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あれこれ非二元エッセイ

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#スピリチュアル

悟りはない…ってことが「左脳さん」にはわからない。

悟りはない…ってことが「左脳さん」にはわからない。

今日は、ウェルカムレイン☆サヤカ的
非二元ノンデュアリティ論です。

これについては一冊目のKindle本「これ以外のなにかはない」で絶叫させてもらっている内容です。

悟りは「いま・ここ」にない…別の“なにか”としてしまう、、、それが悟りノンデュアリティ非二元あるある

(だから、あらゆる探求が起きてくる、あるあるです。)

オデコの上のメガネが「ないない」という悟り探求 

一冊目のKindl

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ホントウソって…どっちもおんなじ。

ホントウソって…どっちもおんなじ。

それをホントだと信じた…
それをウソだと信じた…

それによって起きてくる
現象=ストーリーがある。

その「ストーリー」によって
わたしたちは 運ばれていきます。

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左脳さんって裏付け・根拠がないと信じれない
逆を言えば、それがあると「まるっと信じちゃう」

そんなふうに左脳さんは

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とはいえ、、、フツーなことはフツーなまま。

とはいえ、、、フツーなことはフツーなまま。

なにも起きていない…っていう感覚を「だれも生まれてもいない」と表現・例えてみたりするのだろうけど、ストーリー性、連続性がない…という

右脳域からの事実。

けれど、おもしろいのは、左脳域からはそのことに気づくことができなかったとしても、左脳と右脳が別々のなにかを見ているわけではなくて、

ここにあるのはこれ・ひとつ…

それぞれの認知や解釈が変わっても
「事実そのもの」はおなじひとつ。

だか

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腑に落ちるまでは「終わらない」から腑に落とす

腑に落ちるまでは「終わらない」から腑に落とす

どこにいてもおなじ=満たされている

…というのは、左脳過剰の日常はコンテンツが中心なのだけど、右脳から知覚される日常は「ここが中心・ここはいつでも変わらない・普遍」だからなのだとおもう。*そんな体感・知覚についておしゃべりした回がこちらです。https://youtu.be/S2Bv9A1dexM

コンテンツは無常、、、

ポジティブ・ネガティブどちらにも固定することはできない、移り変わる、、

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誰もいないサイゼリヤ…という右脳感覚

誰もいないサイゼリヤ…という右脳感覚

YouTube動画、更新しました!

39【脳からみた非二元・ノンデュアリティ・悟り】
誰もいないサイゼリヤ…という右脳感覚

非二元・ノンデュアリティでよく言われている

「  誰もいない…自分はいない…  」って、どういうこと?

非二元・ノンデュアリティで語られていることが
「 非常識・イレギュラー 」なのは、なぜか??

そんなおしゃべりをさせていただきました。

٩( ᐛ )و

ウェル

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左脳と一体化している状態に「隙間をつくる」問いかけワーク

左脳と一体化している状態に「隙間をつくる」問いかけワーク

わたしが担当させてもらっている
三脳バランス研究所 の非二元研究室ワーク
(左脳過剰から右脳優位に切り替わっていくことを促す・サポートするワーク)そこでも、いろいろな「問いかけ系のワーク」をご紹介しているのですが、、、

「問いかけ」は、、、

左脳と一体化している状態に
「隙間」をつくってくれます。

たとえば、、、

いま、なにに気づいて(いる)だろう?

いま、なにに気づいて(いない)だろう

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それはアタマじゃなくてココでおきている。

それはアタマじゃなくてココでおきている。

▶︎ 動画、更新しました!!

先日ツイートしていたことについて、
動画でもおしゃべりしてみました。

アタマでは心配できても「信頼」はできない。
それはアタマじゃなくてココでおきている。

右脳・左脳によって「 愛情表現 」も変わってくる
ハート、ハラ、丹田のハナシ

先日のこちらの記事でも紹介させてもらった
ネドじゅんさんの アタマからっぽ のイラストを
またまた使わせていただきました。

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非二元・ノンデュアリティ的な「正しい表現」

非二元・ノンデュアリティ的な「正しい表現」

非二元・ノンデュアリティ的な
「正しい表現」にこだわっているのも、

左脳さん( •ө• )

これはそうで、これは違う…

にこだわってしまうと
「非二元という題目」を通した
二元性のこだわりの世界へ突入してしまう。

やっぱり左脳・思考で
非二元ノンデュアリティを
「わかろう」としちゃいかんのでしょうな

いかん!というより、
どツボにハマるというか、、、

コトバ・思考の世界でぐるぐるしちゃ

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色即是空 空即是色 空=悟り???

色即是空 空即是色 空=悟り???

▶︎動画34、更新しました!

https://youtu.be/0LAycXCS4xg

般若心経 の
「色即是空 空即是色」

般若心経の空と色…という二元性

そうであるとそうでない…という二元性

それとこれじゃなくて、
それもこれもがひとつとして起きてる

無意識の「区別」や「線引き」を解いていって
それもこれもひとつだねーという

まるーい視点🙆

どーしたって、、、
カンペキじゃ

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右脳優位=ワンネスな日常感覚

右脳優位=ワンネスな日常感覚

ネドじゅんさんの
このイラストのかんじ、、、

アタマがからっぽで、
胸のあたりにフワッと「ある」感覚

アタマはからっぽなので世界との境界線が薄い
分離感のなさ、一体感、、、

そのようなかんじ感覚から、
いま・ここで起きていることに気づいていると、
季節感、世界の様子が
とても豊かに、美しく、はいってくる

まさに、これこれ、、、

たとえば

「ワンネス体験・一瞥体験」

と呼びたくなるよう

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探究という旅のおまもり

探究という旅のおまもり

たとえば、

「わたしは神だ!」

というのは、意識の焦点がアタマにある状態(思考との一体化が強く、自我がオレオレと前面に立っている状態)のときに起きる現象なんだろうとおもいます。

おなじく「悟った!」もそうです。

ちょうど、そのような動画をアップしました。
「33:左脳がやっている小さな悟り、右脳でおきている大きな悟り」

なので、意識の焦点がアタマより下(ハート・ハラにある状態)は大事だな

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ストーリーという「風」

ストーリーという「風」

うっかり忘れがちなことが

「わからない」ということ。

わからないままに「面白いね」といったり「それは違う」といってみたりしているんだけど、でも、よくよくみてみると「わからない」

で、たぶん、どんなにわかったとしても「わからないまま」

左脳さん右脳さんの話でいうと「わかった…とおもっているとき」は左脳優位だったりもして、逆に「わからないなあ〜(ぽかーーん)」としているときのほうが右脳優位で、

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われ在り(IAM)…という起動音

非二元・ノンデュアリティの本をよんでいると
よく出くわすワード

われ在り(IAM)

この ( I AM ) って、
この世界が起動したときの起動音みたいな、、、

パソコンが立ち上がるときのヴォーーんという…

この世界というより「 I というシステム」が起動したときのヴォーーンという、、、



[ここにひかりあれ]
[わたしはひかり]

I AM、、、気づいたらポツンとここにいた

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神様の通り「道」をつくる繰り返し

神様の通り「道」をつくる繰り返し

わたしが変わる…というのは

「意識」が変わる「気づき」が変わる「現象」が変わる「全体」が変わる

…ってことを指しているんだよね。

《 自分 =ストーリー・ドラマそのもの 》

なので、意識・気づき・現象が変わるってことは

「それまで観ていた自分ドラマ」に
気づいて→一体化が外れて→変化する

これもやっぱり、、、
アタマ・分析・理解では出来なくて、

かんかく・気づき・確かめる。

自我か

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