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『お小遣いを与えること』は金融教育の始まりである

子供がいる世帯であれば、子供にお小遣いを渡すかどうかということについて検討する時が来るだろう。

類に漏れることなく我が家ももちろんその道は通った。しかし我々の場合は金融教育に取り組むことになったので、少し道のりは違うが、、、

【お小遣いの現状】

中学生のお小遣いの相場は?3つの渡し方と小学生・高校生の相場も紹介」によると、「小学生が7割強、中学生が8割強、高校生が約8割」お小遣いをもらっているという事である。
さらに渡し方は3通りに分類され、「定額・都度・報酬型」となっているようだ。

【定額制の経験】

私の興味を引いたのはまずこのお小遣いの渡し方の種類だ。私が3通りのもらい方をしたわけではないが、立場は変わりながらであるが、全て経験している。

まず私がお小遣いを受け取っていた方法は「定額制」となる。高校生の時から定額制で毎月決まった金額を両親からもらっていた。さらにこの習慣は大学生になると仕送りという形に変わって続いた。

少し状況を説明すると、私は香港で生まれ育った。両親はともに北海道生まれの日本人であり私も日本人であるが、父親の転勤の為そうなった。そして高校はアメリカンスクールに通った。そして日本で生活し始めたのは実は大学生になってからの事で、文化の差を感じ、色々と苦労もあった。この事を踏まえた上で話を戻そう。

高校当時は私は「定額制」でお小遣いをもらっていたが、特にこの方法に疑問を持ったことは無かった。それは自分の高校の友人も同じように定額制のお小遣いをもらっていたからだと思う。さらに高校時代に「アルバイト」をしていた友人は1人もいなかった。それは私を含め、私の友人たちが全て学生ビザや家族ビザで香港に滞在していたという事もあり、自由にアルバイトが出来る状況になかったという事もある。さらにはアルバイトをしたくてもそもそも言語の壁もあった。このような理由から当時の友人たちは「アルバイト」という感覚さえ持っていなかった。

しかし半面、大学生になると大学の友人は「アルバイト」を始め、仕送りは最低限しかもらっていない事を知るようになった。この事は私に一つの疑問を生じさせた。自分はこのままでいいのか?という事である。しかしながら、私の高校時代の友人たちが大学に進学し、アルバイトをやっている様子はなく、親の仕送りを頼りに「学業に専念」していたので、私も結局日常的にアルバイトをするような事はしなかった。誤解を生みたくはないので、一応夏休みや冬休みなどのまとまった休みの際には、リゾートバイトと呼ばれるアルバイトは毎年した。夏は沖縄のホテルで、冬はスキーリゾートでという感じだ。なんとも「遊び人」のような響きとなっているが、、、

確かにリゾートバイトはしていたが、日常的に必要なお小遣いは定額制でももらい続けていた私は、お財布のひもは緩く、たいてい月末になるとお金がなくなり、たびたび緊急手当てを両親に要請していた事を記憶している。若い時の話とは言え、自己管理が出来ておらずなんともお恥ずかしい話となるが。

【都度制の経験】

上述したように私は香港にあるアメリカンスクールに通った。そしてこの学校には「お金持ち」の子供たちの割合が多かった。

そして私がよく一緒に時間を過ごした友人にもお金持ちの子供たちがいた。

彼らは親から「都度制」でお金をもらっていた。その金額も私の想像を遥かに超えるもので、当時私のひと月のお小遣いが5000円程度だったと記憶しているが、毎週金曜日に彼らは数万円のお小遣いをその都度もらっていた。そしてこのお金が金曜日でなくなってしまえば、また土曜日には数万円を親から受け取るというような感じであった。

当時私の仲間たちの遊び代は彼らの「お小遣い力」に甘えるところが多かったことを覚えている。

当時の彼らのお金の使い方は私の目から見ると文字通り「湯水のごとく」という感じであった。所詮高校生の遊び代なので大した金額ではないが、お小遣いが5000円だった私の目から見たら「お金持ちは違うなー」という感想を率直に抱くほどだった。

当然お財布のひもは緩かった。というよりもお財布に紐はついていないかのようだった。

【報酬制の経験】

実は報酬制は自分の生い立ちでは経験したことがない。経験したのは自分の子どもたちへのお金の教育を通してである。

ただし、定額制と都度制を経験した私から見ると、報酬制はとても堅実で健康的なお小遣いの渡し方のように感じている。

それはなぜかというと、現実社会の中ではお金をもらえることは無いからである。

上述した通り、私はアルバイト経験が浅く、経験があるのは遊びの延長線上にあったリゾートバイトくらいである。そして私の感覚的に言えば、この体験は労働とは大きくかけ離れている。

リゾートバイトに取り組んだとしても、月末に仕送りが無くなってしまう経験を学生中は幾度となく繰り返していたのである。

そしてよっぽどきつくなると両親を頼り緊急手当てを送金してもらっていた。

このような仕送りは1人で日本で生活している私を思う両親の愛情であり、思いやりであったと深く感謝しているが、半面それでは当然金銭感覚は育ちようがなかった。

なぜならば、「お金をもらう」という経験だと、お金に対する謙虚さやお金との健康的な関係を育むことが出来ないからである。

仕送りで振り込まれてくるお金がどれだけの労働対価があるのか当然分かりもしない。また仕送りで送ってもらったお金を使いきってしまったところで、一本電話を入れればまたお金を手に入れることが出来るような感覚さえ持っていたと思う。文字通りお金が降ってくるような感覚である。

日常の必要を自分たちで何とかしようとアルバイトしている友人や知人をみて、自分はここままでいいのか?と自分の金銭感覚を危惧したのだと思う。しかしながら、両親の仕送りに甘え続けた私がその疑問に対して解決を得たのは、ずっと後になってからの事であった。

社会に出ればお金は誰も与えてくれなくなる。しかしどこかで、お金を与え続けられた経験が私にその感覚を鈍らせていたようにも感じている。

なので、どこかお金に対しては緊張感がなく、どこかで非現実的な感覚を持ち続けてしまったように感じている。

このような反省がある私は、今子供たちに報酬制でお小遣いを渡しているのだが、子供たちはお金はもらえない事を経験的に理解していることは間違いない。

我が家の子供たちは作業を行えさえすれば毎日のようにお小遣いをもらい、その上で、何か欲しいものがあれば、親からは常に「自分のお金で買ってね」と言われる。

この繰り返しの中で、お金が「降ってくる」ような感覚が育つわけもなく、それぞれしっかりと健康的で現実的な金銭感覚を育てられていると感じている。

【お小遣いを渡す時からお金の教育は始まっている】

あくまでも私個人の経験を元に話しているので一つの例として読んで欲しいが、お小遣いを渡す際、定額制であれ、都度性であれ、報酬制であれ、お金を手に入れさせている以上はお金に関する体験が進む。そしてよくも悪くもこれはお金に対する教育となってしまう。

私は定額制で育ち、知人は都度制だったが、すくなくとも私はお金を「もらっていた」ので、それが教育となった結果、「お金が降ってくる」「お金が湧いてくる」という不健康な金銭感覚を育ててしまった。そしてお金持ちの知人たちもやはりある年齢までは両親のお金を頼る傾向が残ってしまったことを聞いている。

そして報酬制はお金は労働の対価としてもらうという感覚を育むのである。

私は定額制、都度制、そして報酬制のどれが本当に良いのかをいう立場にはないし、そもそも金銭感覚を形成する要因は家庭環境、友人知人の影響、さらには個人の性格に加え社会に出てからの経験など、お小遣いをどうもらうかのみが決定要素になるとは考えていない。しかしながら、少なくとも私の経験からすると、私にとっては定額制はお金に対して不自然な金銭感覚を育ててしまったと感じている。そして社会人になってもある年齢まではやはりお金に対してはどこか「お金はどうにでもなる(電話一本で何とかなるかもしれない)」という極端に楽観的な思考を持ってしまっていたようにも感じている。

私のケースはあくまでも一例に過ぎないが、親が子供にお金を与える以上、よくも悪くも子供たちに対してはお金に関する教育が始まっている。

そして私の経験上、子供のうちから堅実で健康的なお金との関係を育む為には社会のルールに従い「報酬制」を薦めることになるだろう。お金は与えてもらうものではなく、やはり「稼ぐ」しかないからだ。
また「中1の長男が皿洗いの手伝いを始める教育」を含む私の投稿でも何度もふれているが、報酬制は子供のやる気を助長する効果も得られ、「稼ぐ」教育にもなるのだから、メリットは多いと考えているのである。


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