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アメリカン・ポップス・クロニクル Genius Producer #03

Chips Moman

1969年、映画の世界に舞台が移っていたエルヴィスを音楽の世界に立ち返らせたのは、アメリカン・サウンド・スタジオの経営者でプロデューサーのチップス・モーマンでした。伝説のメンフィス・セッションは、69年の1月と2月に行われ、バックにはアメリカン・サウンド・スタジオのハウスバンド「ザ・メンフィス・ボーイズ」が務め、エルヴィス・プレスリーは見事に復活を果たしたのでした。

1935年6月12日、ジョージア州ラグランジュ近郊に生まれ、農場の家で育ったチップス・モーマンは、幼い頃からミュージシャンを目指していて、14歳で学校を中退して、メンフィスの親戚の家を頼って住み始めて、日雇い労働の仕事と、夜には地元のクラブで演奏して生計を立てていました。

やがて彼は、ドーシーとジョニー・バーネットのバンドに加わり、カリフォルニアのゴールド・スター・スタジオのセッションに参加して、そこで見たレコード制作の過程に興味を持ち始めました。

メンフィスに戻って来たモーマンは、サテライト・レーベルを作ったジム・スチュワートに出会い、彼の下でセッション・ギタリストとして働き始め、次第にジム・スチュワートにとっては欠かせない存在になっていき、初期スタックス・レコードでは重要な役割を持つようになっていきました。

最初のヒットは、モーマンがプロデュースしたカーラ・トーマス1960年のシングル曲"Gee Whiz (Look at His Eyes)"で、全米ポップ10位、R&B5位の成功を収めました。61年には、スタックスのハウスバンド、マー・キーズの"Last Night"が全米ポップ3位、R&B2位とビッグ・ヒットになっています。また、ウィリアム・ベルのデビュー・シングル曲"You Don’t Miss Your Water”は全米95位のヒット曲でしたが、サザン・ソウルの古典として知られるようになる重要な曲となりました。

1964年、チップス・モーマンはスタックスを離れて、自らのスタジオであるアメリカン・サウンド・スタジオを設立しました。スタジオ初のヒット曲は、翌年リリースのザ・ジェントリーズ "Keep On Dancing"で、全米ポップ4位を記録しました。

65年の終わり頃には、スタジオのハウスバンドのメンバーを集めて、そのバンドはスタジオの住所である827 Thomas Street Bandと名付けられました。レジー・ヤング(ギター)、トミー・コグビル(ベース)、ボビー・エモンズ(オルガン)、ジーン・クリスマン(ドラム)といったメンバーです。

チップス・モーマンはスタジオ経営、プロデューサー、エンジニアリングなどを担っていて、前章で紹介したようにダン・ペンとのコラボレーションで曲を書いてもいました。FAMEスタジオで仕事をする事もあり、アトランティック・レコードのトップであるジェリー・ウェクスラーがブッキングしたアレサ・フランクリンのセッションでギターを弾くようになっていました。

1966年には、スタジオの元秘書であったサンディ・ポージーをプロデュースして、"Born A Woman"と、続く"Single Girl"がともに全米ポップ12位とヒットしました。エンジニアとしては、ジョー・テックスの"Skinny Legs and All"(#10, R&B#2)や、ジェームス&ボビー・ピューリファイの"Shake A Tail Feather" (#25, R&B#15) を担当して、ヒットを出していました。

1966年、ハンク・ウィリアムスのカバー曲"I'm So Lonesome I Could Cry"を全米8位とヒットさせていたB. J. トーマスは、次のシングル"Mama"を22位、"Billy and Sue"を34位にした後、ヒットから遠ざかっていましたが、その彼に再びメインストリームで成功をもたらしたのもチップス・モーマンのプロデュースでした。

1968年、チップス・モーマンの持つ音楽出版社のスタッフ・ライターのマーク・ジェイムスが書いた"The Eyes of a New York Woman"を全米28位とヒットさせると、次のシングルもマーク・ジェイムスが書き、レジー・ヤングのエレクトリック・シタールを取り入れた"Hooked on a Feeling"は全米5位とヒットして、B.J. トーマスを再びトップ・シンガーへと上らせ、カントリー・ポップ、ブルーアイドソウルのスター歌手になりました。

ハウスバンドのメンバーのひとり、トミー・コグビルとの共同プロデュースという形で残した作品には、メリリー・ラッシュの"Angel of the Morning"が全米7位を記録、ニール・ダイアモンドの"Brother Love's Travelling Salvation Show"は全米22位、ボックス・トップスの"Soul Deep"は全米18位とヒットしました。

アメリカン・サウンド・スタジオで働いていたミュージシャンの中にはボビー・ウーマックもいました。彼はジョー・テックスやボックス・トップスのレコーディングでギターを弾いていて、ウィルソン・ピケットは彼が書いた曲を気に入り、レコーディングすることで、ウーマックのソングライターとしての活動も注目されるようになり、彼はソロ活動も始めました。

ジェリー・ウェクスラーとFAMEのリック・ホールとの関係に問題が生じ、アトランティック・レコードが次に選んだスタジオはモーマンのアメリカン・サウンド・スタジオになったのは明白なことで、このアトランティック・レコードの後押しもあり、アメリカン・サウンド・スタジオは業界で最も成功したスタジオの1つとなりました。

1967年11月から1971年1月までの間に、このアメリカン・サウンド・スタジオは120曲のヒット曲を手がけました。ある週には、ビルボードのHot 100ヒット曲の4分の1以上がアメリカン・サウンド・スタジオで作られたこともあるほど、チップス・モーマンの成功は目覚しいものでした。

メンフィスを離れたチップス・モーマンとアメリカン・サウンド・スタジオのリズム隊は、アトランタ、そしてナッシュビルに移り住みました。

(2022/06/16)

Ch.7

Sunshine Pop (2022/05/05)
Genius Producer #01 (2022/05/09)
Blue Eyed Soul (2022/05/16)
Genius Producer #02 (2022/05/24)
Songwriters Series #05 (2022/06/07)

Ch.6

1.Songwriters Series #01 (2022/03/19)
2.Songwriters Series #02 (2022/03/26)
3.Songwriters Series #03 (2022/03/31)
4.Songwriters Series #04 (2022/04/05)
5.A&M Records (2022/04/11)
6.Folk Rock 1965-69 (2022/04/17)

Ch.5

1.The Boy I Love (2022/03/03)
2.Flip and Nitty (2022/03/06)
3.Tedesco and Pitman (2022/03/08)
4.Twilight Time (2022/03/10)
5.This Could Be The Night (2022/03/12)
6.1964年のNo.1ヒットソング (2022/03/15)

Ch.4

1.ビートにしびれて (2022/02/13)
2.Power Blues & Sophisticated Soul (2022/02/18)
3.I'll Go Crazy (2022/02/20)
4.Do You Wanna Go With Me (2022/02/23)
5.I Got Lucky (2022/02/25)
6.The Lovin' Touch (2022/02/28)

ch.3

1.サーフビート・ゴーズ・オン (2022/01/29)
2.A Sunday Kind of Love (2022/02/01)
3.夜明け前の月光 (2022/02/03)
4.West Coast R&B (2022/02/05)
5.くよくよしないぜ (2022/02/06)
6.誰にも奪えぬこの想い (2022/02/10)

ch.2

1.シビレさせたのは誰 (2022/01/14)
2.ブロンクス・スタイル (2022/01/15)
3.ツイストが2度輝けば (2022/01/21)
4.太陽を探せ (2022/01/22)
5.1961年のNo.1 R&Bソング (2022/01/25)
6.Romancing the '60s (2022/01/27)

ch.1

1.1959年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
2,1960年のNo.1ヒットソング (2021/12/31)
3.1960年のヒットソング (2021/12/31)
4.インストゥルメンタル・ヒット (2022/01/04)
5.60'Sポップスの夜明け (2022/01/05)
6.R&B、ソウルミュージックの躍進 (2022/01/07)

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