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わたしは〈殺戮される者たち〉を見殺しにする者たちのひとりだ。混沌の始まり の記録/記憶:2022年3月10日午後7時:あるいは、ブリューゲル、ゴヤ、フジタ、そして、オカモトの五つの絵画

No.1:夜の闇の中で刻まれる短い言葉、あるいは、ひとりの罪人の記録/記憶

現在、2022年3月10日(木曜日)、午後7時45分。記録/記憶のために。

解き放たれてはいけないものたち、封印されていたはずものものたち、それらが、24/2/2022、世界に放たれてしまった。その夜の闇の中で短いメモ書きを書く。それは終わりの始まりなのか、それとも、始まりの始まりなのか現在進行形の不定形の記録/記憶として。混沌の始まりの記録/記憶として。全てが光と闇が交錯する混沌の濁流に押し流されてしまう前に、わたしがわたしであることが許される残り僅かな時間と世界の中で、言葉を記録/記憶する。そこに言葉が存在することが不可能であるとしても。

それは、ひとりの罪人の記録であり、記憶でもある。無かったことにしないための、未来の時間が呼び寄せることになるであろう、忘却の波に飲み込まれることに抵抗するための記録/記憶としてのメモ。そして、罰を受けるための記録/記憶として書き残す言葉。これから始まるわたしの戦いとして。

現在の時間と現在の世界の形について記録/記憶するためのメモ(言葉)。その時間と世界の形が激しく変容している。今この瞬間において、溶解し混沌へ姿を変貌させようとする時間と世界。それは僅かにではあるがまだ幾分の形を保っている。しかし、それは、「今この瞬間において」のことだけかもしれない。明日の今の時間、あるいは、来週の今の時間、来月の今の時間、来年の今の時間、それが同じ形を保っている保証はどこにも存在しない。

何事もなく地球が回転し、規則正しく東方の地平線から太陽が昇り、西方の地平線に太陽が沈んでゆく。何事もなく人々は日常と幾分の非日常を送る。だが、しかし、人間たちの時間と世界の形はもう元に戻ることはない。不可逆的に更新されてしまった人間たち。見上げるその空の青さには抹消することのできない黒い影が忍び込んでいる。晴れやかなる青空はわたしたちから損なわれてしまった。

そして、それはわたしの/わたしたちの中に存在している暴力についての話だ。水平線の彼方の海の向こう側に存在する地球の裏側の出来事の話ではない。それはテレビ映像の中の戦争の話ではない。それは、わたし/わたしたち自身の殺戮を巡る罪と罰の話だ。それは、わたし/わたしたちの欲望の話だ。

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《死の勝利》(ピーデル・ブリューゲル)パネル画(木製パネル上に描かれた絵画)、制作1562年、プラド美術館蔵

No.2:暗黒の欲望は厳然として世界に存在している。/わたしには沈黙しか残されていない

炎を上げ黒煙に包まれる廃墟のような都市。爆音と共に爆撃機が上空を横断しその直後投下された爆弾によって街の建物が火炎を吐き出しながら崩壊する。道路に瓦礫が散乱し黒焦げになり溶けた金属の塊りに変わった戦闘車両が放置される。ミサイルが着弾し火球が覆うテレビ塔。数十キロの長さの道を埋め尽くす無数の戦車。照明弾がゆっくりと夜の原子力発電所を照らし出す。鉄が燃え上がり人間の肉が焼ける。骨が砕け血と涙が流れ落ちる。火と血と轟音と叫びと崩壊と砲撃と着弾と破裂と散乱と瓦礫と陥没と煙と空と戦車と爆弾とサイレンと泥とコンクリートと空襲と黒と灰色と光と闇と。

その暗黒が吐き出す凄まじい暴力。しかし、わたしには覚えがあるのだ。これは、初めてのことではない。これは、今回が、初めてではない。そこに存在する疑いようのない既視の感覚。それは、何度も何度も何度も、繰り返し、わたし/わたしたちが行ってきたことだ。それは、わたし/わたしたちの内部から生まれ出たものたちだ。それらはわたし/わたしたちの一部だ。それらはわたし/わたしたちそのものだ。

その暴力はわたし/わたしたちの欲望から誕生する。抑圧し閉じ込め封印してきた邪悪なる悪霊的なる暗黒の欲望。その欲望が囚われていた檻を壊し、世界に放たれる。それは、まるで、抑圧された無意識のようにわたしたちを外部から襲う。復讐するかのように激しく。それは、わたし/わたしたちの部分であるにもかかわらず、蔑ろにされ知らない振りをされ虐げられてきたものたちだ。わたし/わたしたちは、わたし/わたしたちによって、破壊される。

その欲望を繋ぎ止めることに失敗し、その欲望に飲み込まれてしまった北方の国から、それらは物理的な実体を被って、わたしたちを苛烈に襲撃する。具象的なものとして個別的なものとして固有名詞を備えた存在として、具体的な存在として姿を変貌させてその欲望は出現する。それはわたしたちの誤りでもある。それは、その暗黒の欲望があたかもこの世界に存在しないかのように見て見ぬ振りをしてきたことによる凄惨な論理的帰結だ。暗黒の欲望は厳然として世界に存在している。

わたしにその欲望を描写することはできない。わたしの中にはその言葉は存在しない。言葉は失われ、言葉ならざるものも、失われてしまった。わたしには沈黙しか残されていない。わたしにできることは、幾つかの絵画(タブロー)を掲げること。それだけだ。絵画が言葉のひとつであることは言うまでもない。偉大なる先人たちが欲望に抗うために創り出した絵画という言葉。それを提示すること。それしかわたしにできることはない。わたしにそのことを行うだけの力と資格があるのかは別のこととして。

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《巨人》(フランシスコ・デ・ゴヤ)制作1808〜1812年、プラド美術館蔵

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《アッツ島玉砕》(藤田嗣治)油彩画、制作1943年、東京国立近代美術館蔵

No.3:殺戮される者たちを見殺しにする者たち/血まみれのその汚れた手で祈ってはいけない

殺戮する者たち/
殺戮される者たち/
殺戮される者たちを見殺しにする者たち/

誰もがその何れかだ。イノセンスな者など何処にも存在しない。その罪と罰

気が付いた時、わたしは武器を持たない多くの市民が強大な武力を持つ者たちによって殺戮されるそのことを「受け入れていた」。「受け入れていた」という言葉が不適切であるというのであれば、はっきりと〈見殺し〉にしていると言い換えてもいい。誰がどのように取り繕っても、誰がどのように言葉を弄しても、それは〈見殺し〉だ。

そんなつもりはないのかもしれない。でも、気が付いた時には、否応なしに、わたしは殺戮される者たちを〈見殺し〉にする者たちのひとりになっていた。誰もそれを望んでいないことは分かっている。誰も好き好んでそうしているのではないことぐらい分かっている。そこには理由が存在していることも分かっている。その理由が正しいものであることも分かっている。それが世界を滅亡へ導くことを阻止するためであることも分かっている。

しかし、それでも、そこにどのような真っ当な理由が存在していたとしても、それが〈見殺し〉であることに変わりはない。わたしの目の前で、今この瞬間、殺戮が行われている。目を閉じていようが、耳を塞いでいようが、それが終わることはない。わたしは受け入れることのできないそれを、飲み込むことのできないそれを、それでも受け入れて飲み込むしかない。忘れない、決して。忘れることはできない、決して。その痛みと苦しみを。

わたし/わたしたちは、その残忍な血塗られた殺戮の光景を記憶しなければならない。わたし/わたしたちが〈見殺し〉したことでなされるその殺戮を。わたし/わたしたちは無力なのではない。わたし/わたしたちは〈見殺し〉という方法でその殺戮に加担した者たちであり、殺戮を止めることをしなかった者たちであり、殺戮を止めることができなかった者たちのひとりとして、記録されなければならない。わたし、そして、わたしたちは罪人なのだ。その手で祈ることは許されない。血まみれの汚れたその手で祈ってはいけない。

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《1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺》(フランシスコ・デ・ゴヤ)油彩画、制作1814年、プラド美術館蔵

No.4:戦いはまだ終わってはいない。/「最後には孤独な戦いが私たちを待っている。」無限の灰色の中で、この夜を革命前夜とするために

〈殺戮する者たち〉によって、無数の人間が死ななくてはならないのかもしれない。〈殺戮する者たち〉によって、夥しい数の生命が死滅するのかもしれない。〈殺戮する者たち〉によって、多くの都市が廃墟になってしまうのかもしれない。〈殺戮する者たち〉によって、あまたの事柄が壊され失われてしまうのかもしれない。〈殺戮する者たち〉が身に纏う血と鉄と肉の焼ける匂い。その匂いが全世界を覆い尽くし、地上からひかりかがやく白いものたちが消え、世界は無限の灰色の中に沈み込んで行く。

しかし、それでも、そうだからこそ、服従しない。敗北しない。敗北することなどできない。弱きものであり、愚かなものである、わたしでも。〈殺戮する者たち〉を許すことなどできない。〈殺戮する者たち〉の言う「正当なる殺戮の理由」を受け入れるつもりもない。〈殺戮する者たち〉のひとりになるつもりもない。〈殺戮する者たち〉として群れることもしない。愚者たちの愚者たちによる愚者たちのための饗宴に加わることもしない。

「様々な喪失の只中で、手に届くものとして、近くにあるものとして、残ったものは言葉だけでした。言葉は失われることなく残った。そうです。すべての出来事にもかかわらず。しかしその言葉は自分自身の答えのなさを、恐ろしい沈黙を、死をもたらす弁舌の千の闇の中を抜けて来なければならなかった。そして言葉はそれを抜けて来たのです。」(パウル・ツェラン)「切りとれ、あの祈る手を」(佐々木中)P207より引用)

灰色の雨が絶え間なく降り続ける地上で、沈黙の果てに残された言葉を探し出す旅を始めなければならない。ほんの僅かな可能性に賭けて。〈殺戮する者たち〉との戦いは終えることができない。暗黒の欲望を、再び、闇の中に封印するまで。言葉を見つけ出すまで。この夜を革命前夜とするために。

「最後には孤独な戦いが私たちを待っている」(ヴァージニア・ウルフ)

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《傷ましき腕》(岡本太郎)油彩画、制作1936/1949、岡本太郎記念館蔵


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