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あれこれ非二元エッセイ

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#内観

納得していないエネルギー

納得していないエネルギー

たとえば、、、

「 探求が終わった 」というコトバがあったりします。

なにかを達成した!!でも、諦めがついた!!でもいいんですけど、なにかしらの決着がついて、“いまここにない、なにか”を求める心が落ち着いていきます。

けれど、もし、それが終わっていない…としても、
特に問題ないんです。

それよりも、、、

終わっていないのに、「終わっていることにしてしまいたい」そう、がんばって、納得しよう

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「じぶん」という魚は、ストーリー性という水の中でしか生きられない。

「じぶん」という魚は、ストーリー性という水の中でしか生きられない。

『非二元エッセイ』なんてYouTubeチャンネルをやってますので、たまには非二元ぽいタイトルの記事を書いてみたいとおもいます!

探求における内観力

↑これがなにかと大事だとおもっているのですが、

いまここでなにがおきているか??
(いま「じぶん」はなにをしているのか??)
ということに気づく、、、という気づきです。

( その思考は、なにをしているのか? )

思考に気づく…とも言えますが、

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それは「掘り下げ」じゃなくて「手放し」たほうがいい。(もちろん、好き好きなのだけど)

それは「掘り下げ」じゃなくて「手放し」たほうがいい。(もちろん、好き好きなのだけど)

今回はこんなおしゃべりしました!

思考・感覚・じぶん、、、

そんなおハナシがつづいております。

チャンネル名「非二元エッセイ」と銘打ったので、
そんなおしゃべりもしたいところなのですが、
なんとも出てこない縁起です。

0:48   06のおさらい…
1:20   「 解決&手放し 」の判断
2:04   典型的な「手放したほうがいいもの」
2:20   ★ 手放しリスト
4:02   「そ

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“これ”に思考解釈をつけたくなる。

“これ”に思考解釈をつけたくなる。

おしゃべりしました #standfm #Podcast

▶︎ https://stand.fm/episodes/6180b927bbeb5200063ffcd3

いま、このかんじ感覚がある

ってことの単純さ 

単なる“これ”のまま
起きては消えていく…

その様子を
見届けられないとき=受け入れがたいとき

思考解釈をつけたくなる。

この 思考にしてしまう といのは
黙っていられなくて

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マインドフルネスしているそれ…自分?のもの?

マインドフルネスしているそれ…自分?のもの?

マインドフルネスする対象=客体
マインドフルネスをしている主体=自分 

たとえば

“衝動”みたい対象は、わかりやすい。

怒りや絶望感であったり
強く、激しい、激情みたいなエネルギーは
大きなサイレンのようなもの

気づこうと努力しなくても
気づきやすい みつけやすいから
ある意味、マインドフルネスもしやすい。

それと対照的なものとして、、、

空気みたいな対象

無感覚、無味無臭、派手じゃ

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20210804  やりすぎ。

20210804 やりすぎ。

20210804

▶︎  コントロールに、ただ気づく。
ってテーマで おしゃべりしました。

こういうのは コトバにすること全般なのですが 注意しなくちゃいけないのは 「それをしゃべること自体が、それそのものである」ってこと なので、やりすぎ要注意 

ああしよう こうしよう ってやりすぎ。 

〈 ただ、気づく 〉ぐらいが
行きすぎていなくて、ちょうどいい。

コントロールっていうより、

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20210720〜 気づくか考えるか

20210720〜 気づくか考えるか

20210723

散歩から帰ってきて そんなことが浮かんで

コトバ 言語化 概念化 
なんにも語れていなさ

意味のないムダ が
許されている贅沢さ 

そんな美しさ

あふれる感覚だって、
こんなふうにコトバにしてしまえば
なんとも味気ない。

コトバ 理解 は いくらでも浮かぶ
忘れてしまっていい 大事じゃない

それらは、なにも語れていない。

なのになのに...
無意味なのに…この自由

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