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アメリカン・ポップス・クロニクル Blue Eyed Soul

Sonny & Cher

Salvatore Phillip Bonoは1935年2月16日、ミシガン州デトロイトで生まれました。両親はイタリア人で、母親は彼のことをソノと呼んでいて、それがソニーになっていきました。彼が7歳の頃、家族はカリフォルニア州イングルウッドに引っ越しました。若い頃から音楽で身を立てようと、作曲活動を始めていて、スペシャルティ・レコードでソングライターとしてキャリアをスタートさせ、彼が書いた"Koko Joe"は58年にDon and Deweyによって録音され、この曲は後にライチャス・ブラザースにカバーされました。

Cherは1946年5月20日にカリフォルニア州エルセントロでシェリリン・サーキシャンとして生まれました。父親はアルメニア系アメリカ人、母親はアイルランド、イギリス、ドイツ、チェロキー族の血を引いていて、元モデルであり女優でした。シェリリンは幼い頃から映画スターになることを夢見て育ち、16歳の頃には学校を中退して、家を出てロサンゼルスに移り、オーディションを受けるチャンスをうかがっていました。

ソニー・ボノは60年代初頭にフィル・スペクターの下で宣伝活動やパーカッショニスト、何でも屋の御用聞き等の仕事を始めていて、彼の最初の音楽的成功は、ジャック・ニッチェと共作した"Needles and Pins"をジャッキー・デシャノンが歌い、その後イギリスのサーチャーズが取り上げて、全米13 位、全英1位のヒットを生んだことでした。

ソニー・ボノとシェリリンの出会いは、62年の或る日の事、ハリウッドのコーヒー・ショップにいたシェリリンをソニーが見初め、彼女をスペクターにセッション・シンガーとして売り込み、2人は多くのセッションに参加しました。彼女はスペクターが持つサブ・レーベルのアネット・レコードから、ボニー・ジョー・メイソン名義で"Ringo, I Love You"をリリースしましたが、彼女特有の極めて低いヴォーカルが男性シンガーに間違われて、DJはエアプレイを避ける結果となりました。

2人は64年秋に結婚して、デュオを組み、Caesar & Cleoとしてリプリーズ・レコードからシングルを数枚リリースしましたが、いい結果は出せませんでした。シェリリンはシェールと名乗り、インペリアル・レコードとソロ契約して、ソニーは彼女のプロデューサーになり、ボブ・ディランのカバー・バージョン "All I Really Want To Do"をリリースすると、全米15位のヒットになり、同名アルバムも16位と好成績でした。

65年初頭、2人は再びデュオとしてソニー&シェールと名乗り、アトコ・レコードと契約、7月にソニー・ボノが書いた"I Got You Babe"をリリースすると、8月には全米1位を獲得するビッグヒットになりました。曲同様に彼らのファッションも人気となり、ストライプにベルボトムのパンツやフリルの付いたシャツ、毛皮のベスト、髪はシェールを真似てストレートで黒に染めるのが少女達に流行りました。

ソニー&シェールのファーストアルバム『Look at Us』は、全米アルバム・チャートで2位を8週間続ける大ヒットで、66年のシェールのソロ・シングル"Bang Bang (My Baby Shot Me Down)"も全米2位とミリオンセラーになりました。デュオは65年から72年にかけて、全米トップ40に入るシングルを10枚出していて、そのうち5枚はトップ10入りを果たしています。

The Righteous Brothers

ビル・メドレーは1940年9月19日、カリフォルニア州サアンタアナ生まれ、ボビー・ハットフィールドは1940年8月10日にウィスコンシン州ビーバーダムの生まれです。お互い別のグループで活動していましたが、サンタアナのクラブ「ブラック・ダービー」で出会い、パラマーズというグループを結成して、地元の小さなムーングロウ・レーベルから62年に"There She Goes (She's Walking Away)"をリリースしましたが、成功には至らず、グループは解散して、メドレーとハットフィールドはデュオを組み、活動を始めました。彼らコンビはクラブに来る黒人海兵隊に気に入られ、彼らの事を「Hey, righteous Brothers !」と呼んだことから、コンビ名をThe Righteous Brothersとしました。

彼らのスタイルは、メドレーがスモーキーなバリトンで低音パートを、ハットフィールドが高音テナーとファルセットを受け持って、ムーングロウ・レコードからビル・メドレーが書いたシングル曲の"Little Latin Lupe Lu"は、62年暮れにリリースされ、全米49位を記録するヒット曲になりました。アルバムも3枚リリースして、『Right Now!』は全米11位、その名もズバリの『Some Blue-Eyed Soul』は14位と好成績を残しています。

64年、彼らはテレビ番組「Shindig」に定期的に出演するようになると、全米の人気デュオとなり、そこに目を付けたフィル・スペクターが彼らと契約して、バリー・マンとシンシア・ワイルが書いた、壮大でドラマチックなシングル曲の"You've Lost That Lovin' Feelin'"は全米1位を獲得して、史上最高のポップシングルの1つとして賞賛されることになりました。

65年には、引き続きフィレス・レコードからオーケストラ・アレンジを施した"Just Once in My Life"(#9)、"Unchained Melody"(#4)、"Ebb Tide"(#5)とヒットを出しましたが、スペクターと彼らの関係は、楽曲のプロデュース関係などでズレが出始めて、パートナーシップに翳りがみえてきて、デュオはフィレスを離れ、ヴァーヴ/MGMレコードと契約しました。

66年、再びマン&ワイル作の"(You're My) Soul and Inspiration"をビル・メドレーがプロデュースして、全米1位に返り咲いています。

The Rascals

キーボード奏者のフェリックス・キャバリエは、16歳の頃にニューロシェルの黒人クラブで見たマイティ・クラバーズの演奏に衝撃を受けたと語っています。また、プロデューサーになりたかったのはフィル・スペクター、歌手になりたかったのはマーヴィン・ゲイ、キーボード奏者になりたかったのはレイ・チャールズ、オルガン奏者になりたかったのはジミー・スミスのおかげだとも言っています。

ラスカルズは1964年にニューヨークで結成されたグループで、メンバーはフェリックス・キャヴァリエ(キーボード、ボーカル)、エディ・ブリガッティ(ボーカル、パーカッション)、ジーン・コーニッシュ(ギター)、ディノ・ダネリ(ドラムス、パーカッション)の4人です。

フェリックス・キャヴァリエが自分のグループを結成した頃、"Peppermint Twist"で有名になっていたJoey Dee And The Starlitersと出会い、そのメンバーのデヴィッド・ブリガッティを通じて、彼の弟のエディ・ブリガッティと知り合い、共にジョーイ・ディーのバックで演奏しました。フェリックスはまた、エスコーツで演奏していたことがあり、その時ディノ・ダネリと出会い、歌手のサンディ・スコットのバックでラスベガスへ行くことがあり、ドラマーにディノを推薦し、一緒に演奏しました。ジーン・コーニッシュがジョーイ・ディーのバンドに参加してきたことで、フェリックスは皆と出会ったことになり、4人が揃っていきました。

4人はThe Choo Choo Clubで演奏を始め、彼らはリトル・ラスカルズと呼ばれるようになり、小公子の格好で演奏するようになりました。

1965年夏の終わり、ロングアイランドのウェストハンプトンにある水上ナイトクラブThe Bargeでプロモーターのシド・バーンスタインに見いだされ、白人アーティスト初となるアトランティック・レコードと契約して、グループ名はヤング・ラスカルズになりました。


1965年11月、デビュー・シングル"I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymore"
がリリースされ、全米52位を記録しました。彼らがアトランティック・レコードを選んだ理由には、自分達の芸術的な創造性を引き出す自由を与えてくれたことだと言っています。

NBC-TVの人気音楽ショーケース「Hullabaloo」でこの曲を売り込むためにテレビの世界に入り、66年セカンド・シングル"Good Lovin'"をリリースすると、「The Ed Sullivan Show」への出演で勢いを増し、チャート上位に躍り出し、全米No.1を獲得し、彼らにとって初のミリオンセラーとなりました。

66年3月、アトランティックは彼らの最初のLP『The Young Rascals』を発売しました。このアルバムは、まさに東海岸のライブで多くのファンを獲得したカバー曲の盛り合わせであり、"Slow Down"の激しいテイクや"Baby, Let's Wait"でのエディの堂々としたヴォーカルは、バンドがまだあまり曲を書いていなかったにもかかわらず、彼らはすでに迫力ある演奏家であることを証明していました。

66年5月のシングル曲"You Better Run"は、初のオリジナル・シングルで、全米20位のヒットになりました。B面の"Love Is a Beautiful Thing"で聴ける、フェリックスとエディのユニゾンや舞い上がるハモンドの音色も素晴らしい楽曲に仕上がっています。67年には、セカンド・アルバム『Collections』をリリース、今回はR&Bのカバー曲を半数に抑えて、フェリックス・キャヴァリエ、エディ・ブリガッティが書いた曲を中心に、ジーン・コーニッシュが書いたポップス・ナンバーも含まれていました。シングルカットされた"I've Been Lonely Too Long"は全米16位のヒットで、"Good Lovin'"が彼らの出世作だとすれば、この曲は彼らが一発屋ではない事を証明した曲になりました。

「ラスカルズは最高のバンドで、本物のホワイト・ソウル・バンドだった」バンドのレコーディングに参加していたベーシストのチャック・レイニーは、こう語っていました。白人にもソウルはある、黒人も白人もみな同じ音楽であるし、彼らは黒人からも愛されていたバンドでした。

67年、シングル"Groovin'"は、バンドに2曲目のNo.1ヒットをもたらし、アルバム『Groovin'』でバンドの表現は新境地に至り、ジャズの要素を取り入れた楽曲も生まれました。アコーディオンを使ったロマンティックな"How Can I Be Sure"では、エディの兄のデヴィッドも加わり、3パートのヴォーカル・アレンジに深みを与えていました。

この年11月には、ヤング・ラスカルズ名義ではラスト・シングルとなるサイケデリックな"It's Wonderful"をリリース、全米20位のスマッシュ・ヒットになりました。

68年2月、ラスカルズ名義としては初のアルバム『Once Upon A Dream』をリリース、このアルバムは平和と善意をテーマに、曲間を効果音や話し言葉で繋いだコンセプト・アルバムで、ディノ・ダネリの彫刻がジャケットを飾りました。3月にはシングル"A Beautiful Morning"をリリース、全米3位のヒットで、この曲は先のアルバムのレコーディングの中から生まれた曲であり、また"Groovin'"の流れをくんだ佳曲になりました。

68年7月には、彼らのキャリアで最も重要で、最も成功したシングルである"People Got to Be Free"がリリースされ、全米1位を獲得し、3枚目のミリオンセラーになりました。

フェリックスはキャッシュボックスの記者に、「ラスカルズは、出演者の半分が黒人でなければ、どんなコンサートにも出ないと決めたんだ。観客をコントロールすることはできないが、ショーが統合されていることは確認できる。だから、これからは出演者の半分は白人、半分は黒人、さもなければ家にいることにする」と。

68年11月のシングル曲"A Ray Of Hope"は全米24位と、社会活動家としてのバンドの評判を高めましたが、ラスカルズの伝道主義に嫌気がさした一部のファンを遠ざけはじめました。彼らはシングルの精神を引き継いで、69年『Freedom Suite』というダブルアルバムをリリースしましたが、バンド内の空気も徐々にぎくしゃくし始めていました。

ビートルズが『Sgt. Pepper's』の過剰なプロダクションを縮小して「Get Back」に、ローリング・ストーンズが『Their Satanic Majesties Request』を捨てて「Brown Sugar」にしたように、ラスカルズも元の4人組に戻って、彼らの初期作を意識したようなハードなシングル"See" (#27) をリリースしました。続くシングル"Carry Me Back"はエディの熱唱、ディノのドラミングが特徴のロック・ナンバーで、全米26位でしたが、この曲が最後のTop40ヒットになりました。

1970年夏の終わり頃、エディ・ブリガッティとジーン・コーニッシュはグループを離れ、残ったフェリックス・キャヴァリエとディノ・ダネリはアトランティック・レコードからCBSレコードに移籍しました。

(2022/05/16)

ch.7

Sunshine Pop (2022/05/05)
Genius Producer #01 (2022/05/09)

ch.6

1.Songwriters Series #01 (2022/03/19)
2.Songwriters Series #02 (2022/03/26)
3.Songwriters Series #03 (2022/03/31)
4.Songwriters Series #04 (2022/04/05)
5.A&M Records (2022/04/11)
6.Folk Rock 1965-69 (2022/04/17)

ch.5

1.The Boy I Love (2022/03/03)
2.Flip and Nitty (2022/03/06)
3.Tedesco and Pitman (2022/03/08)
4.Twilight Time (2022/03/10)
5.This Could Be The Night (2022/03/12)
6.1964年のNo.1ヒットソング (2022/03/15)

ch.4

1.ビートにしびれて (2022/02/13)
2.Power Blues & Sophisticated Soul (2022/02/18)
3.I'll Go Crazy (2022/02/20)
4.Do You Wanna Go With Me (2022/02/23)
5.I Got Lucky (2022/02/25)
6.The Lovin' Touch (2022/02/28)

ch.3

1.サーフビート・ゴーズ・オン (2022/01/29)
2.A Sunday Kind of Love (2022/02/01)
3.夜明け前の月光 (2022/02/03)
4.West Coast R&B (2022/02/05)
5.くよくよしないぜ (2022/02/06)
6.誰にも奪えぬこの想い (2022/02/10)

ch.2

1.シビレさせたのは誰 (2022/01/14)
2.ブロンクス・スタイル (2022/01/15)
3.ツイストが2度輝けば (2022/01/21)
4.太陽を探せ (2022/01/22)
5.1961年のNo.1 R&Bソング (2022/01/25)
6.Romancing the '60s (2022/01/27)

ch.1

1.1959年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
2,1960年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
3.1960年のヒットソング (2021/12/31)
4.インストゥルメンタル・ヒット (2022/01/04)
5.60'Sポップスの夜明け (2022/01/05)
6.R&B、ソウルミュージックの躍進 (2022/01/07)

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