ch.2 (2)

ブロンクス・スタイル

50年代後半の東海岸、ニューヨークのポップス事情を振り返ってみると、ニール・セダカやポール・アンカといった若いシンガーソングライターが登場して、R&Bシンガーやコーラスグループから刺激を受けたドゥーワップ・テイストの曲を発表して、60年代に向かいます。ロックンローラーという観点でみると、ブロンクス出身のボビー・ダーリンがいました。彼はドン・カーシュナーと組んでコニー・フランシスに楽曲提供し、自らも歌手としてデビューしていました。58年6月に"Splish Splash"が全米チャートに登場し、最高位は3位のビッグヒットでした。

ボビー・ダーリンのデビューは56年で、それより一年遅れて57年に、同じブロンクス出身のディオン・ディムーチがローリー・レコードからデビューしました。ディオン&ザ・ベルモンツはホワイト・ドゥーワップの先駆的グループで、全米チャートに登場したのはボビー・ダーリンより僅かに早く、58年5月に"I Wonder Why"がチャートインしました。最高位は22位と、ボビー・ダーリンより劣りましたが、チャートに登場したのが1か月早かったので、ニューヨークでの認知度はディオンのほうが勝り、ニューヨーク初の人気ロックンローラーとなりました。

59年、60年になるとロックンロールのような刺激的で荒削りな音楽は影を潜め、どちらかといえば温厚で穏やかな曲調のポップスが主流になっていました。ボビー・ダーリンもティーンアイドル、ロックンローラーから、大人の歌手、フランク・シナトラへの道へと路線変更して、59年には"Mack The Knife"を全米1位にしています。


そんな中で、60年代の新しい形のロックンロールのスタイルを打ち出したのがディオンでした。彼が表現するR&B、ドゥーワップ、ブルース、フォークをブロンクスのストリート流に解釈した新しスタイルは、同じ時期のシンガー達とは一線を画す存在でした。

1961年9月リリースの"Runaround Sue"はディオンにとって最大のヒット曲となり、10月23日付全米チャートで1位に輝きました。この曲は、同年6月にチャート1位だったゲイリー・U.S.ボンズの"Quarter to Three"に影響されて、ディオン・ディムーチとアーニー・マレスカが書いた曲ですね。

ディオンの全米No.1ヒットはこの1曲だけですが、この後もアーニー・マレスカと組んで"The Wonderer"や"Lovers Who Wander"、コロンビア・レコードに移籍してからは、ドリフターズのカバー曲で"Ruby Baby"や"Drip Drop"をヒットさせて、一時代を築きました。

(2022/01/15)

       

ch.2

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