随筆|見えずとも、そこには根が張っている
Twitterから派生した長文シリーズ
人生は選択の連続らしい
瞬時に物事を判断しなければならない場面において、何を拠り所にすればいいかは、知識や経験に裏付けされた自分の中でのデータから、それに該当するものを抽出して、その空欄に埋めるという作業で完結するが、それを無意識レベルで行う人間の判断能力の要には、勘も含まれる
むしろ、勘という認知できない領域の動物的な感覚に、知識や経験が内包されているような具合で、判断する際の大きな拠り所となる、これが正しければ、迷う時ほど、意識を思考に留まらせるのではなく、心が指差した方向へ舵を切れば、自ずといい選択になるのではないか、と考えてみたが、それを後押しするのは、必ず勇気がいるんだよね
この勇気には、リスクを背負う覚悟や、選ばれなかった道への可能性を一度、その時間軸では無かったことにする現実を含む、それを背負って、では、その選択が出来るかという決意の部分に、ゆくゆくは全て集約されていく
この決意とやらは、揺らぎそうな一本の柱を、支えつつ生きていくという不安定さがある、これは、揺らぐということが前提で、例えばそれが風に煽られて倒れそうになっても、中から鋭い牙で蝕まれても、それでも修復修正していきながらという強さが必要だ、その強さとは…
僕には兄貴がいるが、頼り甲斐がある、結婚もし、子供もいる、腰を据えて、しっかりと地に根ざして、生きていく覚悟が、父親になってから一層、強くなっているように感じる、僕とは正反対だ
自分の弱さを感じる場面が多く、頼り甲斐がない、ふわふわとして自由だ、社会的な地位もない、仕事にも本気になれない、生きていくことが精一杯なのに、何も変わらない現実に焦りを感じている、否、きっと兄貴も不安の中、持ち前の我の強さで、進むしかない今を切り開いているのだろう、勇ましいのである、それは強さである
強さとは、弱さを抱えつつも、前へ進んでいく勇ましさと定義するならば、その弱さと向き合い、抱きしめる包容力も必要だ
ここまで書いていくと感じるのが、人間それ自体は複雑怪奇で、意識の上で認知できることの其々は、あくまで定義付けられたもので、全てを把握できる万能な価値観はないということである、ただ、何故かそれらを肌や空気で感じられる不思議な生き物でもある、僕は第三者から、どんな空気の中、何を感じてくれているのだろう
ハッピーバースデーが唱えられる度
後ろを振り返る度
自分の立ち位置が気になりだす
世界は通常通りの営業
指差す方は正しい道か
冬の寒さに耐える力があるならまだ、生きる術は探せるだろう、腹を何度も括り直して
明るい未来は来るのだろうか
いわゆる、駄文