マガジンのカバー画像

宛先のない手紙 vol.2

389
ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
運営しているクリエイター

#ライター

2022年の振り返りと2023年の抱負と

2022年の振り返りと2023年の抱負と

あけまして5日経ちました。いつぶりのnoteでしょうか。

毎年、開業した11月ごろに書いていた振り返りnoteですが、2021年は12月とズレにズレ、昨年はとうとう年内に書くことすらできませんでした。何なら年賀状もまったく間に合いませんでした。あー。

1年生き延びたぜ
まあ、結局のところ昨年もこれに尽きます。本当に昨年もありがとうございました。おかげさまで1馬力経済で家族4人ご飯を1年食べられ

もっとみる
名のある日記帳から、名のないnoteへ

名のある日記帳から、名のないnoteへ

「こんなことを考えています」と書きはじめたのは、小学校一年生のこと。

本来は日記である「あのね帳」に、途中から「しぜんはたいせつ、しぜんをまもろう」と連載スタイルで毎日書き綴ったのが最初だ。

読書感想文も、感想というよりも小論文のようで、子どもらしさはあまりなかったかもしれない。幸いだったのは、「意見します」といった可愛げのないスタンスの文章も、先生方がおもしろがって受け入れてくれていたことだ

もっとみる
我思い書く、ゆえに我あり

我思い書く、ゆえに我あり

夫の仕事が当面休みのため、言ってしまえばこれまでより時間・体力的には楽なはずの外出自粛期間。(ふだんは90%以上ワンオペ)にもかかわらず、妙に疲れるし夜は眠いし、これは単にホルモンの時期によるものなのか、本当に疲れているのか、自分でもよくわからない。

ただ、書くときの集中力は何となく減だ。いや、確かに減だ。能率が悪くなっているなあと思う。割とインドアで出不精なわたしですらそうなのだから、もともと

もっとみる
インタビューメディア「ミチイロ」をはじめて。

インタビューメディア「ミチイロ」をはじめて。

先日、こんなことやるよーとnoteに書いた。

無事、先日7日に開始。小さな一歩を踏み出した。

わたしはTwitterの固定ツイートに、以前からこんなことを提示している。

1年と少しが経過した今も、わたしには書くことしかない。ここに「聞くこと」が加わってできたのがミチイロだ。



人のことをコンテンツのネタにする、ということに抵抗感がある。だから、基本的にわたしが個人で書くものは「わたし

もっとみる
7月7日。七色の日に未知の色を届け始めます

7月7日。七色の日に未知の色を届け始めます

2018年1月。参加したノオト主催のライター交流会で、わたしは目標にこんなことを書いた。

「市井の人に話を聴きに行く仕事をしたい」

当時、すでに取材の仕事をしはじめていた。お店や、病院や、地域で活動する団体。どれも「市井の人たち」だ。

今は市井の人といえども、SNSで突如著名人になる(なってしまう)可能性がある。だから、どこまでが市井の人なのかといわれると、なかなか難しいなあとも思う。

もっとみる
レールがある道もない道も、ハンドルを握っていることに変わりはないから

レールがある道もない道も、ハンドルを握っていることに変わりはないから

noteで、「社会人1年目の私へ」というタグイベントが開催されている。

社会人を正社員としてしまうと、わたしには一年目がない。自活という意味でいうなら、この仕事を始めたときだ。はじめから社会人といっていいのだろうか…と(収入面で)もやもやしてしまう部分はあるけれど。まあ、開業届を出した年、でいいのかな。

前回のnoteでも仕事について書いているのだけれど、わたしは長らく「働くわたし」のイメージ

もっとみる

仕事は楽しいですか

仕事はつらいもの。生活のため、つらいことに耐え忍ばねばならないもの。

そんなイメージがあった。子ども時代に、父から植え付けられたものだ。母は「お父さんがお仕事がんばってくれてるから、ご飯が食べられるんだよ」とよく言った。おかげで、お金のありがたみ、お金は仕事をせねばもらえないものらしいということは理解できたけれど、鬱々とした疲れを抱えて帰ってくる父の姿や「子どもはええなあ」という言葉に、当時のわ

もっとみる

子どもに読ませたくない本

気づけば、本を開いていた。出会わせてくれたのは、母だった。

興味があったのだろう、早くに文字をおぼえ、そこから先は自分でがしがし本を読むようになった。

幼稚園時代の参観の様子を残した映像には、ひとり教室の隅で絵本を開く五歳のわたしの姿が残っている。

高校時代の教師たちは、口を揃えて「本を読め」と言った。正確には、「新書を読め」だ。あとは新聞。すべて読解力など、受験のための「読め」だった。

もっとみる
死ぬほど苦しんだ先の、幸せな暮らし

死ぬほど苦しんだ先の、幸せな暮らし

日本のホテルや旅館には「4」がつく部屋がないのだと聞いたのは、何歳の頃だっただろう。「4」は「死」を連想するから、というのがその理由。本当に「4」がない部屋がどれくらいあるのかは知らない。

4と同じく、9も日本語ではあまりいいイメージを持たれない。「苦」だから。ただの語呂だけれど、日本語には連想させるものが多い。末広がりの八、とか。算用数字なら8は∞だ。ことごとく縁起がいいなあ。



そんな

もっとみる
痛みや苦しみは必須じゃない

痛みや苦しみは必須じゃない

苦しさを乗り越えて到達した山頂からの眺めは格別だ。達成感が美しさを際立たせるのだろう。山登りは趣味ではないけれど、あの「やった、綺麗!」という感覚は身体が覚えている。

同じようなことなのか、誰かがハードルを乗り越えた先に何かを成し遂げることに、わたしたちはいたく感動する。投げかけられる「感動しました」「勇気をもらいました」の数々。

代表的なものはスポーツの試合や大会だろう。スムーズに実績を打ち

もっとみる
侮れない「なんかいい」

侮れない「なんかいい」

「もっと女性の直感力を活用していくべき」

どこで見たのか読んだのかは忘れてしまった、だけど記憶に残っているフレーズだ。

女性の「なんかいい」「なんか好き」は根拠はないけれど侮れない、といったことがつづけて書かれていた。まあ、何かを売る商売はターゲットを女性に定めているものが多いから、何も不思議なことではないのかもしれない。



「なんかいい」は侮れない。

勘がいいほうだとまでは思わないけ

もっとみる
「稼ぐ」「儲ける」にそそられない

「稼ぐ」「儲ける」にそそられない

「稼ぐ」や「儲ける」といった言葉が、昔からどうにも苦手だ。

「日本人はお金の話をしたがらない」という言葉を見かけたことがあるのだけれど、話題としてではなく、単語としての苦手感が拭えない。

身も蓋もないけれど、お金は好きだ。あるに越したことはないし、あるから得られるものも多い。高い収入を目指すこと、目指している人にも嫌悪感はない。そもそも、生活し、子を育てるのにお金は必要だから。

この苦手意識

もっとみる
あえて、あなたを選んだ

あえて、あなたを選んだ

先日、「わたしがいなきゃ」と仕事を抱え込む人のことをnoteに書いた。自らの必要性を高めることで、己の価値を見出している、といったような内容だ。

実際には、「この人でなきゃ」という事態は仕事上そうそう起こらない。どれだけ頼られていようが、いなくなれば何だかんだ問題なく進むものだ。いや、先日書いた通り、回らなければ(回さなければ)いけないわけだけれど。

「わたしがいないと」という思いは、独りよが

もっとみる
「怖い」を味方にする

「怖い」を味方にする

書いた記事を入稿するのは、いつだって怖い。特にはじめての仕事は、本当に怖い。仕事に限らず、「はじめて」に怖さを感じる方だと思う。もちろん、わくわく感もありはするのだけれど。

その恐怖は、もしかしたら自分を守るためのみみっちい抵抗なんじゃないかと思っている。対外的に自信なさげにしているわけではないから、別に外部に対しての言い訳にはならないのだけれど、自分の中の言い訳にはなるから。

「ほら、やっぱ

もっとみる