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記事一覧
随筆|スポットライト
人は、少なからず、その環境に良くも悪くも依存して、そこに影響される、これが正しければ(否、これをわしは正しいと信じているが)、触れる物事の選定が、今の自分を作っていくし、そこに責任も生まれる、その自分自身に作り上げた自分への責任である
だからわしは、その環境に身を置いたことで得られることの、一寸先の未来の自分の顔を思い浮かべる、その顔が酷く沈んでいるのであれば、その選択は間違いである
わしはわ
随筆|正解は人の数だけ存在するようです
最近、詩とかいうものを書き留めてはいるのだが、これが大変、気持ちがいい、混沌とした自己の内部から、ストッパーを全部跳ね除けて、素直に口元から出て来るような自然さで、それはある種のカタルシスになっている、文章にするには、前後の繋がりを意識する必要にあるし、そこには起承転結が必要だ、筋の通っていない文面は、信頼性に欠ける、否、個人の掃き溜めとしての、自由な作文であるなら、それはその限りじゃないって打っ
もっとみる随筆|横目で過ぎ去ることの慣れ
何かを吐くためには、吐くものが必要である、食べ物にしろ、鬱憤にしろ、情報にしろ、何かが自分の内部に「ある」事が前提である、案外、その内部の色々を、様々な形で吐くことで、気持ちはスッキリするもので、そのタイミングを素直な形で吐ける人は、自分の気持ちに従順なのだと、僕は関心する、吐きたいときに吐けばいいよなどと、女の子に優しさを与える文句も言えるから、辛いときに、甘い言葉でメロメロにしたいというのが、
もっとみる随筆|見えずとも、そこには根が張っている
Twitterから派生した長文シリーズ
人生は選択の連続らしい
瞬時に物事を判断しなければならない場面において、何を拠り所にすればいいかは、知識や経験に裏付けされた自分の中でのデータから、それに該当するものを抽出して、その空欄に埋めるという作業で完結するが、それを無意識レベルで行う人間の判断能力の要には、勘も含まれる
むしろ、勘という認知できない領域の動物的な感覚に、知識や経験が内包されてい
随筆|自分にしか為せない写真
結局のところ、なぜ、写真を撮るのかと言うことに、納得のいく答えを導き出せる人は、そう多くはないのではないだろうか
カメラを用いて、シャッターを押すことで、写真という主観的に見えた、どこまでも客観視できる情景が映し出される、そこに色味がどうたらこうたらと、レタッチをすることによって、記憶色に近づけ、己のエゴを足していく、この一連の流れを形取った写真を他者に見せることで、その時、自己が感じた想いや、
随筆|あれ、またここで寝てるの?
Twitterの下書きから派生したシリーズ
闇雲に行動して結果を得ることも必要だが、意識改革は、どの場面においても大事な要素だと思うだなあ、自分の中の思考や行動のルーティンは、そこに安住するからこそのルーティンであって、それを俯瞰して見た時に、そこから抜ける事のメリットを感じるのであれば、一歩抜けてもいい、勇気がいるけどの
シナプスは、連続性によって、その結合がより強固になると、化学のひ弱な先
随筆|「とまどいの季節」
僕が今、感じている気分というものが、この世界を構成しているとするのなら、否、それを前提として、僕らが生きているとしたなら、その気分を良くするために生きていても、何も悪くないと、最近、思う
例えば、恋愛について歌った曲を聴くと、あの子の事を思い出し、切ない気持ちと、誰かを愛したくなる気持ちが顔を出し、それが一つの空間に現れる、その恋愛特有の(これは当人が恋愛をしているか否かに関わらず、あたかも
随筆|サディスティックビビデバビデブー
もはや何のこっちゃ分かりませんね
わしはこうやって、パッと思い浮かんだ言葉から連想される、語感の良い単語を並べて遊ぶ癖があります、そして、勝手ながらそれがわしの魅力の一つになっている(わけがない)
物事の意味が、意味として成り立つ為には、そこに意志する必要がある、生きている意味を探す時、その生きる事それ自体に、意味を持たせようと意志しなければ、意味の何ちゃらは、その存在そのものの存在を許さない