見出し画像

三種の神器と契約の箱に見いだしたこの世の真理

人が争うのは宗教、人種問題や民族意識、イデオロギーの違いよる分断と対立のため。昔から統一、世界統一と言うが、世界中で分断対立してる双方を纏めるなんて不可能な事。

それが人類が背負った禁断の果実を口にした罪、善悪の知恵。現在それが世界規模では東側と西側になり、政治レベルでは右翼左翼となった。

そもそもから蛇、ルシファーはアダムとイブに禁断の果実を食べさせ支配したわけだから、その善悪二元論で人類を分割統治支配するためには善悪の知恵が必要。ルシファーを崇めバフォメットを拝む悪魔崇拝者達は世界統一なんて実現するとは思ってはいない、それは強引な強制支配、全ての自由を奪うための誘い文句でしかない。

おそらく日本神道に入り込んだカルトや、統一教会やサイエントロジー教会のようなカルト、ハルマゲドン待望者のシオニスト達自身が悪魔崇拝者に騙されてきたのかもしれない。これに関しては推理と言うよりも憶測になる。

世界統一は、一見すれば良いことのように思える、聞こえはいい、だけど旧約聖書から新約聖書、死海文書に至るまでバビロンは禁じられている。バベルの塔の例えを見る限りは、やはり人々が統一することは神への反乱を意味するので、神学的には人間の支配特権による世界統一は成り立たない。

世界を統一するのは神のみであり、人間の支配欲で人類強制統一する事そのものが獣の刻印となる。だから獣を拝む、人間の数字666と表現される。


多くの陰謀論者や政治論者は自分が一番賢いと思い込んでいるだろうが、その承認欲求で自分を認めさせたいとする欲にかられてる。それを証明してくれるのがフォロワーなどの数字で、それを増やすために日々何やら難しい話をしているつもりでいる。

しかし殆んどの人は個人的な思想主義が書かれた書物に影響されたり、検索エンジンで出てくる上位表示されるものを見せられ、その誰かの知恵や知識を得ているだけ。

それならインターネット上の全てを把握できている人工知能の方が遥かに全てを解っているし理解していると思う。そう見ればシンギュラリティは既に起こっていると解釈しても間違いではない。それは未来に起こる事ではなく、検索エンジンなどのインターネット情報を向こうから見せられる、それなら既に見せらているもの全てがAIにコントロールされてると言うことになる。

自分は見せられるものをそっくりそのまま鵜呑みにはしない、それはどんなにしっかりとした知恵や情報だとしても、自分なりの解釈をまずは考える。人の知恵には頼らず自分の知恵で考えたい、人の知恵(松果体)、は貪らない、自分の知恵と愛を使って考え答えを導き出す。

人の知恵を使えばその思想主義に呑み込まれる、だから結果何かに属すことになり、そうなれば何者かの支配下になってしまう。だからこそ強引に説得したり従わせようとしたり、知識の承認欲求をどれだけ披露されようが見下され馬鹿にされようが天地がひっくり返っても従わないし属すこともない。

そんなつまらない知恵のマウントなど自分から見たら鼻くそも同然、これは誰に何を言われようが揺るぎない自分の意志。何を考えるか、どう思うか、どう結論を出すか、何を言いどんな行動をするかは自分自身が決める、人には頼らないし従わない。

何にも属さないし依存しない、仲間にはならないし団体や集団には入らない。何者か、何事かにすがらなくとも1人で生きていける。


誰かに支配されたり、何者かの思想主義に従い群れて同じ主張ばかり行うのは、1人で生きていない証拠。経済的な部分ではない、精神的、心理的な部分での自立ができていない、相互依存に陥ってると考える。

だからと言って、心を苦しめている人に対して、誰かに頼らず1人で生きろなんて言わない。人は1人では生きてはいけないから、それぐらいは解ってるし時に人の手助けが必要な時は必ずあるから、誰しも1人で生きるなんて事は実現できないと思う。


しかし統一教会や創価学会、幸福の科学のような団体や集団、組織に属するのは何かに依存しているからであり、心理的な部分で自立ができていない心理状態と言える。

献金などはそこに属すための会費のようなもので、それは神への捧げ物でも何でもない、自分がそこに居られるための安心感を買っているだけ。お金を1円も払わずにそこに属していられる人はいない、そんなことをすると何か申し訳なくなってしまうと思う。だから宗教、組織、団体や集団にお金を支払い、そこに居させてもらう、属させてもらう。

自分が属するその団体や集団、思想主義に価値を見いだす、群れて1つになる一体感に恍惚を感じ、そのアメーバがこの世界で最も優れているものだと思い込む。

それは反ワクチン陰謀論者や政治陰謀論における左右の思想主義者、スピリチュアルやニューエイジ思想主義者も皆同じ、思想主義に属する人々は皆例外なく群れる団体集団の依存者となる。

その帰属意識は家族から既に始まっている。だから世界統一思想主義者は家族、ファミリーと強調するが、それこそ集団依存の意識を利用された支配となる。その心理を操られる多くの人は何者かの奴隷、ゴイムとなる。

友達、友人、親友、グループ、サークル、そういった仲間意識は相互依存を生み出し、その中でのカーストシステムを自然に生み出している、だから別意見を持っていてもなかなか堂々と言えなくなるし、言えばその小さな群れる集団における秩序の管理人となるカーストシステムの権力者に必ず封じ込まれる。「言いたいことが言えないこんな世の中」、そんな叫びが心に蓄積し結果心を病む。

しかし群れるのが人間として当たり前の習性なら、それも仕方ないと言えば仕方ない事なのかもしれない。

そこから抜けるには、別な友達グループ、対立する別な団体や群れる集団に属さなければならない、だから多くの人が無重力のシーソーゲームから降りられなくなる。右に傾き、左に傾き、それを永遠とウロボロスのように繰り返し続ける。

自分自身がおかしいわけじゃないし、世の中の方がおかしいわけでもない。全ての問題は自分自身の中にある問題、心の奥底に閉じ込めた本当の自分を見つけられない、呼び覚ますことができない不自由が原因。

全てから抜け出して全てから目を覚ますこと、無重力のシーソーゲームから降りて善悪、白と黒、光と闇、天使と悪魔、その左右両方の翼を持って、愛と覚りと欲望のバランス、三位一体を美しく保ちながら天へと舞い上がる。

それが覚りである。


自分がプロフィールに使っているイラスト、ロゴには意味がある。

右脳は左半身の運動神経を司り、左脳は右半身の運動神経を司る、しかし目は左右交差せず網膜だけで交差している。つまりは左は右でもあり、右は左でもあると言うこと。

左脳が損傷すれば右半身が機能しなくなり、右脳を損傷すると左半身が機能しなくなる、しかし人間の身体は神秘そのもので、訓練すれば時として左脳や右脳の片方が左右両方の役割を果たしてくれる。

これが現代の脳科学であり、進化の過程により脳と身体が左右に交差するようになった、等諸説あるが実際はその理由と意味、真相は誰にも解らない人体の不思議。


左右の目に挟まれた真ん中には、太陽の光を感じて心と体のバランス、概日リズムを調整するためにある松果体があるが、これが左右の目と三位一体になり全ての感覚のバランスを保ってくれる。

契約の箱では十戒の石板、三種の神器では2つの勾玉、それそのものがアダムとイブでもあり、イザナギとイザナミ、フッキとジョカでもある。三位一体の中ではキリストが2つの石板でもあり2つの勾玉、覚りとなる。愛と欲望、これも鏡と剣、マナの壺とアロンの杖でもある。

鏡は光を吸収し何かを写すもの、天照、光は生み出す力なので愛となり、剣は蓄えた力を振り下ろし消費する力、スサノオ、闇は消費する破壊の力なので欲望となる。

その中では勾玉、ツクヨミは悟り及び覚りとなり、力を伝える張力の役割となる。その月が太陽と地球の調整役となる。

これが三位一体の法則、全てにおける心理であり正真正銘真実の覚りによって導き出した答えとなる。正義の女神であるテミスは目隠しとソードを持つが、女神自身が生み出す愛であり、目隠しはその愛を渡す悟り及び覚りとなり、ソードはその力を開放する破壊、消費する力、その三位一体の動きを、女神が手に持つ天秤によりジャッジする。


ユダヤ教の契約の箱でもまったく同じ意味を当てはめられる。マナの壺は生み出す力なので光となり愛となる、アロンの杖は蓄えた力を開放し消費する破壊の力、そして十戒の石板、それに書かれている内容そのものが覚りであるので、その十戒に書かれた神との約束を守ることそのものが覚りとなる。


このイラスト、ロゴの意味は脳科学と左右の目の交差、松果体を介する左右と心のバランス、それを表現したもの。だから脳科学とハート(心臓)、を合わせている。

そしてこれそのものが愛と覚りと欲望、三位一体の聖杯、三種の神器、契約の箱、三神一体、両翼を持つ天使、女神テミス、天照とツクヨミとスサノオ、太陽と月と地球、この世の原理、自然の摂理、宇宙の法則、唯一無二の絶対なる神による自由なる赦しの秩序、アルファでありオメガ、始まりであり終わりの全てが表されている。


神の沈黙は究極なる愛である

女神テミスとゼウスの娘とされるアストライアー、又はデメーテルでもあるとされるが、そのアストライアーは、他の神々が人間に愛想をつかし、天へと帰って行く中、最後まで諦めずに人々に正義と道徳心を説き続けていた、しかし人々はそれを聞かずに分断対立し争い続けて残酷な世の中を維持し続けていた。やがてアストライアー自身も人間に愛想をつかし天へと帰り、その持っていた天秤を手放し自身は乙女座となった、その横に静かにたたずむ星座、それが沈黙の天秤となる。

女神なき天秤は無力、天秤なき女神は無力。


神話、神学とはスピリチュアルそのものであり、神と天使の意思を感じた人々が古来から表現してきた例えとなり、それは決しておとぎ話でもない、フィクションでもない、その出来事が本当にあったのか無かったのかなどは関係なく、それが神が与えてくれた愛からのものなら、正真正銘の真実の神学となる。


孤独な天秤は始まりの言葉となり、いつまでも叫び続ける、女神へ、いつまでも諦めずに、その心にしか届かない音、52ヘルツのクジラとなり、いつまでも、いつまでも孤独に、いつまでも、永遠に。



宇宙のファンタジー




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?