随筆|ユーゴスラビアコミュニケーション
やあ、猫野郎くん、こんにちは
今日も絶好調ですね(本音を言うと絶不調)、気が狂いそうになりながら仕事をし、半ば発狂しそうになりつつ料理をし、落ち着かない態度で食事を済ます
ストレスフル
猫野郎は御構い無しに、トイレをし、砂を撒き散らす、ソファで爪研ぎをする、引き戸に向けて爪をガリガリ音を鳴らす、わしの心はひとつしかない
猫の手も借りたいという熟語があるが、序でに足も借りたい、あわよくば、犬になりたい(飛躍)
そんなわたくしですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか、Twitterから少し距離を置いて、noteやInstagram、ラジオを更新していますが、確かにTLを追わなくなると、別の分野に時間を割けますから、一つだけに依存する事がなく、既存のものを活用出来ているので、これはこれでアリだなあと思った次第であります
しかしながら、先ほどツイートしましたが、写欲というものが、減退しているような気がしてなりません、単純に、写真を見なくなってしまったが故に、刺激される事が無くなったという可能性が示唆されます、刺激による反応は、パブロフの犬の実験のように、無意識的にも、何かしらの効果を生み出すわけです、カメラや写真の海に飛び込めば、それらに触れて泳ぐ事が賢明です、何故なら、そこはカメラや写真の海だから
以前、ファッション関連のSNSを利用していた事があって、その頃は、ファッションの事ばかり(というわけでもないが)、日常の幾分かを支配していました、お陰で、人の服装を見ることが楽しみの一つにもなり得たし、今日はこんなテイストで行こうだとか、その楽しみ方を、自分のものに出来ていました
今は、通勤服が主で、休日に出掛けないものなら、服を着ない週もあるくらいです(当たり前ですが、裸ではありません)、そのぐらい、僕らの意識は、それを選択することで影響される色々が、目の前の景色を変えてくれます
カメラや写真一辺倒だった僕は、その意識下から少し逃れつつあるようです、しかしながら、これは僕にとってはあまり喜ばしい事ではありません、写真は撮っていたいし、カメラもいつまでも愛でていたいのです、せっかく見つけた趣味を、無くしたくないのです
ただ、ある意味では冷静さも生まれてきました、自己の写真の客観性を、保てると言いますか、いいねに少なからずこだわる癖から解放されて、フラットに見られるようになった気がします、テンションが高揚しているわけではないから、自分の写真の至らない部分を補完する興奮が、写真に色付けしていた事にも気づきます、いわゆる、第三者的な視点、カメラをやっていない一般人の視点
さて、わしの師匠は、色味や構図、技法、機材のスペックよりも、写真そのものの力が宿る写真に力点をという主旨のツイートをしておられた、まさしくそれである、仰る通りである
その為には、人が必要なのだ僕の場合、ドラマを生み出せる偶発的な瞬間を撮り収められるストリートスナップ写真、否、それだけが全てではなく、記憶色に対する其々の捉え方を、レタッチで表現すること、自然の慈しみを感じられる写真、何気ないのに、心がほっとするもの、何となくで伝わる絶対的で可視化できない余韻のあるものを、皆、欲しているのだろう
僕にはそれが足りないから、いつもCLASSIC Neg.の色味が写真そのものを上回り、ただ「良く見えているだけ」の写真に繋がっている、それでもカメラで写真を撮る行為自体が楽しいから、それはそれで素敵な事であるが、その一歩先へ進みたい、そう思いながら試行錯誤しておる、その道の途中での写欲の低下、良くないぞー大福食い過ぎているからかー(関係はない)
まだまだ何も始まっていないような気がするでよ、これからどこへ向かうのやら、後半へ続く(続きません)
そんなこんなで読んで頂きありがっとさーーん!!!
お相手はジャマイカの王、ブラジルサッカー日本代表監督の息子、インドネシア次郎でした
ナマステー
いわゆる、駄文