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アメリカン・ポップス・クロニクル Genius Producer #02

Snuff Garrett

1971年秋、"Gypsys, Tramps & Thieves"の全米1位で見事に返り咲いたシェール、この楽曲のプロデューサーがスナッフ・ギャレットでした。

スナッフ・ギャレットは、1959年にチップマンクスのノベルティ・レコードで有名だった、ロサンゼルスのリバティ・レコードでそのキャリアを始めました。

彼は1938年7月5日、テキサス州ダラスで生まれました。17歳の時にテキサス州ラボックでDJとして音楽業界の仕事を始めて、19歳で南カリフォルニアに移住して、リバティ・レコードのプロモーション部門に職を得て、スタッフ・プロデューサーになりました。

彼の最初の大きな仕事は、ジョニー・バーネットのソロ・デビューのプロデュースでした。3枚目のシングル曲"Dreamin'"は、1960年5月にリリースされ、全米11位のヒットになり、続く"You're Sixteen"も全米8位と、連続のミリオンセラーとなり、スナッフ・ギャレットのヒット曲を生み出す才能は、業界でも認められ始めました。

悲劇のバディ・ホリーの代役としてデビューしたボビー・ヴィー、彼をプロデュースしたスナッフ・ギャレットもバディ・ホリーと親交がありました。4枚目のシングル、クローバーズのカバー曲"Devil or Angel"が全米6位と注目を集め、次のシングル"Rubber Ball"も全米6位のヒットで、人気を不動のものにすると、61年キング&ゴフィン作の"Take Good Care of My Baby"で見事に全米1位を獲得しました。

ジーン・マクダニエルズは60年代初頭、カリフォルニアのジャズクラブで歌っているのをサイ・ワロンカーに認められ、リバティ・レコードと契約して、シングルを2枚出しましたが、ヒットを出せずにいた頃に、スナッフ・ギャレットと組みました。61年リリースの3枚目のシングル"A Hundred Pounds of Clay"は全米3位を記録するヒット曲になり、バカラック作の5枚目のシングル"Tower Of Strength"も全米5位と、洗練された歌声は人気を得て、ギャレットの選曲も良く、ジェフ・バリーの"Chip Chip"、キング&ゴフィンの"Point Of No Return"とヒットが続きました。

この時期のスナッフ・ギャレットのレコーディング・セッションのメンバーは、編曲、ピアノにアーニー・フリーマン、ドラムスはアール・パーマー、ベースはレッド・カレンダー、ギターはハワード・ロバーツと固定されたメンバーが行っていました。

スナッフ・ギャレットはニューヨークでフィル・スペクターを雇い、リバティ・レコード東海岸の責任者に置きました。ギャレットとスペクターはお互いがお互いのファンだったし、お互いの作る音楽を認め合っていました。ギャレットはスペクターより多くのヒット曲を持っていましたが、知名度からすると、スペクターの作り出した楽曲の重厚さも影響しているかもしれませんが、彼の奇異な行動や発言が注目を集めたのに対し、ギャレットは自分はミュージシャンではないし、運良く成功しただけだという雰囲気をだしていました。

64年、スナッフ・ギャレットはピアノ奏者のルー・ブラウンから喜劇俳優ジェリー・ルイスの息子が結成したバンドを紹介されました。ギャレットの商業的な直観は、ジェリー・ルイスのプロモーションの手助けがあれば、このバンドを売り込むことができるだろうと考えました。

ゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズをプロデュースしたギャレットは、セッションで彼らのヴォーカルのオーバーダビングを繰り返し、厚みを持たせて、レオン・ラッセル、J・J・ケイル、ジム・ケルトナーら気鋭のセッション・プレイヤーを起用しました。

65年のデビュー・シングル"This Diamond Ring"の全米1位に始まり、7曲連続トップ10入りする大成功を収めました。スナッフ・ギャレットは、その頃リバティ・レコードを辞めて、スナッフ・ギャレット・プロダクションを起ち上げていました。

レオン・ラッセルとの良好な関係は続いていて、彼が独立した会社にも迎え入れていました。Viva Recordsも起ち上げて、レオン・ラッセルのプロデュースでミッドナイト・ストリング・カルテットとして、『Rhapsodies for Young Lovers』をリリースしました。また、TVバラエティ・ショーのShindig!のハウスバンド、シンドッグスの"Who Do You Think You Are"もリリースしました。68年には、サックス奏者のスティーブ・ダグラスからスタジオを買い、アミーゴ・スタジオと名付けました。

15歳半ばで家を出て、音楽関係の仕事を続けたスナッフ・ギャレットは、30歳で全てを手放しました。アミーゴ・スタジオをも含め全てをワーナー・ブラザースに225万ドルで売却しました。その時点では、もう音楽関係の仕事をすることはないと思っていたそうです。

1年間何もしないで過ごしていて、ベル・エアに家を買って、その家の改築をしている時に、隣人から相談を受けました。隣人の夫婦はソニー・ボノとシェールで、彼らは成功した時に得た財産を全て使い果たしていたようで、ギャレットは3人でまたヒット作を出すことに取り組むことに決めて、1年ぶりに仕事に戻りました。

シェールは"Gypsys, Tramps & Thieves"で見事に復活を果たし、全米1位を獲得すると、"Half-Breed"も全米1位と、スナッフ・ギャレットの手腕はまだまだ通用することを証明することになりました。

ギャレットはまた、この"The Night the Lights Went Out in Georgia"をシェールにと選びましたが、ソニー・ボノが難色を示し、結果的にこの曲の作者であるボビー・ラッセルの妻のヴィッキー・ロウレンスが歌い、73年全米1位のヒットになりました。ボビー・ラッセルは、60年代からスナッフ・ギャレットが好んでよく選んだ作家の一人でした。

もしスナッフ・ギャレットがシンガーだったら、一緒にレコードを作れたらいいなといつも思っていた、本当に尊敬している人が2人いたと言います。一人はフォー・シーズンズのボブ・クルー。彼は素晴らしいレコードを作っていた。そして親愛なる友人のミッキー・モストです。「彼らは私の時代の理想のプロデューサーだった。彼らはいつも私の口をあんぐりと開かせた」

ビルボードブック・オブ・ナンバーワン・ヒットを見ると、No.1ヒットの多いアーティスト、作家、プロデューサーのリストが掲載されていますが、プロデューサー部門では、スナッフ・ギャレットが6曲のNo.1ヒットを獲得していて、業界の重鎮たちを中でも突出した数字であることが分かります。数字だけで見れば、ポール・マッカートニーより1曲少ないだけなのです。

(2022/05/24)

ch.7

Sunshine Pop (2022/05/05)
Genius Producer #01 (2022/05/09)
Blue Eyed Soul (2022/05/16)

ch.6

1.Songwriters Series #01 (2022/03/19)
2.Songwriters Series #02 (2022/03/26)
3.Songwriters Series #03 (2022/03/31)
4.Songwriters Series #04 (2022/04/05)
5.A&M Records (2022/04/11)
6.Folk Rock 1965-69 (2022/04/17)

ch.5

1.The Boy I Love (2022/03/03)
2.Flip and Nitty (2022/03/06)
3.Tedesco and Pitman (2022/03/08)
4.Twilight Time (2022/03/10)
5.This Could Be The Night (2022/03/12)
6.1964年のNo.1ヒットソング (2022/03/15)

ch.4

1.ビートにしびれて (2022/02/13)
2.Power Blues & Sophisticated Soul (2022/02/18)
3.I'll Go Crazy (2022/02/20)
4.Do You Wanna Go With Me (2022/02/23)
5.I Got Lucky (2022/02/25)
6.The Lovin' Touch (2022/02/28)

ch.3

1.サーフビート・ゴーズ・オン (2022/01/29)
2.A Sunday Kind of Love (2022/02/01)
3.夜明け前の月光 (2022/02/03)
4.West Coast R&B (2022/02/05)
5.くよくよしないぜ (2022/02/06)
6.誰にも奪えぬこの想い (2022/02/10)

ch.2

1.シビレさせたのは誰 (2022/01/14)
2.ブロンクス・スタイル (2022/01/15)
3.ツイストが2度輝けば (2022/01/21)
4.太陽を探せ (2022/01/22)
5.1961年のNo.1 R&Bソング (2022/01/25)
6.Romancing the '60s (2022/01/27)

ch.1

1.1959年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
2,1960年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
3.1960年のヒットソング (2021/12/31)
4.インストゥルメンタル・ヒット (2022/01/04)
5.60'Sポップスの夜明け (2022/01/05)
6.R&B、ソウルミュージックの躍進 (2022/01/07)

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