見出し画像

20210720〜 気づくか考えるか


20210723


画像1


散歩から帰ってきて そんなことが浮かんで

コトバ 言語化 概念化 
なんにも語れていなさ

意味のないムダ が
許されている贅沢さ 

そんな美しさ

あふれる感覚だって、
こんなふうにコトバにしてしまえば
なんとも味気ない。

コトバ 理解 は いくらでも浮かぶ
忘れてしまっていい 大事じゃない

それらは、なにも語れていない。

なのになのに...
無意味なのに…この自由 贅沢さ 美しさ
ハグのような感覚

なんの目的や意味も求められていないこれを
許し もうすでに許させている ともいう。



見逃されていないさま

わかっている とは 「見逃されていないさま」

だから、それは「 情報量 知っている量 」ではなくて たとえば「 わかっている ということは、なにかについて見逃している 」ということへの気づき

わかっている と わからない が同時にここにある

いまなにが現れているのか 
どんな“自分=状態”が現れているのか 

っていうことへの気づきというのを #内観  といったりもするけれど 単純に、いま、なにが起きているのか

「見逃していない気づき」

その気づきは 自分ごと(自分に起きていること)というより 単なる誰のものでもない現象 への気づきである気づきやすい=認めやすい、ただ気づく。

20210721

気づき の きほんのき のはなし をアップ

▶︎  マインドをとおした気づき=個人性 ハートをとおした気づき=スペースhttps://note.com/welcomerain0/n/n206c3bb4e010

で、そんなことを話していて なんなんですが 

ユーチューブでみつけたそんなような話を視聴していて それをオフにした瞬間 そんな話を聞いているより、そんな話を聞かなくても、あたりまえの日常がそれそのもの それでしかない それじゃん 

です。

上記で話した話もそのような話だったのですが

「それはこれだけど、あれはこれじゃない」
ってことは、ありえない 

それしかないわけだから。延々と。

この世界というものがはじまってから
ずーっとすべてを生きているわたし=意識

いまのこの気づきが、常々ずーっとここにあって、なかったことなんて一種もない それは、物質的ななにかが誕生する以前から。

ちーーーーんとある気づき。静けさ。

それをおーーーーむという音で
現したりしているのかもしれないけど。

手を伸ばしてみて、手の先の、そこから先は、
わたしじゃないのだろうか?

どこまでがわたしなのだろうか。
っていう、その限界「ここまで」というののなさ 

洗い物をしているそのお皿もスポンジも
それがおきているスペースもわたし。

スペース が 無限に広がっていて 
どこまでも どこまでも そのすべてがそれこれ

それを わたし というコトバを使って表現するなら
そのスペースどごまでもわたし。

20210720

画像1

以前に比べると 外側のことに興味がなくなった...というと 冷たいかんじの響きになってしまうけど どちらかというと アドラー心理学でいう「課題の分離」

誰かを変えたい 社会を変えたい 「外側を良くしたい=変えたい」っていう衝動が失せたのは それがなんであろうとまったく関係ない=問題のなさ 

そして 外側内側のなさ への気づき からだとおもう。

以前は外側を変えることに躍起になっていた。なぜなら、「自分の世界」をよくしたかったから 幸せな状況を作るために、あれこれ変えようとして戦った。

でも「そういうことじゃない」ってことが腑に落ちたからなのか、誰かやなにかがどうあるかってこと と 自分のなにかって関係ないということでもあるし(アドラーの課題の分離) そういう意味でも 自分の問題を 投影=責任転嫁する必要性がない ってことでもある。

そして、それが善でも悪でも、特に問題ないってことでもあって、もちろん、なんらかの悪意に殴られそうになれば、それを避けたりするだろうけど、その範疇外であるなら、誰かやなにかの自由をどうこうしようとする衝動がない。

たとえば、「 それって、こういうことなんだけどなー 」みたいな、そんなことも浮かんだりするけど、それをわざわざ正す必要もない それもこれも、それで問題ないからだ。

ダメじゃないそのまま 完璧さ

誰かと誰かの自由の折り合い がつかない場合には、避けたりよけたり談判したりってことが必要な現象として起きたりするのかもしれないけれど、そういうことをする必要性がないのにもかかわらず、わざわざそこに分け入っていって、いちゃもんをつける必要のなさ。

というより、いちゃもんのつけようのなさ。

それってつまり、なにかをわざわざ、
「 問題 」にする必要のなさ。

そんなふうにして、問題じゃないことを 
わざわざ問題にするっていうような娯楽が起きてる。

そんなふうに、起きていることに解釈をつけてみれば、
ストーリーというのはすべてがすべて

「なんにも起きていないのに、何事かにしていく」


ウェルカムレイン☆サヤカ http://sky.holy.jp


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?