随筆|正解は人の数だけ存在するようです
最近、詩とかいうものを書き留めてはいるのだが、これが大変、気持ちがいい、混沌とした自己の内部から、ストッパーを全部跳ね除けて、素直に口元から出て来るような自然さで、それはある種のカタルシスになっている、文章にするには、前後の繋がりを意識する必要にあるし、そこには起承転結が必要だ、筋の通っていない文面は、信頼性に欠ける、否、個人の掃き溜めとしての、自由な作文であるなら、それはその限りじゃないって打って、何ヶ月過ぎただろうか
タイトルがない下書きが溜まっていく
表現することの自由は、誰にも等しくそれは保障されているから、何をどう表現しても、それはその人にとっての正解であって、誰かがあーだこーだ口を挟む余地はない、時たまに、その個人間でのお互いの正解に、優劣を付けたがるクセが、どうやら人間の自我には存在するようで、それは同時に人間の弱さではあるのだけど、自分から生み出された、もとい、自分の分身であるその表現物を、競うことの意義は、例えば、コンテストなどで、誰かを押し除ける必要にある場合に、アピールとしての批判をする手もあるが、それは個人の意見であって、その人にとってのそれが正しさであっても、その作品自体には、何の傷もつかない
ここまで長々と書いてきましたが、つまるところ、何でもいいんです、何を表現してもいいし、その表現したものを世に晒すことがあっても、その人の正解は、その人の正解であって、誰にも侵されることのない領域で息ができます
そんな風に、自分自身の立ち位置を、ぶれさせないように、他人に振り回されないように生きていたいですね
今宵は熱帯夜(24時間エアコンフル稼働なので、その実態は、僕個人の世界では、いまいち現実味がない)、各々、暑さ対策をして、しっかり眠れるといいですね
そんなこんなで明日休みのinacaでした
したらば!!!!!!
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