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アメリカン・ポップス・クロニクル 1960年代編 ch.2 (4)

太陽を探せ

1961年登場のNo.1ポップソングは21曲ありましたが、そのうち初のNo.1獲得は16組でした。そのなかに、一際ユニークな個性を放つシンガーソングライターがいました。ミシガン州グランドラピッズ出身のデル・シャノンがその人です。

1934年生まれの彼は、エルヴィス・プレスリーと同年代。ハンク・ウィリアムスやハンク・スノウといったカントリー歌手に憧れ、14歳の頃からギターを弾き始めます。1956年ドイツでの兵役中もThe Cool Flamesというバンドで腕を磨きます。退役後は、バトルクリークで昼間はカーペット販売の仕事をしながら、ギタリストとして地元のカントリー歌手のダグ・ディモットのバンドThe Moonlight Ramblersに加入し、夜にクラブで演奏し始めたのが、プロのミュージシャンとしての最初でした。

59年、ダグ・ディモットは過度の飲酒が原因で、クラブのオーナーから解雇を言い渡され、代わってデル・シャノンがバンドリーダーとなりました。彼のバンドにマックス・クルックというキーボード奏者が加入します。彼は自身で開発したMusitronという楽器を使っていました。

デル・シャノンとマックス・クルックは直ぐに親交を深め、楽曲制作の良きパートナーとしてデモテープを作り、クルックの知り合いのDJを通じてデトロイトのプロデューサーのアーヴィング・ミカニックとハリー・ボークにテープを送った結果、2人はNYのBigtop Recordsと契約しました。ちなみに、2人のプロデューサーはジョニー&ザ・ハリケーンズで実績を残していました。

1960年8月、ニューヨークにやって来たシャノンとクルックは録音を始めます。デル・シャノンが書いた"The Search"と"I'll Always Love You"の2曲は、シャノンがレコーディングに対し神経質になっていて、この録音はうまくいきませんでした。一方のクルックのインストゥルメンタル曲"Mr. Lonely"はジョニー&ザ・ハリケーンズのシングル"Jada"のB面に取り上げられました。

デル・シャノンは、もう少しアップテンポの曲を書いた方がいいのではと、アドバイスを受けて地元に帰ります。日中のカーペット販売はまだ続けていて、その仕事をしながら新しい曲を何度も繰り返し練り、ついには"Little Runaway"が出来上がり、もう1曲B面用の曲"Jody"を書きました。夜にクラブでバンドが新曲を演奏して、マックス・クルックのMusitronを使った間奏も出来上がっていきました。デモテープも仕上がりつつありました。

1961年1月22日、デル・シャノンとマックス・クルックの両夫妻は、1957年型のおんぼろプリムスに機材を積み、700マイル先、ニューヨークのベル・サウンド・スタジオでのセッションを目指し、凍てつくミシガンを出発しました。

スタジオでのマックス・クルックの仕事ぶりは圧巻だったそうです。既に設置してあったマイクは彼の望むものではなく、Musitronのための様々なエフェクトや音量装置を使えるように配線し、マイクの位置を変えていきます。スタジオ・エンジニアはプロデューサーのハリー・ボークにピアノの下に潜っているクルックは何をしているのか尋ねると、彼のする事を手伝ってほしいと呆れて答えたそうです。Musitronは彼しか知らない秘密の再生装置だったのです。

彼らは3時間のセッションで4曲録音し、バトルクリークに帰ります。録音された"Runaway"を聴いたハリー・ボークは何かが足りないと感じ、ヴォーカルのテープスピードを速め、キーを調整してミックスダウンして、ようやく完成形となりました。

2月18日、シングル"Runaway"がリリースされました。デル・シャノンは最初出来たレコードを聴いて、その変化に戸惑ったようですが、リリース後の売れ行きの結果、彼は納得せざるを得ませんでした。

4月24日付け全米チャートでデビュー曲が1位を獲得しました。"Runaway"の成功には、デル・シャノンの楽曲、歌詞の良さ、転調や奇抜なファルセット唱法、マックス・クルックのMusitronの音色の素晴らしさ、そしてハリー・ボークの巧みなプロデュースと、全てが上手く絡み合い、成功に結び付いたと思います。

1963年、デル・シャノンはイギリス公演を行い、ロイヤル・アルバート・ホールでビートルズと共演しました。それを機に、"From Me To You"をシングル・リリースします。チャート最高位は77位でしたが、レノン=マッカートニー作品が初めて全米チャートに登場した功績は、デル・シャノンによるものでした。

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