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「でんでらりゅうば」 第28話

  ――安莉はその翌年、今度は女の子を産んだ。すみたつによく似た、整った顔の玉のように美しい子だった。ゆいと名づけられたその子を安莉は手放したくなかったが、やはり初乳を与えると、せいの家へ連れていかれてしまった。
 そのころからだったろうか、澄竜が安莉のところに近寄らなくなったのは……。以前は形だけでも夫婦らしく、毎日安莉の住むアパートに通って一緒に食事もし、夜もそこで過ごしていたものだったが、近ごろはめっきり姿を見せなくなった。澄竜の顔を見るたびに、あの日の公竜きみたつの事件を重ね合わさずにはいられない安莉が投げる眼差しに耐えられなくなったのだろう、と安莉自身は思っていた。
 澄竜の姿が見えなくなっても、安莉は特に何も感じなかった。返って清々しい気持ちにさえなった。ただ澄竜の消息は、世話女に聞いてみても、要領を得ない。本家に泊まっているのだろう、とか、親戚の集まりが続いていて忙しくしているに違いない、などと、煙に巻くような話ばかり安莉は聞かされた。

 澄竜が兄である公竜を殺したことは、あやふやに処理されていた。公竜の遺体を運んだ男たちも黙して語らず、村人たちが詮索せんさくすることもなかった。
 りんが公竜の背中を刺したことといい、すべての真相を知るのは安莉だけだったが、世話女たちにそのことをいくら話しても、まともに取り合ってもらえない。女たちはみな一様に、ちょっとうつむいて「まあまあ」と安莉をなだめるように薄ら笑いを浮かべるのだった。
 古森ふるもり凜は、村人に口を縫い潰されて以来、喋ることもできずすっかり腑が抜けたようになってしまっているらしいし、澄竜は晴れて星名の当主となっていた。さらに、星名家に健康な跡取りも生まれた今、村人が真実を知ったとしても、問題ではないのだった。それどころか〝星名のできそこない〟として村中に認知されていた異形の公竜が殺されたなら、返っていい厄介払いができたと思われるのが関の山であるかもしれなかった。
 それを裏づけるような出来事があった。ある日、世話女の当番で安莉の部屋を訪れていたかおるが言った。
「公竜のことはショックやったやろうけどね……、でもどうせなら、いい種、、、のこさんとやけんね」
 平然と話す薫に、安莉は驚いた。
「公竜さんが死んだことを、あなた知ってるの?」
 聞くと、さも当然といったような調子で薫はうなづいた。
「村ん者はみんな知っとうよ」
「名家の弟が、兄を殺したのよ。みんな知っていて、なぜ澄竜さんを野放しにしておくの?」
 とがめるように言う安莉に、薫は溜め息をついてこう答えた。
「個人より家が大事やけん。悪い種はいらん。いい種が残って続いていけば、それでいいったい」
 怪訝けげんな顔をして見つめ続ける安莉の視線に気づいて、ハッとして言い訳をするように薫は言った。
「言うたら、こん村の伝統みたいなもんよ。こん村は大昔からそげんして続いてきたったい。古森も、かげもどこの家も、そうやって代々続いてきた。……本には載っとらんよ、昔からの口伝えの習わしたい。……でもやけんこそ、守られないけんったい」
「いい種って……。澄竜さんが公竜さんより優れてるって、どうして言えるの?」
 安莉は問うた。あの日、公竜の声は優しかった。公竜には安莉を不憫ふびんに思い、助けてやろうと思う心があった。
「あげな化けもんが、いい種のはずがなかろうが」
 吐き捨てるように、薫は言った。そして安莉の思いなど無意味であるかのようにこう続けた。
「公竜はもともといらんもん、、、、、やったとよ。それをあん母親と村長むらおさが、何でか知らんかくもうて、いままで生かしとったと。そらあ澄竜はちっと傲慢なところがあって性格がねじ曲がっとる。そんなこと、みな知っとうよ。けどそれも竜の資質のうちよ。竜は美しゅうて強くて残酷なもの。公竜と澄竜、どっちが竜のように見えるね? 言うまでもなかろうもん」
 そうまくしたてる薫の顔は、いままで見たことのない形相を呈していた。ずっと穏やかな女だと思っていたが、この瞬間人が変わったように、村人の本性がむき出しになった。

 ――村にとっていらんもんはいらんもん。……いいね、安莉さん。あんたの産む子は、村の宝よ。あんたは子を産むことで、この村にとって重要な人間になっていきよるとよ。これからは誰にも粗末にされん。産めば産むほどあんたは大事にされるようになる。やけん、早いことこの村で幸せに暮らせるように、考えを改めるこったいね……。

 きつく目を閉じ、拒絶する安莉の背中に、薫の声が覆い被さってきた。

 ――公竜。あげな化けもん、なして生まれてきたとやろか……。いらんいらん! ああ恐ろしか!

 薫だけではなかった。それが村人たちの、共通認識であった。

 
 星名に二人の立派な子どもが誕生し、すくすくと成長していることが村じゅうに知れ渡ると、今度はほかの家々も、「子どもが欲しい」と言い出した。
 古森、御影、いしばたのそれぞれの家から、子作りに適した年齢の男たちが選ばれ、安莉のアパートにつかわされるようになった。
 澄竜の子どもを二人も産んで、もう役割を終えたと思い込んでいた安莉は驚愕した。この上、まだほかの男の子を産めと?
 絶望の底に突き落とされたような気分だった。

 ――けれど、逃げ道はなかった。雪が溶けたあと、アパートの玄関は板を打ちつけ封じられて、サッシにも鉄柵が取りつけられた。あの日以来安莉が逃げられる出口はどこにもないのだった。
 安莉は否が応でも、クローゼットの抜け穴から出入りする男たちを受け入れるしかなかった。

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