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右脳左脳とのじゃれ愛

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2023年2月の記事一覧

その思考と一体化している(=だから、気づけない )けれど、、、

その思考と一体化している(=だから、気づけない )けれど、、、

左脳過剰から離脱するプロセスにおいてのポイントとして

「 左脳さんに所有させない。」

これは「自分のもの」にしない…とも表現できるのですが、
左脳さんに「自分のもの・自分の体験」とさせない。

ってことがポイントだなあっておもいます。

左脳さんが、ただ起きている出来事を、
ときには「気づき」と称して
「自分のもの」にしようとする。

それって「わかった!!気づいた!!」
でもあるんですけど、

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わたし我、、、という思考体験。

わたし我、、、という思考体験。

わたしが、わたし我、、、というときより
わたし、やってない、、、ときのおだやかさ。

わたし我、なにもしていないほうが、
うまくいくんですよね。

ほんと、そりゃそう…なんです。

わたしがわたしが…というときには、どーでもよいことが気になるし、それにひっかかる。 そんなふうに、わたしがわたしが…は、いろいろなことを

素通り(そのままにできない。)

いま、これが気になって…素通りできず…

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「いつもとは違う精神的景色をみる方法」です。

「いつもとは違う精神的景色をみる方法」です。

許せない…で、実際に起きていることは
「いま・ここで起きている体感覚に耐えられない」
ってことなのだろうとおもいます。

怒りなどの感情もそうだとおもうんですけど、そこまで気づけたなら、、、 いま・ここで起きていることを 眺めやすくなります。

そうか、そうか、、、
このかんじ感覚が耐えがたいのかあ…。

気づく、認める、味わう、寄り添う、、、
ゆったりと呼吸とともに。。。

( ˘͈ ᵕ ˘

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いま・ここ・かんじていること…は、誰かを介して知ることはできない。

いま・ここ・かんじていること…は、誰かを介して知ることはできない。

正しさというのは

「アタマを使わないと出来ない」

…ということは「それ、思考・考えだね…」ってなるわけなのですが、思考や考えって自分オリジナルのものっていうのはありえなくて、

誰かやいつかの「考え」の
 継承だったりするわけですよね。

だから、その正しさ(思考)は自分の…というより、どこかから持ってきた、または学習したものを採用して、それらを組み合わせて、ここで使っていたりするんですけど、

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スマホに気づいている要領で「思考」に気づいてみたらいい。

スマホに気づいている要領で「思考」に気づいてみたらいい。

いま、わたしは「スマホ」をみています。

スマホをみていることに「気づいています。」

スマホが「わたしでない」ことに気づいています。

…という要領で「思考」に気づいてみたらいい。

* ちなみに「思考停止」というのは、、、
① 左脳過剰により、思考と一体化していることに無自覚
② その思考がやっていることに、まったく気づけていない状態のこと

もうちょっと主体客体がユルっとしている場合は、、、

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「左脳と右脳をつなぐ意識の根は、いまにもとぎれそうです。」

「左脳と右脳をつなぐ意識の根は、いまにもとぎれそうです。」

先日、旅行先で、空港がリニューアルされて観光スポットになっている…ってことで行ってみたんです。

現地に到着すると、、、

左側に巨大な存在感のある建物があるんですけど、まったく人気・気配がない。

たぶん、以前使われていた建物なのだろうなあ、、、
だから、これじゃない。
右側のこっちのほうに「人の気配」があるので、
たぶんこっちなんだろうなあ…

、、、ってことを
非言語回路で「感じていた・右脳

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