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アメリカン・ポップス・クロニクル Songwriters Series #05

Dan Penn & Spooner Oldham

1941年11月16日、Wallace Daniel Penningtonはアリゾナ州ヴァーノンに生まれました。ダン・ペンは幼い頃から地元南部の音楽に魅せられて過ごし、ナッシュビルの放送局WLACから流れてくる黒人音楽、スピリチュアル、R&Bが彼に大きな影響を与えていました。ペンはフローレンス/マッスルショールズ地区に移り住み、地元のR&BバンドThe Mark V Comboのリード・ヴォーカリストとなり、その後Dan Penn and the Pallbearersを結成しました。まもなく、ペンと彼のバンド仲間は、アラバマ周辺の音楽産業繁栄の最初の核となりました。

1960年、ダン・ペンは自身のキャリアの扉を開くヒット曲を、コンウェイ・トゥイッティに書きました。"Is a Bluebird Blue?"は全米35位のヒットを記録しました。そして、ペンはリック・ホールとビリー・シェリルが設立した新興のスタジオ、SPARミュージック・スタジオで働き始めました。

その後、リック・ホールとビリー・シェリルはスタジオ経営者のトム・スタッフォードに誘われ、フローレンスに音楽出版社「Florence Alabama Music Enterprises」、いわゆるFAMEを設立しました。シェリルとスタッフォードが経営から離れ、残されたリック・ホールはマッスルショールズに移り、フェイム・スタジオを始めて、ダン・ペンはスタジオの専属ソングライターになりました。64年、ジミー・ヒューズの"Steal Away"はフェイム・レコードからシングル・リリースされ、全米17位を記録するヒットで、Cash BoxのR&Bチャートでは2位を記録しました。

Dewey Lindon "Spooner" Oldhamは、1943年6月14日にフローレンス近郊のセンター・スターで生まれました。父親のオールダム・シニアは兄弟で弦楽バンドを作り、サザン・ゴスペル・スタイルの演奏をしていて、戦争での障害がなければプロの道に進んでいたかもしれないキャリアがあり、その影響でオールダムは幼い頃からピアノを与えられ、音楽に親しんでいました。

ダン・ペンとスプーナー・オールダムの出会いは、ダン・ペンのバンドThe Mark V ComboやThe Pallbearersでキーボードを演奏していたことがきっかけで、オールダムはフェイム・スタジオのハウスバンドの一員となりました。66年、パーシー・スレッジの"When a Man Loves a Woman"でのオールダムの演奏は、マッスルショールズの音楽シーンの脚光を浴びることになりました。

ダン・ペンとスプーナー・オールダムは作曲のコンビを組み、このパートナーシップはR&B界でも強力なもののひとつになりました。65年、ジョー・サイモンに書いた"Let's Do It Over"はR&B13位を記録して、66年にはパーシー・スレッジに"It Tears Me Up"を提供し、全米20位、R&B7位のヒットを出すと、同年ジェームス&ボビー・ピューリファイに書いた"I'm Your Puppet" は全米6位、R&B5位のビッグ・ヒットになり、彼らの最初の重要なR&Bヒットになりました。

ダン・ペンはチップス・モーマンに誘われて、メンフィスのアメリカン・サウンド・スタジオでの仕事を行うようになりました。ダン・ペンとチップス・モーマンの新しいコンビは、67年にハイ・レコードからリリースされたジェームス・カーの"The Dark End of the Street"を共に作曲し、R&Bチャートで10位、ポップチャートにもランクインして、77位のヒット曲となりました。

メンフィスが誇る最高のソウルソングと評された、アレサ・フランクリンの初期の名曲"Do Right Woman, Do Right Man"を2人は書き、このA面曲の"I Never Loved a Man (The Way I Love You)" では、スプーナー・オールダムがファンキーブルースをエレクトリック・ピアノで表現して、R&BチャートではNo.1、全米チャートも9位となり、ペンのB面曲もR&B37位にチャートされています。

1967年、ダン・ペンが初めてのプロデュースを任されたのは、若いブルーアイドソウルのグループのThe Box Topsでした。彼が用意した曲は、ウェイン・カーソン・トーマスが書いた"The Letter"で、16歳のシンガーのアレックス・チルトンにぴったりの曲との判断に間違いはなく、全米No.1のヒットになりました。

翌年には、作曲パートナーのスプーナー・オールダムと再び組んで、The Box Topsにとって2曲目のビッグ・ヒットの"Cry Like a Baby"をリリース、全米2位のヒットが生まれました。

1968年4月4月、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺されて、メンフィスの音楽業界に深い影を落とし、ダン・ペンは悲哀感に苛まれ、失意の日々を送り、スプーナー・オールダムはロスアンゼルスへと旅立っていきました。

ダン・ペンはアメリカン・サウンドを辞めた後、自身のスタジオであるビューティフル・サウンズを設立し、作曲活動を再開しました。スプーナー・オールダムとジャニス・ジョプリンのアルバム『Pearl』('71)に収録された楽曲"A Woman Left Lonely"を書き、スプーナー・オールダムのアルバム『Pot Luck』('72)に"The Lord Loves A Rolling Stone"を2人で書いています。

1973年、ダン・ペンは初のソロアルバム『Nobody's Fool』を発表しました。メンフィスとナッシュビルを結びつける、素晴らしい作品になっています。"Raining In Memphis" Dan Penn - Spooner Oldham - Mic Lietz

(2022/06/07)

ch.7

Sunshine Pop (2022/05/05)
Genius Producer #01 (2022/05/09)
Blue Eyed Soul (2022/05/16)
Genius Producer #02 (2022/05/24)

ch.6

1.Songwriters Series #01 (2022/03/19)
2.Songwriters Series #02 (2022/03/26)
3.Songwriters Series #03 (2022/03/31)
4.Songwriters Series #04 (2022/04/05)
5.A&M Records (2022/04/11)
6.Folk Rock 1965-69 (2022/04/17)

ch.5

1.The Boy I Love (2022/03/03)
2.Flip and Nitty (2022/03/06)
3.Tedesco and Pitman (2022/03/08)
4.Twilight Time (2022/03/10)
5.This Could Be The Night (2022/03/12)
6.1964年のNo.1ヒットソング (2022/03/15)

ch.4

1.ビートにしびれて (2022/02/13)
2.Power Blues & Sophisticated Soul (2022/02/18)
3.I'll Go Crazy (2022/02/20)
4.Do You Wanna Go With Me (2022/02/23)
5.I Got Lucky (2022/02/25)
6.The Lovin' Touch (2022/02/28)

ch.3

1.サーフビート・ゴーズ・オン (2022/01/29)
2.A Sunday Kind of Love (2022/02/01)
3.夜明け前の月光 (2022/02/03)
4.West Coast R&B (2022/02/05)
5.くよくよしないぜ (2022/02/06)
6.誰にも奪えぬこの想い (2022/02/10)

ch.2

1.シビレさせたのは誰 (2022/01/14)
2.ブロンクス・スタイル (2022/01/15)
3.ツイストが2度輝けば (2022/01/21)
4.太陽を探せ (2022/01/22)
5.1961年のNo.1 R&Bソング (2022/01/25)
6.Romancing the '60s (2022/01/27)

ch.1

1.1959年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
2,1960年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
3.1960年のヒットソング (2021/12/31)
4.インストゥルメンタル・ヒット (2022/01/04)
5.60'Sポップスの夜明け (2022/01/05)
6.R&B、ソウルミュージックの躍進 (2022/01/07)

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